第7話 感情

 クラウドが苦しそうに立ち去った。洗脳とかなんだとか言っていたけど、何の話だったのだろうか。

 と、考えたいことは色々あるのだが、今はそんな話をしている場合ではない。

 なんといま、あのレインさんと二人きりなのである。

 私はレインさんに対し、どのような態度を取ればいいのか分からなくなったいた。

 以前は普通に敵だと思っていたから、即効で武器を構えたのだが、私はレインさんに二度も命を救われている。

 それに傷の手当までしてもらったので、何だか敵と思えなくなってきているのだ。


「あの、レインさん」


 私が話しかけると、レインさんは立ち上がって歩き出した。

 

「ちょっと待って!」


 私がそう叫ぶと、レインさんは律儀に立ち止まり私のことを見た。

 もちろん、いつもの無表情である。

 呼び止めてみたはいいものの、何を話せばいいんだろう。

 まあとりあえず、お礼はしておかなくちゃいけない。


「あの、ありがとうございます。今回も助けてもらった感じ……ですよね?」


 私がそう言うと、レインさんは無表情で言った。


「気にするな」


 そう言うと、レインさんはまた速足で歩き始めた。


「レ、レインさん!」


 私はもう一度レインさんを呼び止めようとした。しかしレインさんは足を止めてくれなかった。

 私はレインさんの背中に叫んだ。


「また会えますか!?」


 私の言葉を聞いたレインさんは、ただひらひらと手を振るだけだった。


「ありがとうございました!」


 私はそう叫んだ。そして、自分の胸に手を当てた。


「私、どうしてあんなこと聞いたんだろう」


 私の中で、私の言葉が反響していた。

 その言葉はシザースグレーがとっさに発した一言であり、いわば脊髄で話した一言だった。


「また会えますか……。なんて……。どうしてそんなこと……」


 私は頭を抱えて「あー!」と大きな声を出した。そして灰色の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回した。


