野槌

     野槌のづち草木そうもくれいをいふ。

     又沙石集させきしふに見えたる野づちといへるものは、

     目も鼻もなき物也といへり。


          鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より


 一、芋虫いもむし


 一滴のしずくほおを伝って落ちた。その正体がてんから滴るつゆなのか、それとも草叢くさむらに置いたあさしもの名残なのかは判然としない。だが、それが涙でないことだけは明らかである。涙腺るいせんごと眼球を焼き潰されてしまったからだ。茫漠ぼうばくとした暗いきりが僕のことを包んでいる。

 あれから、いったいどれほどの時間が経ったのだろう。肉体から流れ出た血潮ちしおの分だけ、思索する力も失ったようである。はねむしられた蝶のような、頼りない一本の肉の管――それが現在の僕の姿である。肌に食い込む止血帯しけつたいが緩めば、じきに死んでしまうに違いない。

 無様ぶざま醜悪しゅうあく芋虫いもむしがここにいる。間歇的かんけつてきに襲い掛かる激痛だけが、自分はまだがんにいるということをわずかに示してくれる。切断された四肢ししが恋しかった。

 一縷いちるの望みをたくして、ありったけの声を張り上げてみたが返事はない。はらしりの肉を蠕動ぜんどうさせてやぶけてみたが徒労とろうに終わった。

 ほどなくして、投与された薬の効果も切れるはずだ。その時のことを思うと、怖くてたまらない。頭蓋ずがいの内側で狂気が喇叭らっぱを鳴らして膨張し、徐々じょじょ脳髄のうずい萎縮いしゅくしていくのを感じる。恐怖でどうにかなってしまいそうだ。想像力が人をあやめることもあると知った。

 僕は毒に侵された脳髄のうずいで考えずにはいられない。この世には思いもよらない悪意の持ち主が存在するのだ、と。

 僕自身も決して清廉せいれんな人間ではなかったし、散々さんざん、悪意をいて生きてきたと言ってもいい。それでも、このような無惨むざんな目――目鼻を焼き潰され、手足を根元からむしり取られるという残酷ざんこくに会うほど、罪深つみぶかくはなかったはずだ。

 だが、羊の群れの中にひそみ、狼は息を殺して、虎視眈々こしたんたん獲物えものを狙っているものなのだ。彼らは人間の枠からはずれた魑魅ちみ魍魎もうりょうであり、暗闇くらやみまぎれて人の子を食らおうと、手薬煉てぐすねを引いて待つものでもある。いつだって、それを失念してはならないし、己の力を過信すべきではないのである。僕は咎人とがびとではないが無知であったことを認める。

 《想像力イマジネーション》は僕の心のどころであり、同時に武器でもあった。今となっては、手酷てひどく裏切られた挙句あげくに牙をかれているが、はこれまで上手く付き合ってきたはずだ。《想像力イマジネーション》が僕の肉体をうごかす熱源であり、手腕しゅわん沈殿ちんでんしがちな熱情のはけぐちであった。

 しかし、僕の肢体したいは致命的なまでにそこなわれてしまった。ぶくぶくと肥大し続ける想像力を手懐てなずけることができないでいる。いたずらに膨れ上がる妄念をおさとどめられないでいる。

 僕は想像の中で、少し指先に引っ掛かるつつましやかな彼女の毛をぜる。乳白色をした滑らかな布の肌触りがなつかしい。鼻腔びくうを満たす芳醇ほうじゅんな香りの数々がしたわしい。

 ――僕の手足はどこへ消え去ってしまったのだろうか。何としても見つけ出さなくてはならない――

 居ても立ってもいられなくなり、咥内こうないに舞い込んだ砂塵さじんむせながら、芋虫いもむしのように肉をうごめかし、泥っぽい大地を這いずりはじめた。胴の下がヌラリと濡れているのは泥濘ぬかるみにはまったせいだけではない。とうとう、止血帯しけつたいが緩みだしたのである。

 疵口きずぐちから体液が漏れ出ているのだろう。全身から力が抜けていき、不恰好ぶかっこう匍匐前進ほふくぜんしんも難しくなってきた。随分ともがいてみたが、とうとう、ちょっとも動くことができなくなった。荒い息を吐きながら、襲い掛かる激痛をえる。正気を保っていられるのも時間の問題だった。

 しばらくの間、押し寄せる痛みにあえいでいたが、やがて涼やかな虫の鳴き声の中に、ゼエゼエという不気味な息遣いきづかいが交じっていることに気が付いた。息遣いきづかいの主は次第に横たわる芋虫いもむしに近づいてきているらしい。土を蹴る音が聞こえる。

 僕は不穏ふおんな気配を感じ取り、声を殺してジッとしていたが、それがあしの獣であることをさとると、あらん限りの叫びを張り上げた。噴き出した血の臭いを嗅ぎつけた獣がやってきたに違いない。しかし、抵抗の甲斐かいもなく獣の跫音きょうおんは大きくなっていく。出血はますますひどくなり、今や、血だまりが小さな池をしているらしい。

 身をよじたびに泥と血が入り混じった汚水おすいねる。あしの獣にとって、それはよだれれるほど蠱惑的こわくてきに見えるに違いない。奴の両眼には血をらしておどる一本の肉の管が映っているのだろう。それでも、僕はのどが張り裂けんばかりの叫喚きょうかんを上げ続けた。

 ヒタヒタ、という足音が耳許みみもとで聞こえたと思いきや左の肩に鋭い痛みが走った。止血帯しけつたいはずれて、疵口きずぐちからおびただしい血液が流れ出るのを感じる。身体の熱が失われていく感覚――。「せる」という言葉の意味を知った。つまるところ、生命とは熱量の推移のことを示しているのだ。

 あしの獣は疵口きずぐちに牙を立てながら、左右に激しく頭を振りはじめた。命の灯火ともしびが吹き消されようとしている。僕は「やめてくれ」と叫び続けることしかできない。

 ブチブチ、とけん甲骨こうこつから肉ががされた。同時に緊張の糸が音を立てて切れたような気がした。こうして、肉の一部を食われながら死んでいくのか。無様ぶざまに泣き叫びながら死んでいくのか。こごえるような寒さを感じながら死んでいくのか。

 それはひど滑稽こっけいなことのように思えた。口許くちもとがだらしなく弛緩しかんする。ヒヒヒ、というった笑いが腹の底から込み上げてくる。

 ああ、また肉を食いちぎられた。段々だんだんとおもしろくなってきたぞ。ヒヒヒ、ヒヒヒヒ、ヒヒヒヒヒ。さあ、どんどん食え。ヒヒヒヒヒ。ああ、やめてくれ。死にたくない。ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒ。



 二、絵巻えまき


 一軸いちじくの絵巻が私の心を始終しじゅう悩ませている。友人に手を引かれて忍び込んだ蔵の中で、偶然ぐうぜん見つけた一軸いちじくの絵巻物語――それが、私の世界を大きく変えた。

 豪奢ごうしゃ装丁そうていが施された絵巻はいかにも秘宝らしい雰囲気をまとっていて、いまだいとけない子ども達の冒険心をくすぐるものがあった。墨痕ぼっこんあざやかに記された秘文はちょっとも理解できなかったが、毒々どくどくしいまでの彩色さいしきで描かれた絵図が私を魅了した。

 それは両腕両脚をがれ、目鼻を潰された無惨むざんな女の絵姿であった。絵図の題名なのだろう――無残絵むざんえの横にはたっぷりと墨を含ませた筆致ひっちで「野椎神乃図のづちのかみのず」と記されていた。

 友人は、自身が起居ききょする屋敷の一隅いちぐうに隠されていた、残酷ざんこくな絵巻物語をこころよくは思わなかったようだ。大体だいたいにおいて、私たちは上手く付き合ってきたつもりだが、そこだけは分かち合うことができなかった。

 私の眼にはこの上なく美しく見えるものも、友人にとってはそうでもないらしい。友人が隠匿いんとくしてしまったのか、蔵を管理する親族が処分してしまったのか――いずれにせよ、絵巻の行方ゆくえようとして知れない。それが、残念でならない。

 女の無残絵むざんえが一柱の神を描いたものであるということは無知な私でも理解できた。野椎神のづちのかみとは鹿屋野比売神かやのひめのかみの別名であり、「れい」を意味することもほどなくして知れた。野椎神のづちのかみ大山津見神おおやまつみのかみ妻神さいしんでもある。夫妻はそれぞれ野と山をつかさどる神々であり、豊かな草木そうもく繁茂はんもする原始世界を統治する、やんごとなき存在であるということになる。

 そのとうとい血統を継ぐ女神が、不可思議なことに見るも無惨むざんな姿で描かれている。はっきりとした明暗の対照コントラストが私の心を奇妙にきつけた。

 とり山石やませきえんの妖怪画本である『今昔画図続百鬼こんじゃくがずしょくひゃっき』の中に、野槌のづちという怪異が紹介されている。いわく、「野槌のづち草木そうもくれいをいふ。又沙石集させきしふに見えたる野づちといへるものは、目も鼻もなき物也といへり」とある。鎌倉時代に編纂へんさんされた説話集である『しゃ石集せきしゅう』には野槌のづちを次のように説いている。


    野槌のづちトイフハつねニモナキけだものナリ。

   深山之中しんざんのなかまれニアリトいへリ。かたちだいニシテ。目鼻めはな

   手足てあしモナシ。ただくちばかリアルものひとリテくふ

   いへリ。


 山野をべるたっとい神は悠久の時を経て、草木そうもくに宿る得体えたいの知れない精霊にまで、身をやつしたことになる。目と鼻をおとされ、手と足をむしられた、痛々いたいたしい女神の絵姿には意味があり、単なる嗜虐しぎゃく趣味しゅみる品物ではなかったわけである。

 野椎神のづちのかみ御仏みほとけ威光いこうを前にしてひざを屈した。原始をつかさどる神々の力も文明の魔法にはかなわなかったらしい。しいたげられ、おとしめられ、はずかしめられた女神の哀しみが一軸いちじくの絵巻の形となって結晶けっしょうしたという感じすら覚える。

 にもかくにも、あの絵巻との邂逅かいこうが、私の生き方を大きく変えてしまった。ある種の怪奇主義と神秘主義が私の世界をきらびやかにいろどり、次第に絢爛けんらん豪奢ごうしゃな空想をもてあそぶようになっていった。

 露店ろてん風鈴ふうりんや異国のコインを蒐集しゅうしゅうするようになったのも、その時分のことだったはずだ。そのころの私は美しいもの――しかも、一握いちあくの毒を含んだものに飢えていた。万華鏡のようにきらめき、移り変わる壮麗そうれい光芒こうぼうの世界にあこがれたものである。

 私は子どものころに妄信した御伽おとぎばなしを、夢語ゆめがたりのままで終わらせたくなかったのかもしれない。あの絵巻のように手で触れることのできる確かな物としてに残したかった。

 いつの間にか、私はカンバスに向かって、一心不乱いっしんふらんに絵具を塗りたくる者になっていた。手解てほどきをなしてくれる人々にも恵まれたこともあり、東京の芸術大学に進学してから、いくつかの賞も受賞した。しかし、私の心に巣食すくう空虚は容易よういには満たされそうにない。

 あの一軸いちじくの絵巻が私の心を始終しじゅう悩ませている。美しくもむごたらしい女神の無残絵むざんえが忘れられない。あこがれたたましいが返ってこないのである。私のたましい野椎神のづちのかみと共に深山しんざんの中をさ迷っているに違いない。

 アトリエの壁を飾るのは、十六世紀の欧州おうしゅうを生きた匠の芸術である。ルーカス・ファン・レイデンやポワロ・ド・ラングルの版画に囲まれながら憂うつをめる。肉体から抜け出たたましいを取り戻すために、私は何をすべきなのだろうか。しかし、ほどなくして、解答は導き出された。あとは試行しこう錯誤さくごを繰り返すだけである。

 ホーム・センターで電動ノコギリとゴム管を購入した。頑丈がんじょうなだけがの大きい鉄の机を工房こうぼうの中央にしつらえれば、準備は整ったようなものである。

 次は素材をどこで入手するか。できるだけ美しくすこやかなものである方が望ましい。だが、それもさしたる障碍しょうがいではない。市井しせいは人であふかえっているのだから。

