第6話 契約
「レインのやつ……帰ってこねぇじゃねえか!」
そこは魔王城の会議室。机を叩いて苛立ちを露わにしたのは、胸の炎を大きく燃え上がらせるサンだった。
サンが怒っている理由はレインの帰宅が遅すぎるからである。
「あいつが魔法少女を排除してくると言って出て行ったのは一週間も前だ。未だに魔法少女と接触できていないなど、そんなことはあり得ない。サンダーに任せた初めてのおつかいですら三日で帰ってきたんだ」
魔法少女の魔力はすでに魔人たちの間で共有されているので、その魔力を追えば簡単に発見できる状態だった。
それなのにレインが未だ帰ってこないことは確かに異常だった。
「どういうことだよ、あの土砂降り曇天鬱屈野郎。マジで洗脳されて頭パッパラパーになったのか?」
サンの中で魔法少女の洗脳疑惑は確証を得ていないのだろう。
しかしレインの帰宅の遅さを考えると、洗脳に対する猜疑心がどんどんと高まってしまう。だからサンはあんなにイライラしているんだと思う。
「やっぱり洗脳はマジなんだよ」
brつにサンを煽るつもりではないが、私は思ったことをそのまま口に出してみた。
「魔法少女……もしく他の誰かがレインを洗脳したのは確定。まあ未だに、どうして魔法少女を瀕死に追い込むことができる程度の洗脳なのかは謎だけどね」
あくびをしながらの興味なさげな意見だったが、今回はサンも私の意見を否定しなかった。
「今までの記録に洗脳を使う魔法少女なんていなければ、魔族や魔王様が洗脳にかけられたという記録もねェ。だが、今はそうであってほしいとすら思うぜ……じゃねェと俺の中でレインの評価が急降下だ」
レインが帰ってこない事実はサンにとっても予想外でショックなのだろう。サンはいつだってレインを馬鹿にした言動をするが、レインのことをそれなりに評価していた。
どころか、サンはレインのことを自分と同等の実力を持つライバルと認識しており、頻繁にどちらが上かの勝負を吹っかけてたりするほどだった。
そんなレインが任務を放棄して帰ってこないなんて、そんなことをサンは信じたくなかった。
「サンはほんとに素直じゃないねぇ。ハハ」
そう笑ったのは、今日も今日とて張り付けられた笑顔を浮かべているクラウドだった。
サンとレインを近くで見たきたクラウドは、二人のライバル関係とそれに伴う信頼をしっかりと見抜いていた。
クラウドは張り付けられた笑顔の奥で、微笑ましいものを見るように笑っていた。
その時、会議室の扉が強引に蹴破られる。サンダーだ。
サンダーには腕がないので、ドアを開けるときは毎回乱暴である。そのおかげで月に一度はドアを破壊する。破壊した日はお菓子抜きである。
「魔王様がレインのことはほっとけって!」
サンダーはレインが帰ってこない現状を魔王に報告していた。
サンダーは魔王のそばに控えている料理人スノウに作ってもらったアイスを、謎電気パワーでふわふわ浮かしながら舐めていた。
「ピャァァ! なんだこの甘くて冷たくて美味しいアイスは! 雪国の戦場で兵士たちと分け合って舐めたあの日のアイスを思い出すぜ!」
サンダーのアイスを見て、私は「いいなー」と言う。
「今スノウはどこいるの?」
「ウインドと一緒に夕飯つくてるゾ。スノウなのにワインでフランベってファイアーしてたゼ」
「ほーい」
私は会議室を出た。
会議室には苛立っているサンと、いつでもニコニコしているクラウド、アイスを舐めているサンダーの三人になった。
会議室の温度はサンの胸の炎が燃え上がり続けているせいでぐんぐんと上昇していた。
サンダーが舐めているアイスが部屋の温度に耐えきれず、ドロドロと溶けていく。
「うべべべべべドロってきた! サンの胸の炎が燃え上がってるせいで部屋がアツアツだ!? へいサン! カームダウン! カームダウン!」
瞬間移動してきたサンダーに、揺さぶられたサンは、胸の炎の高ぶりを徐々に収める。
