枕返し

 死し如くよくるゆゑか目覚むれば

         南枕も北とこそなれ   南向堂 

    

         『狂歌百物語三篇・枕返シ』より



一、古屋敷ふるやしき


ログナンバー・220401

 

――KEYさんがログインしました。


KEY:ご無沙汰ぶさたしております。ようやく、

    身辺の整理がついたので、ご挨拶に来ました。

 風船:おお、新しい生活が、ついに始まったようだね。

    そっちは岩手県だったっけ。

 マロ:こうしてチャットするのも久しぶりな気がする。

    お祖母ばあさんのことは残念だったけれど、新しい土

    地で心機しんき一転いってんして暮らし始めるのも良いのかもし

    れない。

KEY:はい。れないことばかりで、少々、疲れてもい

    ますが、腐ったような生活を送っていた頃よりは

    幾分いくぶんかましになったと思います。

 風船:前向きになれたようで良かったよ。こっちにいた

    時は本当に辛そうだったからね。もう、新しい就

    職先は見つかったのかな。

KEY:いや、まだ見つかっていませんね。バタバタして

    いたので、就職先を探すひまもないくらいでした。

    でも、実家の管理をしてくれるなら、しばらくの

    間は生活費の援助をする、と言ってくれる親戚が

    いるので助かっています。

 マロ:まあ、人生は色々とあるからね。生きているだけ

    でも立派なもんだ。それより、疲れていると言っ

    ていたけれど、実家の管理って具体的には何をし

    ているのかな。

KEY:今のところはひたすらに掃除をしています。広い

    うえに古い屋敷なので、いくら時間を掛けても終

    わらないのです。生前の祖母そぼはかなりの高齢だっ

    たこともあって、部屋や道具の整備にまで手が回

    らなかったようなのです。

 風船:これから冬をむかえるわけだし、そんなに古い家な

    ら、きちんと準備しておかないと大変なことにな

    りそうだね。

KEY:はい。いまだにまきだんる必要がある古屋敷ふるやしき

    すからね。囲炉裏いろり火鉢ひばちの使い方なんて、初めて

    知りましたよ。都心から離れている地域なので、

    ネットや電気を繋げるのも一苦労ひとくろうでした。

 マロ:お疲れ様です。まあ、休める時に休んだ方がいい

    と思う。苦労は買ってでもしろ、とは言うが嘘も

    いいところだね。生きていくだけで苦労は積もる

    ものなのに、みずか背負しょいいこむのはバカバカしい。

KEY:全く同感です。ここまで来るだけでも随分ずいぶんと苦労

    しましたよ。それが原因してか最近は妙に夢見ゆめみ

    悪くてしょうがないのですよね。思っているより

    も疲れているのかもしれません。

 風船:新天地での暮らし向きに疲れているのかもね。

    れないことも多いみたいだし。

 マロ:かもしれないな。具体的にはどんな夢を見るのか

    な。

KEY:あくまでも夢の話なので、目が覚めた時には、大

    体のことを忘れてしまっているのですが、知らな

    い屋敷に迷い込むというか、一人取り残される夢

    ですね。

 風船:今、住んでいる実家のことじゃないのかな。

KEY:違います。間取りが全然違いますから。それに僕

    が管理している屋敷よりも古い感じがします。くわ

    しくは覚えていないのですが。

 マロ:夢とは記憶の蓄積が無意識下に表出したものだ、

    と聞いたことがある。それもどこかで見たり行っ

    たりしたことのある場所の記憶なんじゃないか

    な。

KEY:そう言われてしまえば心許こころもとないのですが、思い

    あたるフシが少しもないのです。それに妙に不安

    になる夢で、ちょっとだけ困惑していたりもしま

    す。勝手かってらない屋敷の中をぐるぐるとあても

    なくさまよい歩くだけなのですが、僕の他にも屋

    敷の内に誰かがひそんでいるような気がして、必死

    になって逃げているみたいな。

 風船:それはちょっと気味が悪いね。そういう夢を頻繁ひんぱん

    に見るのかな。知らない屋敷の中に一人取り残さ

    れて、何者かからまどうような夢をさ。

KEY:頻繁ひんぱんに見ます。夢の話なので記憶が曖昧あいまいですが、

    現れる屋敷は同じ場所だという気がします。一週