 ――野槌のづちを生むのだ。そして、山にささげるのだ。深山しんざん草木そうもくに宿る精霊ににえささげるのだ。あの絵巻に描かれた女神にかしずくのだ――

 アトリエとして建て直した蔵に積もった塵埃じんあいが、明り取りから差し込む月光に照らされて、キラキラと輝きながら舞っている。鼻腔びくうを満たす顔料がんりょうの臭いがなつかしい記憶を呼び起こした。私に芸術を指南しなんしてくれた先生との思い出が脳裏のうりで明滅を繰り返す。

 ――あの子と交わした約束を果たそう。彼を野槌のづちにしてしまおう。目と鼻を焼き潰し、手と足を切り取ってしまうのだ――

 遠くの森で夜鷹よたかの鳴き声が響いている。ポワロ・ド・ラングルの境界柱テルメが私に微笑みかけている。私は備え付けたソファに身を横たえると、匠の芸術に見守られながら、安らかな眠りへと落ちていった。朝になれば、せわしない仕事が始まるはずだ。それまでは、静かな夜をたのしもうではいか。



 三、錯綜さくそう


 はい、間違いありません。私の名前でございますか。牟田亜希子むたあきこと申します。ええ、牟田巧むたたくみは私の従兄いとこです。

 まさか、こんなことになろうとは思ってもみませんでした。それは、昔から、ちょっとばかり風変わりと言いますか――奇矯ききょうなところはございましたが、不思議なほどおとなしい方でした。新聞の記事を見て吃驚びっくりしてしまったくらいです。もっとも、従兄いとことは疎遠そえんになっていましたから、確かなことではございませんけれど……。

 牟田むたの一族は薬師くすしの血統で、私を含めて多くの者が、医師として病院や大学に勤めています。ですが、先ほども申し上げた通り、従兄いとこたくみは少しく変わったところがございまして、幼いころからよく絵を描きました。本気で画家をこころざしていたようです。東京の芸術大学に進学して、いくつかのコンテストにも入選したとおよんでおります。

 大学卒業後、当人は大学院に進むことを希望していたようですが、叔父おじがこれを道楽どうらくと見なしていたこともあって、こうから反対されました。叔父おじ仲違なかたがいしたのち従兄いとこたくみがどこへ出奔しゅっぽんしてしまったのか、長いことれずじまいでしたが、刑事さんはもうあの人を見つけたのでしょうか。

 えッ、まだ見つかってないのですか。犯行現場を特定している――山梨やまなしけん県富士山麓ふじさんろく寒村かんそん。ああ、祖父母そふぼ生家せいかですね。そこが犯行現場……。

 そういえば、思いあたる節がございます。祖父母そふぼがまだ存命しておりましたころ、従兄いとこたくみはよく蔵に忍び入っては、古い写本しゃほんやら焼物やきもの軸物じくものを熱心に研究していたらしいのです。と言っても、もう随分と以前のことでございます。良い物を見せてやる、とそそのかされて連れて行かれたことが何度かございます。

 祖父そふ古物こぶつ蒐集家しゅうしゅうかでしたので、蔵の中には種々しゅしゅ雑多ざったな品々が押し込められておりました。いわくありげな代物しろものも多くございまして、従兄いとこ一軸いちじくの絵巻に随分と執心しゅうしんしていたようなのです。その軸物じくものをジッと凝視ぎょうしする横顔をちらりと見掛けた記憶があります。

 絵巻の内容でございますか。さあ、悪趣味なものでしたね。不気味な絵という印象しか残っておりません。なにせ、幼いころのことですからねえ。

 一度だけ、従兄いとこが描いた絵を見たことがあります。大学生のちょっとした手習てならいみたいなものだったらしいですが――怪奇主義とでも申しましょうか――ああいうのをとでも呼ぶのでしょうね。グロテスクな絵でした。手足を切断された女性の姿だったと記憶しております。今、思えば確かにあやういところもあったようにも感じられます。