サンの胸の炎は感情によって大きさを変える。ということはサンダーに揺さぶられたことでサンの苛立ちが収まったということである。
サンはサンダーの馬鹿馬鹿しく愛らしい行動を見て、苛立ちを忘れてしまったのだ。
サンは家族想いなのだ。
サンダーはなおも溶け続けるアイスを涙目で舐めながら、次はクラウドの元に瞬間移動して肩を揺さぶった。
「クラウド温度下げて! アイスが死んじゃう!」
「ハハ」
クラウドは手のひらに小さな雲を作り出し、その雲から冷気を放出した。まるでクーラーである。
そのおかげで部屋の温度はだんだんと涼しくなっていき、サンダーのアイスも救われた。
「いいぞクラウド!とても便利!」
サンダーの言葉にクラウドのニコニコが少し柔らかくなっていくのをサンは見ていた。
サンは珍しいものでも見たというようにクラウドに話しかける。
「お前、そんな風に笑うこともできるんだな」
サンがそう言うと、クラウドはゆっくり振り向いて「ん?」とサンを見つめる。クラウドの笑顔はいつも通りの張り付けられた笑顔に戻っていた。
サンは「ハ」と笑った。
「ねえサンダーぁ。ウインドが夕飯前だからアイス食べちゃダメって言うんだけどぉ~」
私が会議室に泣き顔で帰る。その泣き顔を見てサンダーは「へ」とアイスを見せつけてきた。
「足りないのサ、実績が。どれだけアイスを食べてもご飯を残さない実績が。スノウからの信頼が違うんだ。なんてったってスノウはサンダーのことが大好きなんだからね」
私はサンダーのソフトクリームを強奪しようと背後から手を伸ばす。サンダーの目の前にいる私が、サンダーの背後から手を伸ばす。
それに気づいたサンダーが瞬間移動して逃げ回った。
「めっ! ミスト、めっ!」
私は泣き顔のまま会議室の端っこにある定位置に戻ってすすり泣いた。
私達の茶番を鼻で笑ったサンは、椅子を引いて立ち上がり、会議室の扉を開いた。
「どこへ行くの?」
私が涙目で問うと、サンは小さな声で答えた。
「どこだっていいだろ」
サンが扉を閉めた。クラウドがそれを見届けてから私に話しかけてくる。
「ところで、誰かがレインの代わりをやらなくちゃいけないんだけど、誰がやる?」
クラウドの言葉に私とサンダーは顔を見合わせた。
「サンダーはあんまり外に出るなって軽く軟禁されてるからダメだと思う」
「私もあんまり動かないように言われてるからパス」
クラウドが私を見る。
「ミストは行きたくないだけだよね?」
「どうだろか」
クラウドは溜息を吐き、「俺も面倒くさいことはしたくないんだけどなぁ」と呟いて立ち上がった。
「じゃあ俺がいくよ。レインのことはサンが解決するんだろうし、俺は適当に魔法少女を排除してくるね」
「行ってらっしゃい。一応、洗脳には気を付けて」
私はいつになく真剣な顔をしてクラウドに忠告した。
クラウドは会議室の出口に向かって歩き、扉に手をかけた。
「俺、洗脳とか催眠とか信じてないから、実はかけられてみたいと思ってたんだよね」
クラウドはそう言って、張り付けられた笑顔のまま会議室を出て行った。
扉が閉まった後、サンダーがアイスを舐めながら言った。
「わっつぁふぁっく。じゃあサンダーの洗脳被検体になってくれたらよかったのに」
私はサンダーに近づき、目線を合わせながら言った。
「サンダー。あんまりそういう趣味にハマってるとクラウドみたいな変態になっちゃうから気を付けるんだよ?」
「?」
サンダーは私の言葉を理解できないようで、首をかしげながらアイスを舐め続けた。
●
私はベッドの上でとある男について考えていた。
とある男というのはもちろん、私のことをボコボコにしたと思ったら、急に優しくなって大怪我を直してくれた魔人レインのことである。
「デビちゃん。あのレインって人の行動、どういうことだと思う? 私には全く理解できないよ」
私は枕に顔を埋めながらデビちゃんに話しかけた。
「知らね」
デビちゃんはそっけなくそう言った。
