第64話


「か、可愛い!」


「ぼふっ」



 領主の屋敷へと案内された秋雨は今頭を抱え込まれていた。彼を抱え込んでいるのは、グリムファームの街を治める領主であり伯爵位を持つ貴族ランバー・ド・フィルル・マリエンベルクの妻であるキャメルその人だ。



 年の頃は三十代中頃の青い髪に青い瞳を持つモノクルと呼ばれる片眼鏡を掛けた麗人で、その美しさはまさに宝石のサファイヤそのものだ。ドレスに包まれた二つの双丘は今にもこぼれ落ちそうで、その妖艶さはあらゆる男を魅了することだろう。



 そもそもなぜ秋雨が領主の屋敷に招待されることとなったのかといえば、ひったくりの被害に遭ったキャメルを助けたことがきっかけであった。



 だが、秋雨本人は彼女を助けるつもりはなかったのだが、彼の悪癖と呼ぶべき“物事を深く考えすぎてしまう癖”である長考が原因により、向かってくるひったくり犯を避けることができず逆に返り討ちにしてしまったのだ。



 そして、気付いた時には周りの人間やキャメル本人にひったくり犯をやっつけた人物として認識されてしまった。その場からは何とか逃れることができたものの、貴族の情報網によって居場所を特定されてしまい面倒なことになる前に一度彼女と会うことを決意した秋雨だったのが……。



「むー、むー!」


「あらやだ、ごめんなさい私ったら、ついつい夢中になってしまって」



 自身が冷静さを欠いていたことにようやく気付いたキャメルが自分の胸に抱えている秋雨の頭をようやく解放する。



 なぜ秋雨がキャメルの胸に顔を埋めるような状況になっていたのかといえば、キャメル本人の嗜好が原因だった。



 女性は総じて可愛いものを好むという性質を持っているものだが、とりわけ彼女の可愛いものに対する執着は筋金入りだ。



 ここまで話せば、もうすでに察している者もいるとは思うが今の秋雨の年齢は十五歳であり、もとの地球であれば中学三年生である。この世界においては“大人”というカテゴリに入ってはいるものの、大人びた雰囲気は欠片もなく幼さが前面に押し出された少年という表現がしっくりくる見た目をしている。



 それに加え、外国人から見た日本人は幼く見られる傾向が強く、キャメルから見た秋雨の見た目年齢は九歳から十一歳の少年ということになってしまっていた。



 幼女ならぬ幼男とまではいかないまでも、キャメルの可愛いものに対するセンサーに引っかかってしまい、出会って四秒で秋雨の頭を自身の胸に抱え込んでしまったのが事の顛末であった。



「いきなりなにをするんだ!」


「だ、だって。あなたがとっても可愛かったから……」



 そう言いながら顔に手を当てもじもじとするキャメルに若干の苛立ちを覚えながらも、すぐに平静を取り戻した彼女が自己紹介してくる。



「お初にお目りかかります。私、ランバー・ド・フィルル・マリエンベルクの妻、キャメル・デ・ファルス・マリエンベルクと申しますわ」


「秋雨だ。冒険者をやっている。よろしく」


「はうぅ……はあ、はあ、よろしくですわ……」



 再び秋雨に襲い掛か……もとい、抱きしめようとするのを何とか宥め、自分を呼んだ用件を聞き出す。



 すると予想通り自分を助けてくれたことのお礼に晩餐に招待したかったからとの回答を得られた。



「最高のもてなしをさせていただきますわ」


「そうか、ではご相伴に預からせてもらおう」



 こちらの意思を聞き届けたキャメルが執事のマイヤーに視線を向け一つ頷くと、恭しく一礼したマイヤーが静かに部屋を退室する。



 現在秋雨のいる部屋は応接室のような場所で、特に目立った調度品などはないものの豪華な造りのソファーや絨毯など一つ一つの家具にこだわりを持っているのが見受けられる。



 貴族としての体裁を最低限度保ちつつもあまり無駄な箇所にお金を掛けていないという実に合理的な内装をしていた。



「ところで、アキサメ様。一つお願いしたいことがあるのですが……」


「何か」


「私の息子になってくれませ――」


「断る」



 キャメルが言い終わる前に秋雨は彼女の言葉を遮るように口を挟む。爵位を持たない平民が、貴族にこのような口をきくと本来であれば不敬罪が適応され最悪の場合処刑されるのだが、秋雨は物おじせずタメ口を貫いていた。