 牟田家むたけ二三にさんの人をのぞいて、美術のことには無知でございます。彼を理解してなかったのは私どもの方だったのでしょう。医師として彼の苦悩を見抜けなかったのは残念でなりません。

 今となっては一刻いっこくも早く、事件が収束しゅうそくしてくれることを祈るばかりでございます。被害者の方々のご遺体は見つかっていらっしゃるのでしょうか。新聞の記事では随分と凄惨せいさんなご様子であるように書かれてましたから。何でも、ご遺体はひど損壊そんかいなされているとか。あれは真実なのでしょうか……。

 そうですか。蔵から切断された男性の手足が見つかりましたか。おぞましい事件でございます。ご遺族の方にはなんとおび申し上げたらよいのでしょう。責任を感じない日はありません。ああ、まったなんということを――取り乱してしまって申し訳ありません。すみませんでした。でも、もう大丈夫ですわ。話を続けましょう。

 と申し上げましても、牟田巧むたたくみとは疎遠そえんになっておりましたので、詳しいことは存じ上げません。思い出すことといったら、幼いころの記憶ばかりでございます。彼がどこに身を隠しているのか、皆目かいもく見当けんとうもつきません、それでも、刑事さんのお役に立てるのなら、もう少しだけお話ししましょう。

 従兄いとこ祖父そふ血筋ちすじを色濃く継いでいたようです。二人には蒐集癖しゅうしゅうへきとでも申しますか、奇妙なほど物に執着しゅうちゃくする性格をしておりました。祖父そふ金満家きんまんかでございましたから、種々くさぐさ古物こぶつあさっては、蔵にむことを繰り返していました。

 祖母そぼ筆頭ひっとうに、多くの親類のなやみのたねとなっておりましたが、まごたくみくせは罪のないものでした。異国いこく情緒じょうちょの漂う舶来品はくらいひんを好んで蒐集しゅうしゅうしていました。キラキラと輝くガラス玉や硬貨などを、お菓子の缶に大事そうに閉まっておりました。

 一時、私はその宝箱がうらやましくて仕様しようがありませんでした。年に数度しか顔を合わせない従兄いとこふところから、それを盗み取るのはわけないことのように思えました。愚かなことにも、ある年の正月に、私は我慢できず、従兄いとこの荷物の中身をあばいてしまいました。

 お菓子の空き缶の中には、期待きたいした通りの宝物が一杯いっぱいに詰め込まれおりましたが、意外な品も紛れ込んでいました。それは、一葉いちようの写真でございました。それは、肌理きめの細かい白磁はくじの肌をあらわにした紅顔こうがんの美少年の写真でございました。

 私は従兄いとこの聖域に無断で踏み入ってしまったことをさとりました。すぐにかんふたを閉めて元の通りに戻すと、なにわぬかおよそおって宴席えんせきに着きました。ですが、その日以来、自然と従兄いとことは疎遠そえんになっていったという具合ぐあいでございます、

 私も医師を生業なりわいとしている身の上ですから、性的せいてき指向しこうを問題にして個人の性情せいじょうを論じるつもりはありませんが、牟田巧むたたくみには同性愛どうせいあい――それも少年を対象にした――の傾向けいこうがあったように思えてならないのです。考えてみれば、あの人も随分と思い悩んで生きていたのかもしれません……。

 私が牟田巧むたたくみについて知っていることは、これで全てだと思います。刑事さん方のお役に立てず、申し訳ございません。ああ、丁度ちょうど、お友達が到着とうちゃくしたみたい。

 こちらは三枝万里さえぐさまりさんとおっしゃる方で、私の幼馴染おさななじみの一人ですの。そういえば、万里まりさんも東京の美術大学で絵画かいがを学んでいらっしゃいましたよね。確か、十六世紀の西洋美術を専攻せんこうなさってらしたとか。あら、違ったかしら。芸術には不案内ふあんないなものですから、どうか許してちょうだい。

 あら、もうこんな時間なのね。刑事さん、牟田巧むたたくみのことをお願い致します。一日でも早く、事件が解決されることを祈っております。捜査にはいつでもご協力いたしますわ。それでは、本日ほんじつ失礼しつれいさせていただきます。さようなら……。