実は私がデビちゃんにその様な質問をするのは、すでに数十回目なのである。
「私ね。ほら、家族がいないじゃない? だからあんなふうに撫でられたことなくってね。それで、急に撫でられたからびっくりしてね。それで変な声出しちゃったんだよね……。変って思われてないかなぁ」
そう。あのレインという男は私の頭を撫でてきたのだ。
それは私の傷を治すために必要なボディタッチだったのだろうが、それがどんな理由であろうと、私の『ファースト頭撫でられ』はそれが初めての経験だった。
「別に大丈夫なんじゃね」
「うわー。私、頭撫でられちゃったんだなぁ。頭を撫でられるってあんな感じなのかぁ。私はいつも撫でるほうだったからなぁ」
「別に大丈夫なんじゃね」
デビちゃんも私も、お互いの話を全く聞いていなかった。会話内容が先ほどから支離滅裂である。
しかしながら、そんなことを気にせずに私は話し続けた。
「頭、頭、撫でられたぁ……」
私は試しに自分の頭を撫でてみる。レインは敵だけれども、頭を撫でられた結果だけを見れば、それはなんというか、非常に心が満たされるものだったように思う。
「こう? いや、こんな感じだったかな」
私が試行錯誤しながら頭を撫でられた再現をしようとしていると、デビちゃんが私の手を取った。
「え。どうしたの?」
デビちゃんは無表情で私を見つめていた。そして、無表情のままで言った。
「なあ、今日の晩飯まだ?」
私は時計を見た。すると、時刻は既に午後九時を回っていた。
「あ、そっか。えへへ。ご飯作らないとだね」
そう言って私はキッチンへ向かった。
「ちょっと晩飯まで出かけてくる」
デビちゃんがそう言って窓を開けたので、私エプロンを腰に巻きながら手を振った。
●
ここはとある豪邸。
広い広いお城のような建物。まるでお姫様でも住んでいるのではと思うほど豪華。
これら全て私の趣味である。
しかし、この屋敷には警備員もいなければ使用人もいないし、防犯カメラの一台だって設置されていない。
なにせこの豪邸に住んでいるのは私一人。
この屋敷は私一人のために建てられた、世界一の無駄遣い豪邸だ。
そんな屋敷のとある部屋。
その部屋の窓を誰かがコンコンと叩いた。
どうしてこの部屋に私がいると分かったのだろう。私は少し不安に思いながらもカーテンを開けた。
「あ、デビちゃん」
窓を叩いたのはデビちゃんだった。
「よぉ。ロックブラック」
私は窓を開け、デビちゃんを迎え入れる。
「こんな時間になんの用? 私を叱りにでも来たの?」
私はデビちゃんを反抗的な態度で出迎えた。
しかしデビちゃんは私の反抗的な態度をを気にもせず、ふわふわと部屋の中に侵入し、テーブルの上に置いてあった色とりどりのお菓子の中からピンクのお菓子をつまんで口に放り投げた。
デビちゃんはお菓子を頬張り「こんな時間にお菓子食べたら太るぜ」などと言いながら尻尾を振り回した。
「そんなことを言いに来たの?」
私は窓を閉めてから、ロッキングチェアに腰掛けてデビちゃんを見下ろした。自分で言うのもなんだが、まるで高飛車お嬢様のように見える事だろう。
「そんなわけないだろ」
そう言いながらデビちゃんは浮遊して、私の目線よりも高く位置取り、私を見下ろした。
そして言った。
「ただ、警告をしに来たんだ」
「警告?」
警告という不穏な単語を使われるとちょっと怖い。だけどこの豪邸に住んでいる私は高飛車お嬢様であるはずなので、そんなことにひるむはずがない。
「ああ。契約を忘れたわけじゃないだろ?」
デビちゃんはそう言いながらぐちゃりと笑った。ときどき見えるデビちゃんの怖い顔。
「俺はお前らのことを嫌いなわけじゃない。ただ、契約は絶対だからな。そこに私情は挟まない」
デビちゃんは厳しい声色で続けた。
「……魔法少女をやめるか。続けるか。どっちだ」
私は思わず俯いた。話の展開が急すぎる。そんな決断を、今ここでしろと?
場を和ますためにちょっと質問をしてみる。
「……続けないって言ったら、どうなるんだっけ」
デビちゃんが私の視界へ入り込んでくる。
「もちろん地獄行きだ」
沈黙した。
デビちゃんはテーブルの上のお菓子を拾って、包装を剥きながら言った。
「……お前らには同情する。だが、契約は契約だ。一週間待つ。それまでに答えを出せ」
そう言ってお菓子を頬張り、窓を開けた。
最後に小さく、しかし私には確実に聞こえる声で呟いた。
「……シザースグレーを一人にしてやるなよ」
そしてデビちゃんは羽ばたき、私の豪邸を後にした。
●
「タコォ!?」
そこは、住宅街の屋根の上だった。
空中を泳ぐ巨大タコ怪人の足が、私に向かって伸びてくる。
私は縦横無尽に走り回り、足を避けながらハサミで足を両断した。
「タ、タコォ!?」
タコ怪人が足を両断されて悲鳴をあげる。私はひるんだタコ怪人との距離を詰め、さらに足を両断していく。
そしてついにタコ怪人の八本の足を全て両断し、頭部のみにしてやった。
「タコォ!!!!」
タコ怪人は悲鳴に似た絶叫を響かせた。
私はその絶叫を聞いて、しかし冷徹な目でタコ怪人を見つめながらハサミの口を大きく開いた。
そして、タコ怪人の頭部を挟み、そのままジャキンとハサミの両刃を閉じた。
タコ怪人の頭部は両断され、その白い両断面があらわになった。私はタコに体液がないことに感謝した。
制服を新しく買うのは痛い出費だ。
私はタコ怪人の身体が消滅していくのをしっかりと確認してから、「ふう」と溜息を吐いた。
「触手怖かったぁ」
そう言って私は変身を解いた。
私は触手に対して軽いトラウマを持っている。
それは先日戦った仮面怪人に植え付けられたものだ。そのせいでタコやイカ、果てにはデビちゃんの尻尾にさえ軽く驚くようになってしまった。
それを知ったデビちゃんが私を驚かしてきたので、ガチでぶん殴った上に一日ご飯を抜きにした。
私が変身を解くと、デビちゃんがどこからか姿を現して近づいてきた。デビちゃんは私の身体が傷だらけになっているのを見て顔をゆがめる。
「遠距離技を身につけた方がいいんじゃないか? そうすれば触手だとか筋肉がやばい奴とか対して一方的に戦えるだろ?」
私はハサミをハンカチで拭きながら言った。
「そうなんだけどハサミだからなぁ。遠距離攻撃って言われても、そんな工夫浮かばないよ」
「何だってできるだろ。お前にだってそれなりに魔力があるんだから。魔力を使ってハサミの形状を変化させたり、ハサミを遠隔操作したり」
デビちゃんが提案に私は首をかしげながら苦笑いをした。
「そうなんだけど。そうなんだけどね。なんか練習する気にならないというか。なんというか……」
私は少し黙った後に「えへへ」と何かを誤魔化すように笑った。自分でも何をごまかしているのかよくわからなかった。
「近距離戦ばかりでは絶対に勝てない怪人もそのうち出てくるかもしれない。命にかかわる問題なんだから、もっと真剣に考えろ」
「……うん。わかった」
私はデビちゃんの背中を見つめる。
(なんか、今日のデビちゃん厳しいな。いつもの適当なデビちゃんはどこへ?)
