百々目鬼

 函関外史云がんくわんぐはいしにいはく、ある女生れて手長くして、つねに人のぜにをぬすむ。たちまちうで百鳥ひやくてうの目を生ず。是鳥目てうもくせい也。名づけて百々目鬼どゞめきと云。外史ぐはいし函関以外はこねからさきの事をしるせる奇書きしょ也。一説にどゞめきは東都とうとの地名ともいふ。


 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より


 一、ある私娼が語る噂話


 ああ、本当にいやになってしまいます。将軍様のお膝元ひざもとと言えば、大仰おおぎょうに聞こえるものですが、江戸という土地は細々としていて、人が生きるには狭すぎるように思えてなりません。華々はなばなしさの裏には泥が川をして流れております。毎日、息が詰まるような思いをして暮らしてますわ。

 それでも、こうして旦那様だんなさまにお声掛けしていただけている間は、幾分いくぶんかは幸福というものなのかもしれません。器量良きりょうよしとまではいかなくとも、人並みの容姿に産んでくれた母には感謝しなくてはなりません。女にとって、容貌の美しさは命そのものです。いくら否定なさっても、それは真実しんじつのように思えるのです。少なくとも、私にとっては真実しんじつですわ。

 近頃、世間を騒がせている盗人ぬすびとも、生まれながらの醜女しこめでなければ、いくらかはましな生涯を送ることが出来たのかもしれません。安永あんえいになっても、巷間こうかんは不吉なうわさあふれています。ええ、回向院えこういんの辺りに出るというおにの話でございます。あら、旦那様だんなさまはまだご存知ぞんじではありませんでしたか。

 このような暮らしを続けておりますと、奇妙な風聞ふうぶんの一つや二つは耳をふさいでいても、嫌でも舞い込んでくるものです。特に女の身の上に関わる沙汰さたについては、人の口に戸を立てられない、といった具合ぐあいで、随分ずいぶんと口さがない事を好き勝手に言いふらしているようです。江戸の女はにもかくにも、三度のお食事よりも流言飛語りゅうげんひごを好んでまないものなのです。

 ほとんどが根も葉もない噂話うわさばなしに過ぎませんが、火のないところに煙は立たない、とも言うように、真実しんじつらしい事も中にはございます。回向院えこういん界隈かいわいに出るという盗人ぬすびとの正体――、あれはおにの血を引く女に違いない、とちまたではささやかれております。あら、笑っちゃ、嫌ですわ。少なくとも、私は信じていますわ。

 る道具屋の主が言うところでは、月夜の晩に隅田川すみだがわから回向院えこういんに差し掛かる道すがら、御高祖頭巾おこそずきん目深まぶかかぶった女と行き会ったらしいのです。

「こんな夜更けに女の独り歩きとは奇妙だな」と思いつつもそばを過ぎ去ると、ふいにふところが軽くなったような感じを覚えた、と聞き及んでおります。

 道具屋の主人が慌てて、ふところを確かめてみるとあったはずの巾着きんちゃくがなくなっていることに気が付きました。

「さては、先刻の女に金子を盗られたに違いない」と思った男が肩をいからせて往来おうらいに戻ると、月明りの下で悠然ゆうぜんと女がたたずんでいるではありませんか。

 道具屋の主が怒りのままに、女の手に握られている巾着きんちゃくを取り上げようとすると、その腕を見るや否や、思わず叫び声をあげてしまったと聞いております。

 女の腕にはおびただしい数の眼が刻まれており、その全てが男の方を、じっとにらみつけていた、というのですから驚きですわ。

 私のようにじゅうと呼ばわれる商売をしている者達からすれば、その女をあわれむことはあれども、決してさげすむようなことは出来ません。父母から授けられた器量きりょうで、ようやく、口をのりするような、瀬戸際せとぎわの暮らしをしているのですもの。おにの血を引いてはいるものの、その盗人ぬすびとも一人の女には違いはありません。さぞかし、にも会ってきたことでしょう。