    間のうちに二回から三回ほどの頻度ひんどで知らないは

    ずの屋敷の中を歩かされています。

 マロ:やっぱり、新生活が影響しているように思える

    んだよな。ゆっくり休んで忘れてしまうのが一

    番なのだろうけれど、夢の中まで侵蝕しんしょくされてし

    まっているようなら逃げ場がないよな。

 風船:やすらげる場所がないのは辛いだろうね。かなり

    疲れているような気がするんだよなあ。寝ても

    覚めても家に取り憑かれているように感じる。

    外出して遊びに出かけるのも一つの手段だと思っ

    てみたりしている。

KEY:遊びに行きたくても、こちらに越してきたばかり

    なので、金銭的な余裕がないのですよね。実家の

    整理と管理をするという名目で親戚から援助して

    もらっている身分なので、自由気ままに振る舞う

    わけにもいかないのです。外聞がいぶんを気にしてしま

    う。

 風船:思ったよりも複雑な事情があるみたいだね。

 マロ:微妙な立場にいることは理解したよ。

KEY:気をつかわせてしまったのなら申し訳ありません。

    それにしても、一体いったい全体ぜんたい、何なのでしょうね。

    やっぱり、覚えていないだけで見たり行ったりし

    た経験がある場所の記憶なのでしょうか。 

 マロ:まあ、ちょっとだけ不思議な世界の話になってし

    まうのだけれど、全く思い当たらない事ではな

    かったりする。困惑しているところに神秘しんぴ上塗うわぬ

    りするようなマネはしたくないのだけれど。

 風船:実は私も何となく思いあたるフシがあるんだよ

    ね。岩手県で夢の中に現れる古屋敷の話と聞いた

    ら、あれを思いつくよね。確か、柳田國男の『遠

    野物語』だっけ。

KEY:気になります。教えてください。

 マロ:俺もさほどくわしいわけじゃないんだけれど、岩手

    県の遠野とおのの地域は民話の里と呼ばれるくらい伝承

    や説話が多く残されている。その中には山間やまあいに現

    れるという不思議な古屋敷ふるやしきの話があるんだよ。一

    般に「マヨヒガ」と呼ばれているな。

 風船:「マヨヒガ」は訪れた者に富を授けるともわれ

    ているね。たいそう、立派な屋敷なのに人気ひとけはな

    い。部屋の中には食器が山のように収められてい

    る。その食器の一部を持ち出して使えば、穀物が

    どこからともなく現れて尽きることがないそう

    な。

 マロ:まあ、大体はそう言われているね。その食器を

    はかりに用いればケセネ(穀物)は尽きないというの

    が正しいのだけれど。柳田やなぎだおうの『遠野物語』には

    そう記されている。

KEY:僕の見る夢もそういったたぐいのものなのでしょう

    か。幸福のきざしのようには思えないのです。本当

    に薄気味悪い場所なのです。

 マロ:まあ、「マヨヒガ」も気味の悪い屋敷だと言われ

    ているし、山男やまおとこなんじゃないかと疑れ

    るくらいには。もしかしたら、夢に見る屋敷もそ

    の範疇はんちゅうなのかもしれない。

 風船:気休めにしかならないのかもしれないけれど、必

    要以上におびえなくてもいいんじゃないかな。

    一度、夢の中を散策してみて、食器の部屋がある

    かどうかだけでも確かめてみてもいいかも。

KEY:今のところ弊害へいがいがあるような状態でもないので、

    また夢に見たら思い切って屋敷の中を調べてみよ

    うかな。自由に探索できるかどうか分かりません

    が。明晰夢めいせきむというわけでもないので、思い通りに

    動けないのです。

 マロ:夢の中の話だから、仮に食器の部屋を見つけたと

    しても、実際に持ち出せるとは思えないけど、

    「マヨヒガ」だとしたら幸運のきざしくらいに思え

    れば充分なのではないかな。少なくとも、おびえる

    対象ではないわけだし。

 風船:そうだね。あまり力になれなかったようで申し訳

    ない。何にせよ、また会えて嬉しいよ。れない

    こともあるだろうけれど、ひまがあったらお話しし

    ましょう。

KEY:はい。ありがとうございます。よるけてきたの

    でおいとましますね。何か進展があったら報告しま

    す。それでは失礼します。


 ――KEYさんがログアウトしました。




二、大黒柱だいこくばしら