「もう、なんなの」


 よく分からない。その一言に尽きる。

 レインさんが私を殺さないこと。魔人クラウドが私を殺さなかったこと。彼らが話していた洗脳について。

 そして、妙に高鳴る胸の鼓動……。


「と、とにかく、一件落着でいいん……だよね? ……帰ってシャワー浴びよ。」


 そう呟くと、私は魔法少女の変身を解いて自宅に戻った。



 ●


 土砂降りの雨が降っていた。数メートル先すら見えない大雨。


「よう。探したぜ」


 そんな土砂降りの雨の中に、太陽の名を冠する魔人が傘も刺さずに歩いていた。

 傘を差していない彼だったが、しかし彼は濡れていなかった。彼の周りからは蒸気が絶えず立ち上っている。


「とりあえず、雨降らせんのをやめろ。うぜェ」


 そう言ったのはサンだった。

 しかし、雨を降らせている張本人は、サンの言うこと反応すら示さず、微動だにしなかった。


「おい。聞いてんのか?」


 サンが眉間に皺を寄せながら問うと、雨を降らしている張本人のレインは答えた。


「聞いてない」

「聞いてんじゃねェかァ!」


 サンが叫ぶ。そして手のひらを土砂降りの空に向け、魔力弾を放った。

 サンの放った魔力弾は雨をかき分け、雲をかき分け、そして空に突き刺さった。

 すると、一筋の太陽光がサンのもとに降り注いだ。そして徐々にその光は範囲を広げていき、サンを中心にして先ほどの土砂降りが嘘だったかのような晴天が広がり始めた。


「これでよし」


 サンは晴天の空を見上げて、腰に手を当てながら満足げにうなずいた。しかし、サンが頷いた途端、またもや雨粒が空から降り始める。


「おい! 雨降らせんじゃねぇ!」


 レインがサンに負けじと魔力弾を空に向けて放っていたのだ。

 雨粒たちはみるみるうちに勢力を増し、またもや土砂降りの雨が空から降り出した。

 サンはその様子を見て、肩を震わしながら言った。


「……喧嘩、売ってんだよな?」


 サンはもう一度空に向けて、魔力弾を放った。

 しかし、今度は空に晴天が広がることはなかった。正確に言えば、全ての空に晴天が広がることはなかった。

 空は、二つに分割されていた。

 サンがいる側の空はすがすがしい晴天が。

 レインがいる側の空には、重々しい土砂降りが降り注いでいた。

 傍から見れば、非常に幻想的なものに見えるだろう。しかしながら実際は、サンとレインの意地の張り合いである。


「おいレイン。控えめなお前がここまで自分を主張するなんて珍しいじゃねぇか」


 サンはレインの反抗的態度を意外だと思っていた。

 サンの中でレインは、自分の意見を持たない奴という印象があった。

 しかしながら今回のこの行動は、サンの印象とはだいぶかけ離れた行動である。

 サンは素直に興味を持った。


「……サンは俺を殺しにきたんだろ?」


 土砂降りのカーテンの奥から聞こえてきた静かな声に、サンはニヤついて返答した。


「別に、殺しはしねェよ。仲間割れなんて、そんな無意味で非効率なことはしねェ。ただ、いくら待っても帰ってこないから、説教が必要だなと思っているだけだ」


 サンには土砂降りのカーテンの奥でレインが立ち上がったのがはっきりと見えていた。

 レインはサンを真っすぐ見つめていた。そして、呟いた。


「来いよ」


 サンは自分の背筋がゾクゾクと震えるのを感じた。

 サンとレインはライバルとして何度も戦ってきた間柄である。お互いの技や実力は分かっているつもりだった。

 しかしサンには今のレインが、いつものレインとは別人のように思えてならなかった。


「この高ぶりィ……。久しぶりだなァ」


 サンは興奮していた。その興奮を感じたのは、初めてレインと戦って以来だった。

 サンは身体の疼きを抑えらられないと言わんばかりに目を見開き、戦闘狂特有の狂った笑顔で叫んだ。


「いっくぜェ!!!」


 サンの胸に燃える炎が激しく燃え盛る。そして、その焔はついにサンの胸からはみ出るようにして、周囲一帯を燃え上らせた。


「燃やし尽くしてやる!」


 サンはそう言って、レインを指さした。その指先から超高温のレーザーが射出される。そのレーザーは野を焼き、地を焼き、そして雨を焼いた。

 レインはそのレーザーを迎え撃つようにして、手のひらをかざした。すると、レインの手のひらから水があふれだし、巨大な盾を作り出した。

 レーザーは盾に突き刺さる。しかし貫通することはなかった。

 レインの盾は攻撃から身を守るだけのものではなかった。レーザーを受け止めた盾が波打ち、大きな波となってサンを飲み込もうとした。

 しかし、その大水はサンに届く前に全て水蒸気に変わり果ててしまった。


「お前の水が俺に届くことはねぇ」


 そう言いながらサンは胸の炎をさらに燃え上らせた。


「殺す気で行くぞ!」


 サンの一言にレインは「もともと殺す気では?」と首を傾げる。

 しかし、サンの魔力がすさまじい速さで増幅していくのを感じ取り、真剣な無表情で身構えた。



 ●



「……ただいま」


 会議室に戻ったクラウドを私達が出迎えた。

 クラウドはいつも通り張り付けられた笑顔だったが、しかし私達はクラウドの異常を目ざとく察知していた。


「クラウド。大丈夫?」


 私がクラウドに話しかけてみる。するとクラウドは張り付けられた笑顔のまま答えた。


「いやぁ。参ったよ本当。洗脳にかかっているのはレインだけだと思っていたのに、いつの間にか俺もかかっていたみたいだ」


 クラウドはヘラヘラと笑いながら椅子に座り手を組んだ。そんなクラウドを見て、私は思わず冷や汗を垂らす。


「それが本当なら、笑い事じゃないんだけど……」


 そう言ってクラウドを見つめる。


「いやいや、睨まないでよミスト。俺が悪いことをしたわけじゃないでしょ?」

「いや、別に睨んでない……」


 クラウドは少しまじめな顔(雰囲気の話。表情自体は張り付けられた笑顔のままである)をすると、静かに言った。


「でも、いつ洗脳をかけたんだろうね。あの魔法少女は洗脳をかけるような魔法も使っていなかったし、そんなそぶりすら見せなかったんだけどね」


 クラウドは笑う。


「洗脳。かかってみたいと思ってたけど、いざかかってみると気分は最悪だね。まじで、鬱だよ」


 私は来んん愛ダメージを受けたクラウドを見たことがなかった。

 クラウドは日頃から結構鬱になって部屋に閉じこもるのだが、それは定番ネタみたいなものだ。そして、今回の鬱はきっと本物だ。


「魔法少女が洗脳したわけじゃないなら、私が適当に言った説が有力になってきちゃうね。魔法少女じゃない誰かが私異たちを洗脳してるって説」


 私はそう言いながら、色々整理してみる。


「しかし、他の誰かっていったい誰なんだ。おそらく洗脳の内容は『魔法少女にとどめを刺せなくなってしまうこと』なわけだけれど、そんな中途半端な洗脳をかけて得をする奴っていったい誰なんだろう」