 器量きりょうさえすぐれていれば身を売ることも出来ます。身を売ることが出来ればお金をいただくことも出来ます。お金がいただければ暮らしを立てることも出来ます。

 すぐれた容姿は女の運命を左右するのです。その盗人ぬすびと無念むねんにも女の命を奪われて生まれ落ちてしまったのです。哀れなことでございます。

 きっと、その盗人ぬすびとの腕には百鳥ももとりせい宿やどっているのです。御仏がおにに暮らしを支える方便ほうべんとして、腕に刻まれた眼目がんもく金銭きんせんせいを授けたのだ、と私達は思っております。回向院えこういんおには今夜も月明りに照らされながら、ささやかな生活を送るために金を盗むのでございましょう。

 ああ、本当にいやになってしまいます。いずれ、私も年老いてみにくくなるに相違そういございません。旦那様だんなさまからお情けを掛けていただけるのも長くは続かない、と思うと宿世すくせの味気なさをしみじみと感じてしまうのです。回向院えこういん盗人ぬすびとうらやましく感じられてしまうのです。江戸という町は地獄です。生きながらにして身を焼かれる地獄なのです。

 あら、そんな風に私を見詰みつめないでくださいまし。今宵こよいは少しばかり、お酒をいただき過ぎてしまいました。取るに足らないじゅう四方山話よもやまばなしだと思って堪忍かんにんしてくださいな。

 でも、どうか、旦那様だんなさま回向院えこういんの辺りで女と出会うことがあったら、見逃してあげてください。あの盗人ぬすびとのことを思うと悲しくてしようがないのです。他人のことのようには思えないのです。

 あら、嫌ですわ。やっぱり、お酒をいただき過ぎてしまったようです。罪人に情けを掛けて、涙を流すなんて、私らしくもありませんね。どうか、堪忍かんにんしてくださいな。


 二、或る道具屋が語る体験談


 はい、回向院えこういんに出るという鬼女おにめの事でございますね。今でも、あの晩の出来事は鮮やかに覚えております。何せ、ひどく奇妙な体験でしたからね。忘れることの方が難しいくらいですよ。

 巷間こうかんではうわさってますが、存外ぞんがいに人間とはいい加減な生類しょうるいであるようで、人伝ひとづてつらなれば、尾花おばなも幽霊になってしまうもののようでございます。回向院えこういんおにの正体も同様です。あの盗人ぬすびとは確かに奇妙な風体ふうていではありましたが、私どもと同じ血の通った人間であることに相違そういないのでございます。

 そこの長屋に居座いすわっているというじゅうが、旦那様だんなさまに何を申し上げたかは知りませんが、くだんの女を目撃した当人が言うのですから、これほど確かな沙汰さたもございますまい。あれは怪力乱神かいりきらんしん魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいではありません。あれの正体は、私どものような商人がきらうべき存在――盗賊団の女頭領おんなとうりょうなのです。腕にられた百の鳥目ちょうもく刺青いれずみがその証拠でございます。

 ご存知ぞんじの通り、商売人は銭を勘定かんじょうすることで、生計せいけいを立てております。商人にとって銭の動きをのがすということはある種のはじですらあります。そこで、大なり小なり、私どもは寄合よりあいのようなものを構えるのでございます。「」といったら大袈裟おおげさかもしれませんが、一種の組合には違いありません。

 人が集まれば自然と様々な噂話うわさばなしわされるものです。大抵たいていめのない四方山話よもやまばなしなのですが、中にはハッとさせられるような剣呑けんのんな話が、横から飛び出てくることもございます。あの女盗賊のうわさもそういった手合いのもので、私どもの間では以前から沙汰ざたされていたのでございます。

 くだんの女盗賊の名は「ドウメキ」あるいは「ドドメキ」というらしく、江戸のどこかで子分たちにかくまわれて、息をひそめているともっぱらのうわさです。

 さて、このドウメキという名の女盗賊ですが、ずいぶんと奇矯ききょう性分しょうぶんをしているようですな。幼き頃より手癖てくせが悪く、日本橋にほんばし辺りで掏摸すりをしては小銭を稼いでいたらしいのですが、そのうちに歯止はどめがかなくなったのでしょう。やがて、宿場しゅくばの客にまぎれて、帳場ちょうばや部屋を荒らすようになっていき、しまいには、押し入った先の旅籠はたご刃傷沙汰にんじょうざたまで犯して金を奪うまでに至った、と聞き及んで入ります。まったく、女の欲望は空を一直線に飛ぶ鳥でございますね。

