第79話



「……」



 秋雨の周囲に重苦しい空気が漂う。現在、彼のテンションはダダ下がりの模様だ。



 あれから、ひたすらに後悔を嘆いた後、とぼとぼと歩きながらダンジョンを目指していた。



 今日はもうこのまま宿で不貞寝してしまおうかとも考えた秋雨であったが、それはそれで一日を無駄にしたという気持ちになるため、せめてダンジョンの場所だけでも確認しておこうということになったのだ。



 彼にとって、それだけ襲われていた女冒険者のおっぱいを触るかどうかという葛藤があったのだが、第三者から見れば本当にくだらないことである。



 モチベーションが上がらないままただひたすらに大通りを直進する。それでも、たまにわざとぶつかってくるスリ目的の人間には対処しているため、決して周囲の警戒を怠っているわけではないようだ。



 ラビラタの街にあるダンジョンは、正門である南門から真っすぐ直進した北側に存在しており、早朝から冒険者たちが一攫千金を夢見てダンジョンへと潜っている。



 たまに商人や貴族などが怖いもの見たさで護衛を雇ってダンジョンに潜ったりもするが、そんな酔狂な人間は一年に一度いるかいないかである。



 なにはともあれ、ゆっくりとした歩調ながらもなんとかダンジョン入り口にたどり着いた秋雨だったが、そこに飛び込んできた光景を見て、先ほどまでの出来事を忘れてしまうほどに驚愕した。



 そこには、ぽっかりと開いたまるで巨大なモンスターが口を開いているかのような洞窟があり、訪れるものを待ち構えているかのようであった。



 少々警戒しながらも秋雨が洞窟内部に入ると、そこにはいくつかの受付カウンターに長蛇の列ができており、どうやら冒険者ギルドがダンジョンに入る人間を管理するためのものらしい。



 以前冒険者ギルドの許可なく立ち入った人間がそのまま帰ってこない事件が多発した結果、ダンジョン入り口に関所を設けることで、そういった事故が起こらなくなった。



 それ以降、冒険者などダンジョンに潜る人間はここで手続きを行ってからでないとダンジョンには入れない仕組みになっている。



 この列に並ばなければならないのかと辟易としつつも、それ以外にダンジョンに入る術はないため、秋雨は大人しく最後尾へと並んだ。



「おい、最近調子はどうだ?」


「まあまあだな。可もなく不可もなくってところだ」


「まあ、命あっての物種っていうし、無理はしないほうがいい」


「冒険者が冒険すると死ぬってか」



 並んでいる間も周囲の冒険者の話に意識を向け、自分の番が回ってくるまで情報収集に努める。しかしながら、荒くれ者ばかりの冒険者であるからして、特に有益な情報は得られなかった……かに思えた。



「【胡蝶の館】にいるファンランちゃんのおっぱいがな……柔らくてな……もうたまらん……抱きしめて……何度も何度もイッちまったぜ」


「朝っぱらからそんな話すんなよ……我慢できなくて探索どころじゃなくなっちまうわ!」


(なるほど、胡蝶の館のファンランか……)



 などと、さすが冒険者といったところで、贔屓にしている娼婦の情報もちらほらと飛び交っており、いずれそういった場所を訪れるつもりの秋雨にとっては有益な情報であったらしい。



 たまに飛び交う娼婦の名前を頭の隅に残しつつ待っていると、意外にも早く順番が回ってきた。



「いらっしゃいませ。ギルドカードの提示をお願いします」


「ん」


「ありがとうございます。……アキーサさんですね? ダンジョンに入るための許可証はお持ちでしょうか?」


「これでいいか?」



 受付嬢にギルドカードの提示とダンジョンに入るための【仮入場許可証】を提示する。それを受け取ると、本物であることを確かめたのち、秋雨に説明する。



「ギルドの方でも説明があったと思いますが、こちらの許可証は駆け出し冒険者用に出している仮のものとなりますので、この許可証で立ち入ることができるのは三階層までとなっております。お間違えのないようお願いします」


「わかった」



 そう言って、手早く手続きを終わらせると、秋雨はすぐに受付から離れた。



 新たに発行したギルドカードによって、彼がグリムファームで活動していた冒険者であるということはバレておらず、これで冒険者ギルドの目を欺くことができると彼は確信する。



 そのまま施設内の奥まで進むと、ガタイのいいギルド職員が立っており、そこでもギルドカードの提示を求められたが、細かいチェックというよりも本当に冒険者かどうか確かめるための軽いものであったため、すんなりと通ることができた。



「ここが、ダンジョンか」



 ダンジョンの構造は、入り口が洞窟のような造りをしているだけあって、ダンジョン内部は上下左右が岩肌で覆われたまさに洞窟のような場所だった。



 奥に進んでいくと、さっそく駆け出し冒険者と思われる若い冒険者たちが、スライムや額に角の生えた一角ウサギ呼ばれるモンスターを狩っている姿が見受けられた。



 さすがに仮入場許可証で立ち入ることができる階層だけあって、駆け出し冒険者程度の実力でも狩ることができるモンスターしか生息しておらず、その数も一、二匹程度の少数だ。