 その理由として、もし仮に不敬罪で捕まりそうになれば記憶操作の魔法を使って関係者の記憶を改竄してしまえるからだ。



 ただそれはかなりの労力を使ってしまうため、転移魔法を使った逃亡が魔法一つを唱えればいいだけなので労力としては楽である。



 このようにもしこの街の貴族とトラブルになったときの対処法を秋雨は既に持っている。そのため、キャメルに対してもタメ口を貫いているのである。



「不自由はさせないですわよ? 好きなものもなんでも買ってあげますし、どんなことでも叶えてみせますわ」


「必要ない、それに俺は十五歳の大人だ。成人してる」


「ええええ!?」



 秋雨の成人宣言に少々面を食らったようで、小さくない叫び声を上げる。だたしかし、キャメルの養子の勧誘は留まることを知らず。マイヤーが食事の準備ができたとやってくるまでひたすら秋雨を養子にしたいと懇願していたのであった。



 その後、貴族らしい食事を堪能した秋雨はキャメルの用も済んだとばかりに屋敷から出ていこうとするも、最後に領主である旦那に会っていってくれと言われ半ばなし崩し的に領主のいる寝室へと連行されてしまった。



 キャメルの話では重い病気を患っていて、あらゆる医者や薬師に診せてみたのだがどんな病かは不明らしい。



 寝室に設置されていたベッドは、貴族らしい天蓋付きのものを想像していた秋雨だったが、予想に反して一般的な地球のホテルにあるようなベッドだった。だた一つ、そのベッドのサイズがキングサイズのベッドだということを除いては……。



「ゴホッ、ゴホッ、この度はうちのキャメルを救っていただき感謝する。私はこの街を治めているランバー・ド・フィルル・マリエンベルクだ」


「アキサメだ。無理をせず楽にしてくれ」



 キングサイズのベッドにいたのは四十代くらいの白髪交じりの男性だった。鋭い目つきではあるものの病が原因で覇気がなく髪も手入れができていないようでボサボサだ。



 そんなランバーが一介の冒険者である秋雨に頭を下げるということは本来あり得ないことなのだが、その一連のやり取りだけで彼が人格者であることを秋雨は察した。



(病名不明ということだが、【鑑定先生】なら分かるんじゃないか? てことで、先生お願いします)



 女神から貰った能力である鑑定でランバーを鑑定してみると、彼の体を蝕んでいる病気の正体がわかった。



 ランバーを蝕んでいる病気は【イビル病】と呼ばれるこの世界特有の病気で、まるで悪魔の如く体を蝕み弱体化させ最後には血を吐いて死に至るというものらしい。



 治療法は現在確立されておらず、文字通り“不治の病”として恐れられているものであった。



 しかしながら、あくまでもそれはこの世界の住人が治療法を見つけ出していないというだけのものに過ぎず、女神から与えられしどんなものでも見透かしてしまう【鑑定】に掛かれば、その治療薬の生成法もわかってしまう。



 そんなこんなで彼の病の原因とその治療法を瞬時に見つけ出したことに女神から貰った鑑定能力の凄さの余韻に浸っていると、ランバーが声を掛けてきた。



「ところで、アキサメ殿。もし、よければ私の息子として養子に――」


「だが断る!! アンタもか!!」



 似たもの夫婦とはまさにこのことで、外国人の目から見て日本人の見た目は実年齢よりかなり下に見られる傾向が強いようで、秋雨の姿を一目見るや否や養子に迎えることをランバーが提案してきた。



 キャメルもこの提案に大賛成なようで再び熱烈な勧誘を秋雨は受けることになってしまった。



「ゴホッ、ゴホッ、ゴホゴホッ」


「あ、あなた!」



 余りに興奮したせいなのか、ランバーがせき込むのを見てキャメルが彼の下へ駆け寄る。しばらくして落ち着いたランバーが自分たちの身の上を語り始めた。



「このマリエンベルク家を継いで早十五年、幸いにして最高の妻を娶ることができたが私とキャメルの間に子はできなかった」


「あなた……」



 ランバーの言葉に顔を俯かせるキャメルの肩に手を置き再び語り始める。



「もう私には時間が無い。一刻も早くマリエンベルク家の後継者を見つけなければならないのだ。そんな時にアキサメ殿が現れた……運命だと思ったよ。君にもやりたいことがあるだろうし、こんなことを頼むのは迷惑だとも理解している。だが、頼む! 私の息子になってくれ!!」


「あなた……」


「旦那様……」



 ランバーの切実な懇願に何とも言えない顔を浮かべるキャメル。そんな二人を見て今まで部屋の隅に控えていたマイヤーも沈痛な顔で俯いてしまう。



(要はランバーの病気を治して、キャメルとの間に男の子ができればいいんだよな? このままだとこの家の養子にされそうだし、ここは一つ面倒事に首突っ込んでみるか)



 こうして、面倒事に巻き込まれたくない秋雨が更なる面倒事を避けるため、自ら面倒事に首を突っ込むことを決意した瞬間であった。

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