ログナンバー・220521


――KEYさんがログインしました。


 風船:おお、久しぶりです。そっちでの生活には

    てきたかな。

 マロ:久しぶりだな。何か進展はあったのか心配してい

    たところだ。ゆっくりとしていくといいよ。

KEY:お気遣きづかいありがとうございます。相変わらずと

    言った感じですかね。奇妙な夢見ゆめみが続いていて、

    何だか疲れています。起きているのか、眠ってい

    るのかよく分からないこともあります。

 マロ:すっきりと起きられないような感じかな。

KEY:それもあるんですが、起きたと思ったら夢の中

    だったり、夢を見ていると思ったら覚醒かくせいしていた

    り、現実と夢の間をきつもどりつしている感じで

    す。ちょっと不眠気味でもあります。

 風船:ふむふむ。かなりお疲れのご様子ですね。あれか

    ら連絡がなかったから、みんな心配していたん

    だ。

 マロ:あれから少しだけ調べてみたんだけれど、あまり

    夢の深追いはしない方がいいのかもしれない。

KEY:ありがとうございます。でも、一度でも気になっ

    てしまったら解答を導き出さないと納得がいかな

    い性分なんですよね。

 風船:相変わらず、古屋敷ふるやしきの夢を見るのかな。

KEY:はい。段々と鮮明になっています。記録を残すよ

    うにしていますから。夢の記録は良くないと聞い

    たことがありますが、好奇心には勝てない感じで

    すね。

 マロ:さっきも言ったけど、夢の深追いは止めた方がい

    いと思う。あの時は無責任なことを言ってしまっ

    てすまなかった。

KEY:謝るようなことではないですよ。いずれにせよ、

    執拗しつよう古屋敷ふるやしきの夢を見るようなら、理由や原因を

    調べるつもりでいました。遅かれ早かれ同じこと

    をしていましたよ。

 マロ:俺は医者じゃないから確実なことは言えないけれ

    ど、あまり夢見ゆめみが悪いなら医療を頼ってもいいの

    ではないかな。

 風船:それには同意見だね。現実と夢の境界が曖昧あいまい

    なっているようなら医療を受けた方がいいと思う

    よ。

KEY:お気持ちは有難ありがたいですが、大丈夫だと思います。

    それに、少しだけですが夢の中の古屋敷ふるやしきの全容が

    分かってきたところでもあるのです。夢とは無意

    識下の記憶の表出と言っていましたね。

 マロ:言ったね。覚えているよ。

KEY:あれは、たぶんですが、正しいのだろうと思いま

    す。厳密には見たり行ったりした経験はないので

    すが、夢の中の古屋敷ふるやしきはおそらく岩手の実家と同

    じ記憶を源泉げんせんとしているのだろうと思います。

 風船:あれ、この前は違うって言ってたよね。

KEY:確かに、夢の中の古屋敷ふるやしきと現実に僕が管理してい

    る屋敷は間取りなどが大きく違っています。

    でも、一つだけ共通している箇所かしょを見つけたんで

    す。

 マロ:夢の中の古屋敷ふるやしきと現実に存在する屋敷との間に共

    通項を見つけたということかな。

KEY:はい。間取りは違っていても柱の位置が同じ

    でした。大黒柱だいこくばしらというのでしょうか。細かな傷

    や色は違いますが同じなんです。

 マロ:よく分からないな。夢の中の古屋敷ふるやしきと現実に管理

    している実家の大黒柱だいこくばしらに類似点が見られるとい

    うことかな。それで二つの屋敷は同じ建物だと解

    釈したのかな。

 風船:間取りが違うなら別の場所なのではないかな。夢

    が無意識下の記憶の表出というなら、一度は

    古屋敷ふるやしきを訪れたことがあるということでしょう。

KEY:僕も困惑しました。確かに夢の中の古屋敷ふるやしきは見覚

    えのない場所です。それで、ちょっと親戚に訊ね

    た上で実家の中をき回して調べてみまし

    た。

 マロ:ふむ。それで何かを発見したのかな。

KEY:どうやら、今の実家は戦後に新しく普請ふしんされたも

    のらしいことが分かりました。具体的には昭和二

    十年より前には、全く違った造りの建物だったら

    しいのです。でも、さすがに全改築というわけに

    はいかなかったらしく、大黒柱だいこくばしら等の位置は変

    わっていないようなのです。