 彼らの邪魔にならないよう人気のない場所へと秋雨は歩を進めていく、すると進行方向にモンスターを発見した。スライムである。



「見せてもらおうか、ダンジョンにいるモンスターの性能とやらを」



 そう言いながら、様子見として以前フォレストベアーにお見舞いした三十二分の一パンチで攻撃を仕掛ける。しかしながら、その攻撃が直撃した瞬間、スライムの原形がわからないほどに爆散してしまい、残ったのは丸い核のようなものと青色に輝く水晶のような小さな欠片だった。



「おぉ……明らかなオーバーキルだな」



 やり過ぎた感が否めないが、気を取り直して彼はドロップしたアイテムを調べてみた。それは【スライムの核】と【モンスターの魔石】というもので、核についてはスライムの素材であり、魔石についてはダンジョン産のモンスターから取れる素材だ。



「【鑑定先生】、ダンジョン産のモンスターとそれ以外のモンスターの違いって何?」



 秋雨は疑問に思ったことを【鑑定先生】に聞いてみた。この世界の神である女神サファロデによって与えられた能力の一つである鑑定は、彼の疑問に対する答えを教えてくれた。



 ダンジョンの外にいるモンスターは、自然の中で育った天然物のモンスターであり、ダンジョン産のモンスターは、ダンジョン自体が生み出した所謂人工的に生み出されたモンスターということらしい。



 その生み出す過程として魔石を媒体に生み出され、魔石が大きければ大きいほど強力なモンスターが生み出されることになる。



 外のモンスターとの違いは、同じ個体のモンスターであっても生息地域の違いで強さにばらつきがあるのに対し、ダンジョン産のモンスターは魔石の大きさに依存する形で強さが決定づけられる。



 モンスターの魔石にはその名前の通り魔力が籠っており、錬金術師や魔法使いなどがこれを使って魔道具と呼ばれる道具を動かすために用いることが多い。



「魔道具か。俺でも作れるかな? いや、余計なことをして目をつけられては事だからな。ここは慎重にいこう」



 グリムファームではその手の道具を取り扱っている店自体がなく、秋雨が仕入れた情報の中に魔道具というものがあることは聞いていたが、物自体が売っていなかったため、実物を見たことはない。



 ダンジョンがあるラビラタならば、魔道具を動かすための魔石が手に入る。そのため、魔道具を取り扱っている店がある可能性は高い。



 しかし、秋雨は便利な魔道具を探すことよりも、寧ろ作る方に興味があるようなのだが、その考えを一旦破棄することにしたようだ。



 この世界の予備知識がない状態で新しいことを始めてしまうと、仮にそれがその分野において未だ誰も成し遂げていない偉業を達成してしまう可能性もあるのだ。そうなっては、すぐに貴族や王族などの面倒な連中が押し寄せてくることは明白であり、秋雨としてもそういった事態は避けたいところである。



 この世界にやってきて今まで慎重に行動していたつもりの彼だが、それでもグリムファームのギルドマスターに疑いの目を向けられてしまった。どこか“これくらいなら大丈夫だろう”という慢心があったと言わざるを得ない。



 異世界ファンタジーもののライトノベルの多くが、主人公が自重のない行動を取ったことによって周囲にその存在を知られることになり、それが原因で面倒事に巻き込まれていくといったパターンがテンプレ化している。



 逆を言えば、主人公さえ自身の行動に制限を掛けることができてさえいれば、余計な面倒事に巻き込まれる確率はぐっと下がるのである。



 珍しいことだが、そのことをしっかりと理解している秋雨は、自身がライトノベルの主人公になったと仮定して今まで行動してきた。いろいろとやむを得ない事情で自身が課したルールを破らなければならないこともあったが、現時点で取り返しのつかないことにはなっていない。



 それから、しばらくダンジョンの探索を続けていると、ちらほらとだがモンスターが出現し始める。もともとラビラタにはレベルアップをするための経験値稼ぎに来ているため、見逃すことなくすべて倒していく。



 駆け出し冒険者でも入場ができるということで、秋雨の実力であれば簡単に仕留めることができるモンスターばかりで、そのラインナップはスライム・一角ウサギ・ゴブリンという定番のモンスターたちばかりだ。



 たまにソロだと厳しそうなウルフも出てくるようだが、それはあくまでも並の冒険者であればというだけの話であって秋雨であれば楽勝だった。



「結構溜まってきたな。それにしても、解体作業をしなくともアイテムだけを残して消えるのはゲームっぽいな」



 しばらく経験値稼ぎという名の作業に勤しみ、秋雨はそれなりの成果を上げることができている。不思議なのは、モンスターが倒された際、光の粒子となって消えるところだ。



 どうやらグロテスクな解体作業を省いてアイテムだけを入手できる仕様のようで、秋雨にはそれがゲームのご都合主義のような気がして些か違和感があった。



 だが、便利なものであることに変わりはないため、最終的にはそういうものだということで納得した。



「とりあえず、今日はこれくらいにするとしようか」



 そのあともひたすらモンスターを狩り続けた秋雨だったが、まだまだ低階層のモンスターであるため、経験値に旨味がない。素材アイテムや魔石の収集だけ行い、今日のダンジョン探索はそれで終了した。

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