第78話



 翌日、外が白み始めてしばらくして秋雨はベッドからむくりと起き上がる。未だ眠気から覚醒しきってはいないが、今日は目的のダンジョンに赴く予定があるため、頑張ってベッドから脱出した。



「あっ、鍵掛け忘れてんじゃん。宿の鍵を掛け忘れたのはどこのドイツだ? ……俺だよ」



 ここにきて、宿泊している部屋の扉の鍵を掛けていなかったという失態に秋雨が気づく。とんでもない不用心だが、幸いなことに誰かが部屋に入ってきた形跡はないので、次からは気をつけようと心に決め、階下へと降りた。



 秋雨の泊っているこの宿も食堂兼酒場となっている食事処があり、彼が食堂に向かってみると、食事をする客の姿がちらほらと見受けられた。



「おはようさん、昨日はよく眠れた?」


「ああ、ばっちりだ」


「そう。……ところで、さっきからどこ見て話してるのかなぁー?」



 秋雨が席に座ると、給仕を担当していたナタリーヌがやってきた。彼女と他愛ない挨拶をしている彼だったが、先ほどから彼はずっと彼女の胸を見て会話していた。



 女性はそういった男性の視線に敏感に反応するもので、そのことを指摘するナタリーヌだったが、秋雨は何でもないようなことだと鼻を鳴らして返答する。



「ふっ、そんなもの。お前のおっぱいに決まっているではないか?」


「……なんでそんな“なにを馬鹿なことを聞いてるんだお前は?”という態度なの?」


「とりあえず、飯を食わせてくれ」



 ナタリーヌの追及をごまかすように朝食の催促をする秋雨。彼女としても、特段気にした様子もなく呆れた視線を向けつつも、厨房に注文を伝えに行った。



 しばらくして運ばれてきた料理は、スープとサラダによくわからない焼いた肉と黒パンという実に平凡なものであった。大方、肉の方はなにかのモンスターの肉だと当たりをつけた秋雨は、まずスープを口にする。



「まあ、不味くはないな」



 元日本人の秋雨としては、やはりというべきか飽食の世界に生きていただけあって舌が肥えており、異世界の食べ物が些か味気ないものに感じてしまうのは致し方なきことであり、宿の名誉のために言うのならば、彼が言ったように決して不味くはないのだ。



 ただ、この言い方は不味くはないが美味くもないという意味であり、やはり彼にとっては合格点を与えられる食事ではなかったとだけ言及しておく。そんな食事を手早く済ませると、彼は街へと繰り出した。



 ダンジョンがあるこの街ラビラタは、その土地柄なのか冒険者やダンジョンから排出される素材を求めてくる商人たちが多く、全体的な面から言えば荒くれどもが集まる傾向がある。



 そういった連中が一所に集まるということは、治安の悪化を意味しており、それを取り締まる兵士たちの数も多くなるということだ。



 しかしながら、いくら兵士の数を動員しても発生する犯罪の数が尋常でないため、焼け石に水なところがあるものの、それでもある程度の抑止にはなっていることもまた事実であった。



「ん?」



 そんな中、秋雨が人通りの少ない通りを歩いていると、裏路地に走り去る一人と複数人の影を視界に捉える。なにやら厄介事の匂いが漂ってくるが、ここで無視してあとでその一人が骸で見つかったとなっては後味が悪いので、仕方なく追いかけることにする。



 袋小路にまで追い詰められていたのは、冒険者の格好をした若い女性で、追い詰めているのはこれまた冒険者風の男性三人組である。



(まだだ。現時点では、どっちが悪者かわからんからな)



 魔法を使い姿と音を遮断した状態で、彼女らの様子を秋雨は窺っている。その心は、一体どちらが悪者なのか見極めるためである。



 秋雨は男だから女だからだとかいう先入観を持っておらず、あるのは一体どちらに非があるのかというシンプルな価値観だ。それを断定するために、彼は連中の言動をしばし観察する。



「ひっひっひっ、大人しくしろ」


「ちぃ、あんたらこんなことをしてただで済むと思ってんのかい!?」


「一度でいいからお前をいいようにしてみたかったんだよ」


「そのデケェ乳を頭の中で何度揉みしだいたことか……」


「……」



 男たちの一言で、女を慰み者にしようとしていることは理解できる。だが、この時点でも秋雨はまだ動かない。何故か? 理由は男たちが女を慰み者にしようとしているのが主目的かどうかまだわからないからである。



 つまり男たちにとって、女に何か騙されたり不利益を被られたりなどの報復として、彼女を慰み者にしようとしている可能性がまだ捨てきれない。もしそうであるならば、このまま介入してしまえば、秋雨は彼らの報復の邪魔をしたということになり、悪者の片棒を担いだということになってしまうのだ。



 信賞必罰は世の常だと考えている彼にとってそれは望むところではなく、そのために今はひたすらに静観していたのである。



「なんでこんなことをするんだ! あたしは何もしてないじゃないか!!」


(そうだ。そこが重要だ。さあ、吐け。その一言でどっちが悪者かが決まる)


「けっ、そんなこと決まってるじゃねぇか!」


「俺たちだけじゃねぇ。お前の被害に遭ってんのはなぁ!」


「もう我慢ならねぇんだよ!!」


(女に騙されたのか?)



 四人の言動を静かに見守っている秋雨だが、まだ決定的な一言が聞けていない。引き続き、彼は四人のやり取りに耳を傾ける。



「俺ら男の冒険者が、お前のそのエロい体にどんだけ悩まされてきたか!」


「それが原因で、娼館に行き過ぎて破産したってやつもいたんだぞ!」


「お前のその体は犯罪だ!!」


(ああ……なるほど。確かにそれは否定できん)



 男たちの言い分を聞いて改めて女の姿に注目する。ぼさぼさの短い赤毛に大きな青の瞳を持ち、その眼光は戦いに準ずる者らしく鋭いものの、目元や口元のところどころからは色香が漂っている。



 そして、軽装の下からでもわかるほどの巨大な二つの膨らみは、まるで男を誘惑するスライムかのようにぽよんぽよんと揺れており、さらには括れた腰つきと安産型を思わせる大きい臀部はまさに男の理想を盛り込んだと言わんばかりの姿をしていた。



 秋雨とて男であるからして、男たちの言い分には一定の理解はできる。だからといって、彼女をどうこうしていい理由にはならず、この時点をもって男たちを悪者であると彼は認定した。



 そうと決まれば、秋雨の行動は速いもので、すぐさま風魔法を使い三人の男たちを路地の壁に叩きつけた。一体何が起きたのか理解することなく男たちは気絶し、その様子を見ていた女も訳がわからないとばかりに目を白黒とさせている。



(むむ、こ、これは……)



 男たちに近づき三人とも気絶していることを確認した秋雨であったが、ここで彼の眼にあるものが飛び込んできた。それは、女な巨大な胸である。



 今までの彼の言動からわかるように、彼は部類のおっぱい好きであり、ラビラタにやってくる以前にもいろいろとやらかしてきた。



 そして、今回男たちの魔の手から女を救い出したところまではよかったが、ここで彼の悪い癖が出てしまった。



(だ、だめだ! 早まるな。早まるんじゃない秋雨! ここで彼女のおっぱいを触ってしまっては、こいつらと同じ犯罪者になってしまう。だが……このぷるんぷるんは反則だろうっ!!)



 女が動くたびにふるふると揺れる二つの膨らみは、まるで「触ってごらんよ。柔らかくて気持ちいいよ?」と挑発しているかのようで、秋雨の胸を触りたい衝動を刺激する。



 それを理性で抑えつけようとするものの、手がワキワキと動いている様は欲望と理性との間で痛烈な戦いが行われていることを物語っている。



(触りたい。あの大いなるビックなスライムを弄び、俺の中の熱き炎を昇華させたい!!)



 などと、もはや何を言っているのかわけわかめな状態となっている秋雨だが、ここで女に動きがあった。



「なにかは知らないが、今のうちだ!」


(いや、だがしかし。それでは、今まで俺が積み重ねてきたものが……あ、あれ? どこ行ったあのおっぱい)



 すでに女ではなくおっぱいとして認識しているあたり何とも言えない状況だが、気絶する男たちを避けて女がその場を走り去って行った。邪な感情との戦いに集中していた秋雨は、女が逃げていくのに気付くタイミングが遅れてしまい、すでに女の背中が小さくなっていた。



「あぁぁぁぁあああああ! 俺のおっぱいがぁー!!」



 否、断じて否である。



 一体いつから彼女のおっぱいが秋雨のものとなったのかは知らないが、風魔法で彼が出す音と声を遮断していたため、この状況に突っ込みを入れる人間が不在であった。

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