 マロ:それはちょっと興味をそそがれるね。以前はどんな

    造りの家だったかは分からないのかな。

KEY:見取り図のようなくわしい情報は戦後の混乱で消失

    してしまったようですが、蜘蛛くもの巣だらけのくら

    の中から古い写真をいくつか見つけました。夢に

    見る古屋敷ふるやしきと似ています。

 マロ:つまり、夢に現れる古屋敷ふるやしき普請ふしんされる以前の実

    家の記憶だったということか。

 風船:でも、そんなことがあり得るのかな。知らないは

    ずの屋敷の様子を何の情報もなしに夢に見るなん

    てことが。

KEY:不思議な事ですが、今となったら、そうとしか考

    えられません。夢の中に現れる古屋敷ふるやしきは過去の記

    憶としか考えられないのです。勿論もちろん、僕は過去に

    古屋敷ふるやしきを訪れたことはありません。矛盾してます

    が、管理している現実の屋敷が夢を通じて、過去

    の姿を僕に見せているのではないか、と思ってい

    ます。

 マロ:とりあえずそれは、置いておくとして、何か身体

    の不調とかないのかな。大分、疲れているように

    も思えるのだけれど。

KEY:はい。目に見えた体調の不良はありませんが、寝

    相が悪くなったのか、目が覚めたらとんでもない

    恰好になっていることがあります。

 風船:まさか、夢遊病むゆうびょうというわけではないよね。

KEY:そこまでひどくはないと思います。布団の中

    でひっくり返っていたり、上下じょうげさかさまになってい

    たりするくらいですよ。北枕きたまくらは縁起が悪いので

    目覚めた時に、ちょっとだけ嫌な気分になる程度ていど

    のことです。

 マロ:それならいいのだけれど。あまり夢を詮索せんさくしない

    方がいいのかもしれない。無責任なことを言って

    しまって申し訳ない。

KEY:謝らないでください。初めこそ、よく分からない

    夢を見ておびえていましたが、今となっては、そこ

    に暮らしていた親族の息遣いきづかいが伝わってくるよう

    で、何だか懐かしい気分になることもあります。

    奇妙な夢見ゆめみが続いていますが、その内にれてく

    るのだろうとも思っています。

 風船:それなら、まあ、よかったのかな。よく分からな

    いね。

KEY:特別な悪さをするような夢ではありませんし、問

    題はないと考えています。多少は疲れていますが

    じきに治るとも思います。

 マロ:くれぐれも身体を大切にしてくれ。これから冬が

    やって来るわけだし、体調には気を付けておいた

    方がいい。岩手県の冬は寒そうだしな。

 風船:れないこともあって疲れているのだと思う。

    何か困ったことがあったら報告してくれると助か

    るな。こう見えて、私達も色々と経験しているか

    ら、アドバイスできるかもしれない。

KEY:ご心配させてしまったようで申し訳ないです。も

    う少しだけ、見極みきわめてみようと思います。今日は

    お話に付き合って下さり、ありがとうございまし

    た。そろそろ、失礼しますね。また、お会いしま

    しょう。

 マロ:はいよ。またね。

 風船:また会える日を楽しみにしているよ。バイバイ。

KEY:それでは、失礼します。さようなら。


――KEYさんがログアウトしました。




三、葬儀そうぎ


ログナンバー・220625


――KEYさんがログインしました。


KEY:こんばんは。

 風船:こんばんは。こんな夜更よふけにログインするなんて

    珍しいね。さっきまでにぎわっていたんだけれど、

    みんな、明日は忙しいみたいで眠っちゃったみた

    いだね。

KEY:そうですか。

 風船:あれから、ちゃんと睡眠はとれているのかな。み

    んなで心配していたところなんだ。あれから、し

    ばらく会ってないけれど、大丈夫なのかなぁ、て

    ね。

KEY:そうですか。

 風船:元気ないね。何か困ったことがあったら教えてく

    れるとありがたい。私なんかでよかったら、いつ

    でも相談に乗るよ。

KEY:ありがとうございます。話を聞いてくれますか。

 風船:うん。それで何があったのかな。ちょうど、コー

    ヒーをれたところだから、ゆっくりと話を聞か

    せてもらうことにするよ。