 四、手記しゅき


 一九九八年六月七日 曇天どんてん


 破滅はめつという二字が激しい明滅を繰り返しながら、脳髄のうずいの裏側をジリジリと焼いている。

 報道と警察は牟田巧むたたくみ行方ゆくえ躍起やっきになって追っているらしいが、いずれは彼の無実に気が付くはずである。山梨やまなしけん県富士山麓ふじさんろくにあるアトリエは警察の手に落ちたようだ。牟田巧むたたくみの身体の一部もきっと見つけるに違いない。いつだって、時間との戦いなのだ。

 両親からさずかりいだめぐまれた容姿のおかげで男たちは勝手に寄ってきた。十秒間ほど瞳を見詰めた後に、ちょっと微笑んでみせれば、大体だいたいの男は勘違かんちがい――好感を持たれているという誤解――を起こして接近をはかってくる。

 媚態びたいつくろってさそえば、どこへだって連れて行けるし、ずかしげにキスをしてみせればどんな嘘も誤魔化ごまかせた。葡萄ぶどうしゅどくることだって容易たやすい。後は試行しこう錯誤さくごの数だけ練度れんどは増していった。

 必要な毒薬は全て、牟田亜希子むたあきこが手配し、外科手術の知識も彼女が指南しなんしてくれた。


 赤ワインにエスタゾラムを十二ミリグラムほど混ぜて男に飲ませる。昏倒した男を工房こうぼうの作業台にせる。四肢ししの根元をゴム管できつくしばげる。リドカイン、或いはジブカインを神経しんけいかんに注射して伝導でんどう麻酔ますいを施す。電動ノコギリを使って四肢ししを順序良く切断する。刃先を焼いたナイフで眼球がんきゅう鼻茎びけいす。肉の管とかした男を車に乗せて山に運んでてる。こうして、一匹の野槌のづち出来上できあがるわけである。


 牟田亜希子むたあきこは実によくくしてくれたと言える。彼女によって私は少なからず救われていた。

 牟田亜希子むたあきこ従兄いとこたくみを心の底から呪っていた。幼いころに彼の秘密をあばいてしまったことをきっかけに、亜希子はしばしば悪戯イタズラをされるようになったという。亜希子がそれを罪深つみぶかい行為だと知ったのは随分と後になってからのことだったらしい。

 たくみは彼女が知恵を身につけるまで貪婪どんらんに肉体をらい続けた。彼は巧妙こうみょうに罪を隠蔽いんぺいしていたと言えよう。彼の謎めいた微笑は薄い皮膜ひまくとなって肉体の臭気をおおかくしていた。

 牟田巧むたたくみを殺してほしいと亜希子は言った。私は富士山麓ふじさんろくにある牟田家むたけの屋敷を自分の工房こうぼうにしたいと願った。亜希子にとってそこはまわしい記憶の源泉げんせんでも、私にとってはゆかしい思い出の故郷こきょうでもあった。もう一度、あの絵巻を手に取ってみたい。あこがれたたましいを取り戻したい。野椎神のづちのかみと共に深山しんざんまどたましい行方ゆくえを追いたい。それが、私の唯一の願いであった。

 牟田亜希子むたあきこ従兄いとこたくみを憎んでいることは知っていた。しかし、私は彼を恨んではいなかった。亜希子が姦淫かんいんの事実を告げるまで――幼いころに絵の手解てほどきを受けたこともあり――少なからず、私は彼のことをこのましくも思っていたのだ。

 しかし、牟田むたの蔵から絵巻が失われていることを知って決意が固まった。欠落けつらくしたものを補填ほてんしようという情念じょうねんほむらが激しくさかった。数少ない友人が嘆願たんがんする姿が私の背中を押しもした。きっかけは何でもよかったし、相手は誰でもよかった。また、そう考えてしまうほど、私は追い詰められてもいた。

 ある日、脳天のうてん穿うがつようなひどい頭痛に襲われて、たまらず病院に駆け込み訴えた。牟田亜希子むたあきこ横浜よこはま市の浦舟町うらぶねちょう界隈かいわいの大学病院に勤めていることは知っていた。