 女は罪過ざいかで金を儲けると、ついにはみずからの腕に百の鳥目ちょうもく刺青いれずみらせました。鳥目ちょうもくは、私どもの間では、銭の穴のことを指し、ひいては銭そのものを示します。女はみずからの身体に、銭を指し示す刺青いれずみることで、江戸中の金はことごとく自分のものだ、とあんに宣言したのでございます。その姿の妖艶ようえんな事この上なく、またたく間に江戸の盗人達ぬすびとたち魅了みりょうし、いつしか女は盗賊団の頭領とうりょうとして君臨くんりんするようにまでなったのだ、とちまたではひそかにささやかれているのです。醜女しこめであるなど、全くの嘘であるに決まっています。

 私は月明りに照らされてたたずむ女の姿の美しさを知っております。腕に刻まれた鳥目ちょうもく刺青いれずみは、きっと名人にらせたのでございましょう。息を飲むほどに生々なまなましく、またつややかでございました。銭は盗られましたが、良い物を見せてもらったとすら思っております。あれこそ、かね精霊せいれいでございます。醜女しこめであるなど、全くの嘘でございますよ。

 思い返せば、可笑おかしな話でございますな。商人の身としてはいとうべき存在が、美しいというだけで許されてしまうのですからね。まことに人間の美醜びしゅうに関わるごのみは、いかんともしがたいものでございます。大っぴらには言えませんが、おんなと行き会ったことを幸福とすら思っているのです。そういった、異性いせい魅了みりょうする力がドウメキにはございます。

 いや、別段べつだんに肩を持っているわけではありませんが、私もすねに傷のない身の上ではありませんからな。叩けばいくらでもほこりの出る身としては、思うところも種々くさぐさとあるのでございます。じゃみちへびとでも言いましょうか。ことに、くだんの女に関してはねえ。

 ああ、どうかお許してくださいませ。商人の戯言たわごとだと思っていただければ幸いでございます。どれもこれも噂話うわさばなしに過ぎないのです。江戸の人間はどうにもうわさが好きな性分しょうぶんに生まれつくのでしょうな。毀誉褒貶きよほうへんを耳にしない日はありません。どうか、堪忍かんにんしてくださいませ。

 回向院えこういん鬼女おにめの事なら、そこの坊主にでもおたずねする方がよろしいかと存じ上げます。どうやら、旦那様だんなさまはこのうわさにご執心しゅうしんのようだ。旦那様だんなさまが名のある絵師えしであることは聞き及んでおります。次の作品の題材をお探ししているのでございましょう。はい、どうか良き絵が完成することを心より願っております。では、失礼いたします。毎度まいど、ありがとうございました。


 三、或る寺院の僧侶が語る説法


 ああ、江戸に住まう人々のごうの深さを思うと、鬱々うつうつとした心持ちになってしまいます。相変わらず、人々は流言飛語りゅうげんひごを好み、すきあらば、悪口あっこう雑言ぞうごんの限りを尽くして他人をおとしめようとする。

 巷間こうかんでは真実しんじつ虚偽きょぎみだれて、渾然一体こんぜんいったいとなってもつい、根も葉もない話がまことしやかにささやかれ、ついには曖昧模糊あいまいもことした影のごとき存在を恐れる始末しまつです。

 回向院えこういんおに尼僧にそうにしても、そうなのでございます。積もり重なった虚偽きょぎ真実しんじつを覆い隠して、人々の目をまどわせているのにすぎません。どうやら、貴方様あなたさまも道にまどうてなさるご様子ですね。その閉ざされた両瞼りょうまぶたに光を当ててごらんにいれましょう。どうぞ、ごゆっくりしていってくださいませ。

 回向院えこういんおにが出た、といううわさが世間を騒がせているようですが、これは全くの間違いなのでございます。単刀直入たんとうちょくにゅうに申し上げますと、彼女の正体は、とある寺院にてつとめる尼僧にそうなのでございます。俗名ぞくみょうを、ドドメキと申しまして、おの宿世すくせごうの深さをなげき、出家を果たした盗賊の女頭おんながしら――、それが回向院えこういん鬼女おにめの真の姿なのです。うわさたねになってはいけませんので、法名ほうみょうを申し上げることは出来ませんが、大変に徳の高い尼僧にそうであるということだけは断っておきましょう。