そんなことを考えながら空を見上げた。
「新しい戦い方、か」
そう呟くと、あの二人のことが頭に思い浮かんだ。
そして、また誤魔化すように頬を掻きながら笑った。そして気づいてしまった。私が何を誤魔化していたのか。
「だめだなぁ。私。まだ、覚悟ができてないんだ。一人で戦う覚悟が」
空は曇り空だった。
「こんにちわ」
突然背後から声をかけられる。
「デビちゃん」
私はその声を確認すると、すぐさまデビちゃんに声をかけた。
私はハサミを構えると、すぐさま「変身」と呟いた。
すると、黒い天幕が私のことを包む──なんて、そんな不要な工程をすっ飛ばして魔法少女に変身した。
あの工程があったから魔法少女の体裁を保てていたのに。とか、そんなことを考えたけど、状況を見ればそんなことを言っていられない。
だって、目の前にいるこの男はたぶん……。
「……まだ魔力を隠してる状態なのに。すごい察知能力だ」
私はその男を見つめながら言った。
「あなた、魔人?」
そう聞かれた男は「ハハ」と少し笑ってから答えた。その男の表情は不安になるほど変化のない、まるで張り付けられたかのような笑顔だった。
「あー。うん。そうだね。魔人だよ」
そう言われて私の身体がこわばった。
原因は二つ。
一つは魔人の登場に、いつかの惨劇が脳裏に浮かんでしまったから。
もう一つは、魔人が複数いることに絶望したから。
「レインがお世話になったね」
男がレインという名を口にして、少し驚いた。
「……レインさんの知り合いですか?」
魔人の眉間に皺が寄った気がした。しかしすぐに張り付けられた笑顔に戻った。
「知り合いも知り合いさ。知り合い超えて家族だよ」
魔人はそう言った後に礼儀正しくお辞儀をした。張り付けられた笑顔と相まってとても胡散臭く見える。
「俺の名前はクラウド。どうか覚えてね?」
「……律儀ですね」
「俺は色んな人と仲良くなりたいんだ」
魔人クラウドはそう言いながら両手を開くと手のひらの上に魔力を貯め始めた。
私はクラウドから敵意を感じ取り、ハサミの口を大きく開いて迎撃態勢を取った。
「ところで、俺は戦闘向きの魔人ではないから、手加減よろしくね?」
クラウドはもう一度、張り付けられた笑顔で笑った。
「デビちゃん。修行、解除して」
私の修業とはデビちゃんに大量の呪いをかけてもらうことだ。
デビちゃんに呪いをかけてもらうことで自らにデバフをかけ、その制限の中で敵と戦うことで、通常より濃い経験を積もうとしていたのだ。
しかし、今回はそうもいっていられない。
デビちゃんが私にかけられた呪いを解く。
「体が軽い。空気に溶けちゃったみたい」
そう言って飛び跳ねる。私は自分の身体の軽さに驚いて腕を回した。呪いってやつが思ったよりも強烈だったことにやっと気づいた。
どこまでも飛んで行けそうで、正直何にも負ける気がしない。今のこの状態ならレインにも勝てるんじゃなかろうか。
私がそんな風に飛び跳ねていると、クラウドが張り付けられた笑顔のまま言った。
「もう、いいかな?」
クラウドがそう言って、手のひらの魔力弾を発射してくる。
それはただの魔力の弾丸。魔力の心得があるものなら誰にでもできる初歩の初歩だった。
それでいて、それは大した殺傷能力もない魔力の無駄な使い方ナンバーワンだったが、しかしクラウドが放ったそれは、私なんかのそれとは比べ物にならないほどの威力だった。
もし私が無防備にその魔力弾を受けてしまえば、身体が掻き消えてしまうほどに殺傷能力の高い弾丸だ。
私はハサミを地面に突き刺し、ハサミを盾にしてその魔力弾を受け止めた。
地面に突き刺したハサミと一緒に数メートル吹き飛ばされる結果となったが、私は無傷でその魔力弾を受け止めることに成功した。