KEY:また、例の夢の話になるのですが、段々と鮮明に

    なってきて、どうしたら良いのか分からなくなっ

    てきました。白昼夢はくちゅうむというものを初めて経験しま

    した。ゆめうつつか判断が付かないことって、本当に

    あるんですね。

 風船:真剣な話になるのだけれど、病院に行くことは考

    えているのかな。

KEY:はい、考えました。でも、病院に通うわけにはい

    かない事情ができてしまったのです。実は先日に

    なって就職先が決まりました。非常勤講師として

    私立の中学校で教鞭きょうべんを取ることになったので

    す。

 風船:それはめでたいね。でも、それが病院に通えない

    理由になるのかな。健康のことを考えると通院し

    た方がいいと思うよ。

KEY:いいえ、勤務先に悪い印象をいだかせるわけにはい

    かないのです。私立学校の非常勤講師は、上長に

    良い印書を与えなくては正規雇用されにくい傾向

    があります。少なくとも、勤務実績をしっかりと

    残せるようになるまではせておきたいと考えて

    います。

 風船:そうなのか。それでどんな内容の夢を見るように

    なったのかな。まずは、それを聞くところから始

    めるべきだったね。

KEY:はい。でも、何から話したらよいのか。気味が悪

    くてしょうがないのです。思い出すだけでも、背

    筋が冷たくなるのですが、昨晩の夢の話をしま

    す。

 風船:話しにくかったら無理に思い出さなくてもいいの

    だけれど。大丈夫かな。

KEY:いいえ、たぶんですが、僕自身の中で整理をつけ

    るためにも、話した方がいいのだと思います。聞

    いてください。

 風船:ゆっくりでいいからね。

KEY:はい。昨晩の夢は本当に薄気味が悪い内容でし

    た。というのも、あの奇妙なやかたおく座敷ざしきで、僕の

    葬儀そうぎげられていたのです。僕は僕自身が

    白木造しらきづくりのひつぎの中におさめられている姿を、まざま

    ざと見せつけられたのです。

 風船:ちょっと待って。それは確かに自分の遺体だっ

    たのかな。見間違いや思い込みではないと断言で

    きるのかな。

KEY:はい、断言できます。初めこそ全く意味が分から

    ず、誰の葬儀そうぎが行われているのかも判然としな

    かったのですが、直にこれは僕自身を葬送するた

    めの儀式なのだと知りました。

KEY:のっぺらぼうのように顔のない参列者たちが深く

    項垂うなだれながらひつぎを指さしていました。僕がこう

    きめられたひつぎに近寄ると、彼らは一斉いっせいにクスク

    スと笑い始めるのです。まるで、何も知らない僕

    のことをあざけるかのように、彼らは声を殺して笑っ

    ていました。

KEY:白木造しらきづくりのひつぎの中身を確認し終えると、一人の若

    く美しい女性が顔をせてかたわらにたたずんでいること

    に、やがて気が付きました。女性は鈴を転がすよ

    うな声で僕にそっとささやきかけてくるのです。

 風船:ちょっと待って。落ち着こうか。

KEY:最後まで聞いてください。その女性は経典けいてんを読み

    上げる坊主ぼうずの後ろに立つと、仏壇に置かれた位牌いはい

    を指さして言いました。これは、あなたの位牌いはい

    すよ、と。僕ははっきりと覚えています。

KEY:僕は女性の肩をつかんで顔を上げさせました。他の

    参列者さんれつしゃ連中れんちゅうとは違って、彼女には顔がありまし

    た。その冷たく整った面立おもだちを僕はすでに知ってい

    ました。誰だったと思いますか。

  風船:分からないよ。

KEY:分かりませんか。想像もつきませんか。彼女の正

    体は若返った僕の母親でした。数年前に他界した

    はずの僕の母親だったんですよ。笑ってしまいま

    すよね。夢の中では生と死が転換しているんで

    す。秩序なんてものを求めること自体がナンセン

    スなんです。

KEY:僕は夢の中では死んでいて、現実には死んでいる

    母親から、死を宣告されたのです。生きているは

    ずの人が死んでいて、死んでいるはずの人が生き

    ている。夢の中では生と死がひっくり返っている

    のです。

KEY:夢の中の古屋敷ふるやしきでは全てがあべこべにひっくり