 いくらかのレントゲンと採血検査の結果を見て、医者たちはぐに入院の段取りを整えはじめた。精密検査が洗い出した病状は暗然あんぜんとしたものだった。

 久闊きゅうかつじょするいとまも与えられないまま、友人に余命を宣告された。身辺の整理を勧められたが、生憎あいにく、私は天涯てんがい孤独こどくの身の上である。胸にぽっかりと穴が空いた感じがした。

 牟田亜希子むたあきこ哀願あいがんに打算的な臭いを感じなかったと言えば嘘になる。彼女は明らかに死の瀬戸際せとぎわに立たされている人間を利用しようとしていた。だが、不思議と不快ではなかった。亜希子もまた従兄いとこと同様に牟田むたの一族のいでいたということに違いない。ある種のいさぎよさが彼女の涙にはあった。

 私は自身の行状ぎょうじょういてはいないし、つぐなおうとも考えていない。それが罪深つみぶかなことであることは理解しているつもりだ。きっと、私のたましいすくわれることはないし、ゆるされることもないのだろう。そんなことは期待きたいしていない。それに、私は自身の仕事におおむね満足しているのである。

 野槌のづちをつくり、御山みやまささげるたびに、さ迷うたましい軌跡きせき辿たどることができる。これは一種の人身御供ひとみごくうであり、私は神事しんじおこな巫女みこなのである。目と鼻を潰され、手と足をおとされ、名前まで奪われたあわれむべき一柱の女神――野椎神のづちのかみつかえる乙女おとめが私なのである。それは、とても光栄なことのように思えた。

 太古たいこの日本には蛇巫へびふという巫女みこが存在したらしい。彼女らはへびかみたてまつ乙女おとめであり、蛇を神の化身けしんと見なし、ねんごろに飼育しては神蛇しんだとしてまつったという。古来こらいより、蛇は不死と生命の象徴であり、畏怖いふ崇拝すうはいの対象でもあった。 

 山の神の姿を蛇体じゃたいとする説もある。三諸山みもろやま大物主神おおものぬしのかみがその典型だ。蛇巫へびふはそういった荒ぶる山の神をしずめる役をになっていたのだろう。野槌のづちもまた異形いぎょうの蛇の姿で描かれる場合が多い。いびつがった経緯いきさつではあれども、私もまた野椎神のづちのかみなぐさめる蛇巫へびふであると言えるのかもしれない。そんなことを考えた。

 牟田亜希子むたあきこ浦舟町うらぶねちょうの喫茶店で警察と何を話していたのかは分からない。だが、捜査の包囲網は徐々じょじょせばめられつつあるようだ。私の身が破滅はめつする日も遠くはないと思う。

 きっと、多くの有識者ゆうしきしゃが物知り顔で、「三枝万里さえぐさまり」という殺人犯の脳内を解剖かいぼうし、聖域を踏み荒らすのだろう。野椎神のづちのかみはずかしめられ、おとしめられ、そこなわれるに違いない。だが、彼女の崇高すうこうさは泥中でいちゅうはすのように、けがれにまみれることで花咲く、《被虐ひぎゃく》を源泉げんせんにしている。そこに、ある種の蠱惑的こわくてきなヒロイズムを感じる。

 私は奥山おくやま草叢くさむらけて這う野槌のづちたちの姿を思い出していた。私の細腕ほそうでの中で生まれて、捨てられていったいとしいたち。彼らはけものに食われ、糞屎ふんしとなって大地にかえり、草木そうもくれいと化して御山みやま宿やどるのだろう。そうなることを祈っている。

 深い満足感にかりながら、きらめいて移り変わる荘厳そうごん光芒こうぼうの世界に思いをせる。鹿屋野比売神かやのひめのかみあこがれた私のたましいは、今もなお、野槌のづちと共に山の中をさ迷っているらしい。夜鷹よたかせつなくさみしい鳴き声が遠くで響いた気がした。


 横浜よこはまし市馬車道ばしゃみちのホテルにて記す。

 三枝万里さえぐさまり


                                                      (了)


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