 彼女は生まれながらにして身体にさわりをかかえておりました。また、早くから親と死に別れた孤児みなしごであるとも聞いております。三つ歳下の妹と共に、日本橋にほんばし界隈かいわいで、浮浪ふろうも同然な生活を送っていたようでございます。

 か弱い身体に生まれついた姉は、まだいとけない妹を守るために必死でした。彼女が盗みに手を染めたことを誰が責めることが出来ましょう。姉妹は生きるために、他人のふところから銭を盗むほかに仕様しようがなかったのでございます。

 まずしく苦しい一日を繰り返すたびに、姉妹は一つずつ罪を重ねていくことになりました。切り立った岩が風雨にさらされるごとに、次第しだいに丸味をびていくように、姉妹は盗みの手腕しゅわんを磨いていったのでございます。

 やがて、姉妹は江戸の裏でひそかに息づく盗人達ぬすびとたちれて、徒党ととうを組むことを覚えました。商人達が組合をもうけるように、盗人連中ぬすびとれんちゅう利潤りじゅんを分かち合い、牢固ろうこたる立場を築き上げようとしたのでございます。ドドメキはその頭領とうりょうとして働きました。

 しかし、罪業ざいごうというものは積み重ねるごとに、真綿まわたみずからの首を絞めるような苦しみをともなうものでございます。ドドメキは盗賊団の頭領とうりょうになると間もなく、自身を責め立てるようにして、その肉体に百の鳥目ちょうもく刺青いれずみほどこしたのでございます。それは積もり重ねた罪過ざいかへのつぐないだったのでしょう。二度と盗みが出来ないように肉体を傷つけることで、御仏にあかしを立てたのでございます。

 御仏は彼女の身の上をあわれんで、腕にられた刺青いれずみに命を授けたのでしょう。いつしか、彼女のもとには悪銭あくせんきよめられるために、自然じねんと集まってくるようになったと聞いております。盗賊団の連中は頭領とうりょうに授けられた浄財じょうざい法力ほうりきを悪事に用いようとしましたが、それをいち早く察したドドメキは、出家することで賊と決別けつべつしたというお話でございます。

 何処どこかは申し上げられませんが、ドドメキは高僧から法名ほうみょうを与えられて、今でも江戸の寺でかくまわれるようにして暮らしているとのことです。彼女は浄財じょうざい法力ほうりきを用いて、夜な夜な江戸をそぞあるきしながら、悪銭あくせんきよめてまわっていると聞いております。

 回向院えこういん鬼女おにめうわさは事情を知らない人々の妄念もうねんによる影のようなものにすぎません。人間というものは自身の都合の良い事柄しか見ようとしないのでございます。信心のない者からすれば、回向院えこういんの女はおににしか見えないのは道理どうりでございます。

 貴方様あなたさまは名のある絵師えしであるとお聞きしております。次の絵を描くために様々な人々から、ドドメキという女の話をたずねてまわっていることも存じ上げております。その方々の顔をもう一度、よく思い出して御覧ごらんなさい。おそらく、その誰しもが自身の手の届く範疇はんちゅうでしか、彼女を見ようとはしていないのはないでしょうか。

 くいう私も、御仏を信じてうやまう坊主の一人として、彼女の一面をとらえようとしているのかもしれません。そこに恣意的しいてき取捨選択しゅしゃせんたく介在かいざいしていないとは言い切れないのでございます。真実しんじつ大悟涅槃だいごねはんの先に、ようやく見えるかすかな光のようなものなのでございましょう。貴方様あなたさまもお気を付けなさいませ。判断をあやまってはいけませんよ。

 さて、夜も更けてきたことでございますので、私はそろそろおいとまさせていただきたく存じ上げます。これから、少しばかり用事がございますゆえ。ええ、今宵こよいは古い馴染なじみが訪ねてくるはずなのでございます。そこの長屋に住む女性なのでございますがね。貴方様あなたさまにとっては、さほど珍しいお話でもありますまい。お察ししていただければ幸いでございます。次の作品の完成を心待ちにしております。それでは、失礼させていただきます。お休みなさいませ。


                (了)









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