    返っているのです。ようやく、僕はそれに気が付

    きました。僕はひどく混乱しています。もう、生

    きているという実感じつかんかくすら失いつつあります。

 風船:病院に行って医者にてもらった方がいいと思

    う。夢が現実を侵蝕しんしょくしているのなら異常事態だ

    よ。

KEY:僕を異常者だと思っているのですか。

 風船:違うよ。それは違う。

KEY:別にかまいませんよ。僕自身も気が付いているの

    です。これが異常な事態であるということくらい

    分かっているのです。僕はおろか者かもしれないが

    馬鹿じゃない。

 風船:うん。病院に行くべきだと思う。危険をおかすよう

    なマネをさせてしまって申し訳ないと思っている

    よ。就職先のことに関して、助言らしいことは出

    来ないけれど、ここは一度でいいから生活を見直

    して、健康を第一に優先させるべきだと思うよ。

    あくまでも個人的な意見の範疇はんちゅうとして受け止め

    てもらいたい。

KEY:もう、疲れてしまいました。この屋敷に住み始め

    てから、何かが狂いだしてしまったようです。呪

    いなんてものは信じたくありませんが、不吉な感

    じをいだかずにはいられません。心底しんそこ、疲れてしま

    いました。

 風船:心中を察することはできないけど、それでも心配

    だけはさせてね。くれぐれも変な気だけは起こし

    てはいけないよ。まずは、落ち着いて、その家を

    離れた方がいいと思う。

KEY:この屋敷を離れても夢の侵蝕しんしょくが止まらなかった

    ら考えると怖くてしょうがないです。夢遊病むゆうびょうのよ

    うな症状も段々と悪くなってきているようなので

    す。目が覚めると別の部屋にいたなんてことも

    しょっちゅうあります。

 風船:病院に行って、医者に判断をあおぐことから始めよ

    う。また、元気な姿が見られることを願っている

    よ。とりあえずはできることから実践じっせんしていけば

    いいんじゃないかな。

KEY:はい、泣き出したい気分です。寝ている間に屋敷

    内を徘徊はいかいしないように身体をなわしばる必要があり

    そうです。

 風船:本当に変な気だけは起こさないようにね。色々と

    事情はあると思うけど、時間を掛けて治療すれ

    ば、人生も良い方向に転がり始めるかもしれな

    い。

KEY:はい。夜分やぶんおそくにすみません。眠れないとは思い

    ますが、今晩は失礼させていただきます。勝手に

    やって来て、ベラベラとまくし立ててすみません

    でした。

 風船:私は大丈夫だよ。無理に話させてしまったよう

    で、こちらこそ本当に申し訳ないと感じている

    よ。

KEY:いいえ、話を聞いてくださってありがとうござい

    ました。さようなら。


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四、書置き


ログナンバー・220631


――KEYさんがログインしました。


KEY:もう、僕は駄目だめだと思います。

    一度は屋敷を離れてみましたが、夢の中の古屋敷ふるやしき

    は依然として、僕を追い回してみません。

    白昼夢はくちゅうむ頻度ひんども増していくばかりで、こうしてい

    る間もゆめうつつか判然としません。もしかしたら、

    僕はとうの昔に死んでいて、誰かが見ている夢の

    中にのみ存在できる陽炎かげろうのようなものなのかもし

    れない。皆様は夢と現実が交錯し、あるいは転換

    するような経験をしたことがありますか。

    今となっては、僕という存在が徐々じょじょ希釈きしゃくされて

    いくような感覚すらいだくようになりました。僕は

    あの屋敷と黒白こくびゃくをつけなくてはならない気がす

    るのです。これから、あの屋敷に行ってきます。

    皆様とは長い別れとなることと思います。僕は正

    気を失いつつあるのでしょう。どうか、あの屋敷

    には近寄らないことを約束してください。

    そして、僕のことは早々に忘れて下さるとありが

    たいです。

 KEY:追伸ついしん

      興味本位でのぞいてはならない事がこの世にはあ

     ります。あの屋敷にひそむ存在に近づいては

