第2話
ホームルームが終わって三十分もしないうちに他のクラスメイトはさっさと教室から出て行ってしまった。俺と千草だけが教室に取り残され、一銭にもならない無価値な会話をしながら雨が止むのを待っている。
天気予報が外れたのだから俺以外にももっと途方に暮れている生徒がいそうなものなんだがな。案外昇降口まで行けば、濡れ鼠になって駆けていく奴を拝めるかもしれないな。
「雨、止まないね」
千草は妙にそわそわしながら窓の向こうを眺めた。
さっきより雲が色濃くなり、風も強くなっている。これは傘をさして帰るにしても苦労しそうだ。
「英、どうしようか。あたしのお姉ちゃん呼ぶ?」
「いや、いいよ。お前も知ってるだろうが、あの人苦手なんだ」
「ふふ、お姉ちゃんは英のこと気に入ってるみたいだけどね。しょっちゅう英を連れてこいって言ってるもん」
「嬉しくないねぇ…」
千草の姉は留年を繰り返す不良大学生だ。俺とは千草の家の近くで数回話したことがある程度だが、からかい癖のあるだらしない女という印象だった。
どうせ今日も大学をサボって家でぐーたらしているに違いない。羨ましい限りだ。
「でもこのままじゃ帰れないね」
千草がため息をつく。
「いやお前、傘持ってるだろ」
「え?持ってきてないけど……」
「いやいや、とぼけるんじゃない。今朝の昇降口、俺の見間違いじゃなければ確かにお前は傘を持っていたぜ」
「今朝……?」
千草は少し考える素振りを見せる。
「あー、多分見間違えたんじゃないかな。私、登校してすぐに倉崎先生に捕まっちゃってさ」
倉崎は千草の所属する女子バトミントン部の顧問だ。
「先生にあれの交換頼まれたんだよね。……えーっと、なんて言ったっけ、天井の明かりのやつ、えーと」
「蛍光灯か」
「あー、そうそれ、蛍光灯だ。英、多分蛍光灯とビニール傘を見間違えたんだよ」
「まさか、そんな見間違いがあるか?」
「だって両方白くて細長いでしょ?私も英と一緒で今日は天気予報に騙されたわけだし、ビニール傘と間違えると言ったら蛍光灯しかないんじゃないかな」
俺はビニール傘と蛍光灯を勘違いしていたのか。確かに昇降口で千草を見たと言ってもそれなりに離れた距離にいたからなあ。見間違いだと言われればそんな気もしないでもない。
「どうにも腑に落ちないがな……」
「じゃあ、今から昇降口の傘立てまで私の傘を探しに行く?私はそれでもいいけど」
千草は挑戦的な視線を俺に向けた。
帰るついでと考えれば面倒じゃないんだがな。
千草が傘を持ってきていないと嘘をつく理由が見当たらないし、昇降口まで探しに行って徒労に終わるのも嫌だ。
「千草、雨はまだ止みそうにないな」
「うん。あ、でもね、後一時間もすれば止むらしいよ。さっきみーちゃんに会った時に聞いたんだよね」
みーちゃんは千草の高校からの友人だ。俺は一度も会ったことがないが、千草を介して沢山の個人情報が流れてくる。ちなみに毎日片道一時間かけて電車通学しているらしい。
「そうか、みーちゃんとやらはもう帰ったのか?」
「え?うん。夕飯の支度しなくちゃいけないんだって。ほら、みーちゃん家って親が共働きだからさ。大変だよねー」
「そうだな、もっと駅が近ければいいんだがな」
「学校から歩いて二十分はかかるもんね」
徒歩圏内に自宅がある俺たちには関係ない話だ。
「千草、後一時間で雨が止むんだな?」
「みーちゃんが言うには、ね」
「ならあと一時間は待つ。一時間待って雨が止まなければ、俺は走って帰るよ」
「うん、わかった。いつまでも学校にいるわけにもいかないしね」
「お前は迎えを呼べよ」
「嫌。英が走って帰るなら私も走って帰る」
「なにをわけのわからないことを……」
こいつに風邪をひかれてバトミントン部の連中から恨まれるのはご免なんだが。まあ、本人のやりたいようにさせてやるのが一番か。なんにせよ一時間後に雨が止めば問題ないのだ。
「来月の試験の勉強でもする?」
「来月の試験の勉強は来月にやればいいさ」
「怠惰だねぇ」
呆れとも嘲りとも言えないような笑みを千草は浮かべた。普段の快活さを忘れさせるような蠱惑的な笑みだ。
ううむ。
ばつが悪いなあ、と視線をずらす。
すると丁度いいタイミングで教室の外から数人の話し声と足音が聞こえてきた。
淀みなく過ぎる日常の中で @hananojoza
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