 私がぶつぶつと呟いていると、サンダーがテーブルの上に飛び乗って叫んだ。


「犯人が誰か分からないから警戒のしようがないね!」


 ……笑えない。

 サンダーがテーブルの上を歩いて私の前に来る。


「でもね。一個だけ解決方法があるよ!」


 私はサンダーの顔を見る。


「解決方法って?」

「ここから魔法少女を排除しちゃえばいいんだよ!」


 そう言ったサンダーは、アホ毛を無邪気に揺らした。

 私はサンダーの無邪気な意見に思わず微笑んでしまう。


「ふふ。確かにそうかもしれないけど、ここからっ魔法少女たちを攻撃することなんてできないでしょ?」


 私がそう言うと、サンダーがニッコリ笑った。。


「できるよ!」


 私はサンダーの頭を撫でた。正直、信じていなかった。サンダー基本お馬鹿さんなので、今回もただのおふざけだと思っていたのだ。

 私は先ほどからずっと俯いているクラウドに話しかけた。


「レインとクラウドがかけられた洗脳が本物だとしたら、二人は未来永劫、魔法少女を殺すことはできない?」

「……かもね」


 私に意見をスルーされたサンダーが頬を膨らませて地団駄を踏む。テーブルの上に乗っていた食器やおもちゃが床に落ちていく。

 それをウインドが手を使わずにふわりと受け止めた。そしてウインドはサンダーを叱った。


「サンダーちゃん。ダメでしょ!」

「だってぇ!」


 サンダーはウインドに抱きつきながら「だってミストが無視するぅぅぅ」と泣いた。私は思わず苦笑いをする。


「魔法少女なんて、サンダーにかかればここから排除できるのにぃ」


 サンダーの言葉に私首をかしげる。サンダーはアホ毛をゆらゆらと揺らしながら目をつぶって集中し始めた。

 サンダーの周りにバチバチとぁ力が漂い始める。サンダーが集中しているところを久しぶりに見た気がした。というかサンダーって黙っているとマジで可愛いな。

 ……じゃなくて。


「何してるの?」


 私がサンダーに問うと、サンダーは集中を続けながら答えた。


「サンダーには全部が見えてるから、魔法少女の居場所もわかる。だから、ここから雷を落として魔法少女を排除してやる」


 私は驚きの表情でサンダーを見つめる。先ほどからメンタルがぶっ壊れ続けているクラウドも驚きの表情でサンダーを見た。


「そ、そんなことができるの?」


 私が問うと、サンダーは「さっきからできるって言ってるでしょ!」と答えた。


 サンダーはモゴモゴと何かを唱えだす。


「ビリビリゴロゴロバリバリドンガラ……」

 私とクラウド、そしてずっと黙ってニコニコしていたウインドもサンダーを見つめる。


「ビリビリゴロゴロ……」

 サンダーは詠唱を続ける。


「バリバリ……ドンガラ……」


 サンダーが詠唱を続けている。


「ビリ、ビリ……ゴロ、ゴロ……」


 サンダーが詠唱を続けている──のだが、その表情が段々と曇り始めている気がした。

 

「あ、あれ? あれれ?」


 そして、あからさまに狼狽え始めた。私は嫌な予感がして息を呑む。


(待って。そんなことある……?)


 私は最悪の場合を想像してしまった。最悪の場合とはすなわち『サンダーがすでに洗脳されている』ことである。

 サンダーは外に出ると何日も帰ってこれん合くなるほどの迷子体質であり、魔王様の命令でほぼ軟禁状態の暮らしを続けている。

 そんなサンダーがすでに洗脳されているとなったら、まだ魔法少女に会ったことのない私もウインドも、サンだって洗脳されている可能性があるじゃないか。


「サンダー?」


 私が声をかけると、サンダーは黙り込んで俯いた。私は自分の体温が急激に下がっていくのを感じていた。

 そして、私は見た。

 天真爛漫なサンダーの目から、涙が零れ落ちたのを。


「……ふえぇ」


 サンダーが嗚咽を漏らしながら泣き始めた。サンダーは「ウインドぉ〜」と言いながら、ウインドに抱きついた。


「あらら……サンダーちゃん、どうしたの?」

「わかんない。わかんないよぉ」


 サンダーはそう言ってウインドの胸に顔を埋めて泣き出した。

 その様子を見ながらクラウドは「ハハ」と顔を青くしながら私を見た。

 私は絶望していた。


「嘘でしょ。すでに洗脳にかかっているというの……?」


 私が椅子に体重を預けて天井を仰ぎ見ると、クラウドが小さな声で言った。


「これは、やばいね」


 サンダーがしくしくと泣き続ける音が会議室に響いた。

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