     なりません。あれは夢を侵蝕しんしょくしてらう存在

     です。

     僕は僕自身を取り戻すために屋敷に戻るつもり

     です。それでは、皆様、さようなら。


 ――KEYさんがログアウトしました。




五、焼失


ログナンバー・220703


――風船さんがログインしました。


 風船:こんにちは。

 マロ:こんにちは。

 風船:もう、彼の書置きは読んだかな。

 マロ:読んだよ。今は報道の方を確認していたところ

    だ。

 風船:岩手県の宮古市みやこしおんとくで起きた焼身自殺事件のこと

    だよね。私も今朝になって知ったばかりなんでくわ

    しくはないんだけれど。

 マロ:的場まとば喜一よしかずという名前の男性が、自身が管理してい

    た屋敷に火を放って、焼身自殺をはかったと新聞に

    は書いてあるな。おそらく、彼のことで間違いは

    なさそうだ。そこまで追い詰められていたとは思

    わなかった。

 風船:彼のためにもっとできることがあったのかもしれ

    ないと考えると、悔やんでも悔やみきれないよ。

    まあ、今さらどうしようもないのだけれど。

 マロ:調べてみたけど、彼はまだ亡くなってはいないら

    しい。重症ではあるものの一命を取り留める可能

    性はあるみたいだ。きっと、今は昏睡こんすい状態じょうたいなの

    だろう。

 風船:そこまでくわしく報道していたかな。慌てながら記

    事に目を通しただけだから、読み落としたのかも

    しれないね。そうか、まだ望みはあるのか。

 マロ:いや、たぶんだけど、記事や報道ではそこまで

    くわしくは取り上げていないよ。昏睡こんすい状態じょうたいおちい

    ているというのは、あくまでも直感の範疇はんちゅうに過

    ぎない。

 風船:どういうことかな。

 マロ:実は昨晩の夢枕ゆめまくらに彼が現れてね。いくらかの会

    話を交わしたばかりなんだ。彼は夢の中から抜け

    出せなくなったと言っていた。だから、昏睡こんすい

    状態じょうたいから恢復かいふくしていないんじゃないかな、予想

    している。

 風船:それは奇妙な出来事できごとだね。夢に現れた彼はどんな

    様子だったのか気になってるんだけど、訊ねても

    大丈夫かな。

 マロ:まあ、俺の思い込みかもしれないな。現実では一

    度も会ったことがないわけだし。でも、何という

    か苦しそうだったな。それと、おんとくの屋敷には行

    かないでくれ、と何度もうったえていたことだけは覚

    えている。

 風船:あの屋敷には本当に何かがひそんでいたのかな。

 マロ:分からない。少なくとも、彼はそう信じていたみ

    たいだな。彼は何かに取り憑かれていたのだと思

    う。それが狂気なのか化物なのかは分からないけ

    れど、確かに正気を失うほどに追い詰められてい

    た。

 風船:あまり、深く詮索せんさくしない方がいいのだろうね。彼

    の言う通りに早く忘れてしまった方がいいのかも

    しれない。そう考えてしまうのは薄情はくじょうなのか

    な。

 マロ:ああ、何だか俺は眠るのが怖くなってきたよ。彼

    がまた夢枕ゆめまくらに立っていたらと考えると恐ろしく

    てたまらない気分だ。彼の住んでいた屋敷が焼け落

    ちてくれたことだけが、せめてもの救いだ。

 風船:私も眠るのが怖くなってきた。

 マロ:肥大ひだいする夢はおさえがたいからな。 

 風船:正気と狂気の境目さかいめなんて曖昧あいまいなものだね。乗り越

    えようとすれば容易よういに向こう側へ行ってしまえ

    る。そして、一度でも向こう側へ行ってしまえば

    戻ってくることは難しい。

 マロ:夢の中では境界きょうかい曖昧あいまいになる。がん彼岸ひがん

    ひっくり返ることすらある。彼はそんなことを

    言っていたよ。生と死が逆転するとね。

 風船:これ以上、この話をするのはめておこう。

 マロ:それには賛同するね。飲み込まれてしまいそう

    だ。

 風船:今日はこのまま解散だね。

 マロ:うん。解散だ。


 ――風船さんがログアウトしました。

 ――マロさんがログアウトしました。  


                  (了)








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