倩兮女
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より
一、三人の酔漢
三人の酔いどれ達が、街灯も
五月の
「ああ、世界が揺らいでいる。俺はこれ以上呑めそうにない。でも、二年ぶりに会った同級生を逃がすのも味気ない。来年からは皆忙しくなる。今夜は
東京の大学で文学を修めようとしている学生――
じゃれ合う二人を一歩引いて眺めている若者は、寺沢と同じキャンパスで法律を学んでいる
前途洋々たる未来が彼らの心を踊らせていたし、実際、彼らは優秀な
「君達と一緒にいると、実に頼もしいし、楽しいよ。行く手を
瀬戸内は酔いからくる
彼らにとって、性交は儀式であり、
時刻は午前零時を少し過ぎている。終電車が目に痛いほどのライトを輝かせながら、
終電車に揺られる人々は皆一様に
三人の
「なあ、あれをごらんよ」
一同の先頭を歩いて
暗闇に
「何だか、酷くグロテスクな印象を感じさせる女性だな。
寺沢は女を指さして鼻で笑ってみせた。若い文士の
女の歩みは鈍く、三人の
「全く、馬鹿にしている。さもなくば狂人だ。人が近づくなり、ゲタゲタと声を上げて
吉田と瀬戸内は困惑するばかりである。二人は女の笑い声など聞いていなかった。寺沢は
奇妙な
先頭を行く寺沢の歩みが早くなった。吉田と瀬戸内は言いようのない、うすら寒さを感じながらも、後を追うほかにしようがない。武蔵新城に着くまで、誰も口を
二、文士の失踪
「わたし、この歳になるまで息子のことについて、何一つとして知ろうとしなかった」寺沢竜也の母親が肩を落として、ポツリと
ハンドバックから取り出したハンケチで涙を拭うと、寺沢の母親は椅子から立ち上がり、
窓の外には東京のオフィス街が広がっている。折から降り始めた
「もしもし――。なんだ、吉田か。エッ、寺沢のお母さんと話したのかい。実は僕のところにも来たんだ。何せ、彼と僕は同じ大学に
吉田は
「オイオイ、嫌に冷たい話し方をするじゃないか。まるで、寺沢の
「そりゃ、まるで関心がないわけではないがね。それ以上に、不吉な感じがするんだ。正直に白状しちまうと、この件に関しては首を突っ込みたくない。僕は法律家であって探偵ではないからね。寺沢竜也の
瀬戸内は理性的な男である。少なくとも、吉田は彼の理智と教養の非凡を評価していた。そのような男の口から、「不吉」という一言が飛び出した上に、何かに
「へえ、随分と
吉田の非難めいた質問に対して、瀬戸内は
「うん、確かに君の指摘は的を射ている。この件に関して、僕はある種の恐怖を感じていると言っても間違いではない。
さて、君が抱いている疑惑についてだが、大体、想像している通りだと思う。寺沢の母親は随分と食い下がったが、彼女には提示しなかった情報が幾つかある。あまりに
ほら、五月上旬に川崎辺りで酒を飲み歩いたことがあったろう。あの晩、奇妙な
それから、一度だけ、二人で川崎の
南武沿線道路の裏通りに現れた不愉快な笑い女を探し出す、と
瀬戸内は、フウと一息の休憩を挟んだ
ツーツー……という電子音を聞きながら、吉田は雨に濡れる喫茶店の窓を
「寺沢竜也の
三、驟雨は止み
折から降り始めた
「何か寺沢竜也の
一陣の風が吹き、汗で肌に張り付いたシャツの
腕時計に目を移すと、時刻は午後七時を指している。寺沢の母親との会談が終わると、吉田は居ても立ってもいられず、東京の大学を飛び出して神奈川の繁華街を
「まるで、狐につままれたような気分だ。寺沢は神隠しにでもあったのだろうか。彼の身に何が起こったというのか。俺は何を知りたがっているというのか」
全てが
「ホホホホホホホホホ」
そこには赤色のワンピースを身に
「一目散に逃げだしたい」という
好奇心と正義感は
「ホホホホホホホホホ」
女は気が狂ったように長い黒髪を左右に振り乱して笑い続けている。吉田は口に
「あの血走った瞳には確かな
瀬戸内和貴の言葉は正しかった。いまや吉田修治の
その時、一本の電車が
四、警笛は高らかに鳴り
「全く、どこに姿をくらませてしまったのやら。あの子がこんなことをするとは思ってもいなかったよ」
寮母は
――皆、消えてしまった。ひょっとすると、僕はとんでもない事件に巻き込まれてしまったのかもしれない。とはいえ、僕は知るべきなのだろう。危険から逃れるためにも知るべきなのだろう――
寮母の歩みは遅く、それに伴って瀬戸内の足取りも自然と鈍いものになってゆく。たっぷりと時間を掛けて目的の部屋の前まで辿り着いた。二〇一号室――そこが、吉田修治の部屋である。
寮母はポケットを
「あたし、この部屋にあまり
カチャリ、という軽い音を立てて、扉の鍵が外された。
寺沢竜也も吉田修治も謎の
「用が済んだら鍵を返しに来とくれ。とにかく、あたしは部屋に入りたくないんだ。あんたも探し物が見つかったら、さっさと出て行くことだね」
そう言うと、寮母は
吉田の部屋は乱雑を極めていた。
瀬戸内は足の踏み所を選びながら、窓際に程近い場所に置かれた
机の中身をあらかた
そこには、日々のちょっとした出来事の記録や感想が書き出されていた。日記ほど詳細ではないにせよ、吉田修治の
瀬戸内はそれをポケットに押し入れると、散らかった室内を最後にグルリと見回した。
九段下駅のプラットホームに立ちながら、瀬戸内和貴は
日々の出来事に関する感想や意見が
「結局、謎は謎のままに終わるのか」と思いつつ、何気なく
「俺は大罪を犯した。
バラバラだったパズルの破片が一つずつ
「ホホホホホホホホホ」
その時、一本の電車がライトをぎらつかせながら、プラットホームに向かい、
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます