第5話

 食堂に行っていたクラスメイト達がちらほら帰ってきていた。話の続きを邪魔される前にさっさと済ませてしまうか。それに聞かれて面白い話でもない。


「そんなに難しい話じゃない。さっき千草が言ってくれていただろう、今日の腕時計は文字盤が二回り大きいと。以前の腕時計がダメだった理由は恐らくサイズだ。似合わないデザインはこの際関係ない」

「以前の腕時計の文字盤が小さかったら何に困るっていうんだ?」

「わからないか?わざわざ利き手に大きい文字盤の腕時計をつける理由だよ」

「皆目見当もつかないがな」

「赤崎ならわかると思ったんだがな」


 赤崎は実にわかりやすくムッとして少し考える素振りを見せたが、赤崎の閃きを待っている間に昼休みが終わっては困るので続ける。


「手首に何か隠したいものがあったんじゃないかと俺は考えている」


 すぐさま千草が反応する。


「じゃあ、もしかして文字盤の大きいサイズを選んだのは、前の腕時計だと隠せなかったから?」

「だと思われる」

「あー、手首といったらリストカットか?」


 リストカットさせるまでに女を追い込んでそうな人間が言うと謎の説得力があるな。千草もじっとりした視線を向けている。だが、リストカットはあり得ないだろう。


「切る場所にもよるだろうが、リストカットなら以前の腕時計で隠せた筈だ」

「タトゥー……はないか」

「現役の教師がバレやすい場所にタトゥーをいれるメリットはない……まぁ、時間がないから先に結論を話すが、くれぐれも憶測の話に過ぎないということを理解しておいてくれよ。間違っても真に受けて口外するんじゃあないぜ」


 二人は息を飲む。

 教室の中は食堂から帰ってきた生徒でそこそこ騒がしいのに、俺ら三人の間の空気はどこか張りつめていて静寂を保っていた。


「実は馬淵は不貞を働いていたんだ」


「不貞って……」

「浮気、不倫、配偶者がいるのに性的純潔を守らないこと」

「それはわかってるけど、はなぶさ!」


 千草はいきなり声を荒げた。

 こいつは他の人間には優しいのにどうしてか俺にだけは感情を剥き出しにしてくる。あり余った慈愛の心を少しでも俺に分けられないものなのか。


「落ち着け、千草。熱くなるな。これは憶測だと言っただろう」

「だって!馬淵先生には奥さんがいて、赤ちゃんも産まれたばっかりなんだよ?そんな人が浮気してるなんておかしいよ!」

「わかった、わかったから落ち着け。これはただの遊びだ」

「英の言う通りだ。あんまり大声を出すと周りに聞かれちまうぜ」


 もう手遅れな気もするが、一応赤崎も助け船を出してくれた。


「うぅ……ごめん、でもさ、腕時計と不倫とに何の関係があるの?」

「赤崎はわかったのか?」


 赤崎はキザな笑みを浮かべて頷く。


「何となくだが察した」

「そうか……」


 あまり千草に話したい内容ではないが、一人だけ仲間外れというのもこいつは嫌がるだろう。


「恐らく馬淵は不貞相手につけられたキスマークを隠したかったんだ」

「キスマーク?」

「そう、口紅マシマシの唇を押し当てるだけじゃないぜ。それなら洗えば落ちるからな。俺が言いたいのは強く吸い付く方のキスマークだ。あれは唇で強く吸い付き、相手の肌に内出血を起こさせることによってつくもんなんだ。まぁ、その辺は赤崎の方が詳しいだろうがな」

「ああ、一回つけられると最低でも四日は残る。馬淵の歳だと治るのにもう何日かかかるだろう」

「話の流れからして、馬淵は不貞相手から手首の甲にキスマークをつけられた。小さいキスマークなら今まで使っていた腕時計で隠せたが、どうやら隠すのが難しい大きさときた。そこで馬淵は例の文字盤の大きい腕時計で隠すことにしたんだ」


「ちょっと待て」赤崎が腑に落ちない表情で言う。


「隠すなら絆創膏やガーゼじゃ駄目だったのか?そっちの方が自然だと思うんだが」

「一日で消えるなら絆創膏やガーゼの方がいいが、何日も張り続けているとさすがに心配されるだろうし、俺みたいに勘付く人間が現れるかもしれない。それに比べて腕時計なら、腕時計新しくしたんですね~という簡単な会話でその場を済ませられる。正直絆創膏も腕時計もどっちもどっちだが、馬淵は腕時計で隠すことを選んだのだろう」

「ふむ、だったらなんでわざわざあんな違和感のある腕時計にしたんだ?もっと落ち着いたデザインの腕時計を買えばよかっただろう。そうすれば俺らが明確な違和感を感じ取ることもなかったのによ。そこだけ詰めが甘くないか?」

「いいや、それはできなかったんだ。馬淵は腕時計を買いたくても買えなかったのさ」


「何だと?」赤崎の眉間に濃い皺が寄る。「金欠だったなんて言うんじゃないだろうな。がっかりさせるなよ」


 そもそも俺はお前らを楽しませるために話しているのではないんだがな。


「馬淵がキスマークを付けられたのは昨日の放課後以降だったからだ。この学校のことだ、馬淵は何かしらの部活動の顧問をしているんじゃないか?」


「水泳部と茶道部だね。水泳部は毎日結構遅くまで練習してるよ」千草が答えた。


「馬淵は部活動が終わってから不貞相手と密会し、手首の目立つ場所にキスマークを付けられた。馬淵が時計でカムフラージュする案を思いついた頃にはこの辺の時計屋は全て店じまいしており、仕方なく自宅にある腕時計を使うことにした。キスマークを隠せるサイズの腕時計はあれしかなかったのだろう。自分には合わないデザインだが仕方ない、放課後急いで別の腕時計を買えばいい。そう思ったに違いない」


 ここで一度短い呼吸を挟む。


「そして今日になったんだ」

「あ……」


 二人はしばらく何も言えないでいたが、予鈴が鳴るとさすがにいそいそと片づけを始めた。そこはお前らの席じゃないからな。ちゃんと綺麗にしていくんだぞ。

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