「それを止められると、俺的には結構困るんだよなぁ」
クラウドの言葉に私は少し安心した。今のを止められて困るなら、これ以上の攻撃はない。もしくは連発できないタイプの攻撃しかないと考えていい。
ハッタリの可能性もあるが、もしこれがクラウドの本気なのだとしたら、私にとって非情に朗報だ。
レインに比べて、このクラウドという魔人は弱いのかもしれない、しかし魔人を困らせることができたというのは、確実に私の成長を物語っているだろう。
少しだけ笑ってしまう。
もしかしたら私って強いのかもと、笑わずにはいられなかった。
私はハサミを開き、ジャキジャキと二回鳴らした。これは私の必殺技を繰り出すためのルーティンだ。
「両断鋏!」
「怖いな」
私は走り出した。修行前とは何もかもが違う。通りすぎていく景色のスピードがまるで違う。
私は滑るように魔人の懐に入ると、ハサミを大きく開いた。
「速ッ!?」
クラウドが目を見開いて驚いていた。私はその表情を見てまた笑った。
私のハサミがクラウドの腹を両断しようと迫る。クラウドは未だに驚いた表情をしていて、私の動きについてこれていないようだった。
そして、私のハサミがクラウドの腹を両断した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「……あーあ」
私が聞いたのは、私の絶叫。そのまま、その場に崩れ落ちる。
崩れ落ちた私のことを、クラウドが張り付けられた笑顔で見つめていた。
「よかったね。俺で。もし、俺ではなくサンダーを切っていたら、この程度の電撃では済まなかったよ」
クラウドはそう言って、私のことを足で仰向けにひっくり返した。
そして言った。
「じゃあ、トドメかな」
クラウドは手に魔力弾を作り出す。
その魔力弾は、この戦闘の初めに放たれたものとは月と鼈ほどの威力の違いがあった。
……ああ。この魔人は手加減をしていたんだな。
電撃を食らったらしい私の身体はビクビクと痙攣するばかりで、全く動かすことができなかった。体の動かし方を忘れたかのような感覚だった。
なんだか恥ずかしい。身体が軽いとか言って、私って強いかもとか言って、いい気になっていた自分が恥ずかしい。
私は厳しい修行の甲斐なく、ここでコロッと死ぬんだな……。
「……」
クラウドが魔力弾を私に向けた。
「…………」
シザースグレーに向けた弾丸が、さらに光を増していく。そんなに強くする必要はあるのかな。もしかして、痛みを感じないように配慮してくれてるのかな。
「…………?」
私が見る限り、クラウドは硬直していた。魔力弾の輝きを手に称えさせたまま、いつまでたっても私を殺すことなく硬直していた。
「???」
クラウドはその張り付けられた笑顔の上に、尋常ではない冷や汗をかいていた。
「??????」
口角をひきつらせ、目を見開き、いつもの張り付けられた笑顔なんか忘れて、あからさまに動揺していた。
「あ、あれ? なんだこれ」
私にも何が起こっているのか分からない。圧倒的に優勢で、あとはとどめを刺すだけだったクラウドが、いきなり頭を抱えて苦しみ始めたのだ。
「なんだこれ! キモイキモイキモイキモイキモイ!」
そう言ってクラウドは狂ったように目元をグリグリグリグリグリグリグリとひたすらに擦った。
「こ、これが洗脳か!? キモいキモい! キモいぃぃぃ!!」
クラウドが絶叫した。私はそんなクラウドを見て硬直していた。
「……クラウド」
その時、とある魔人がクラウドの肩に手を置いた。
「……レ、レイン」
それはレインさんだった。
レインさんはクラウドの肩に置いた手を下ろし、クラウドの横を通りすぎると私の元へ近づいてきた。
「レイン……何するんだ?」
レインさんはクラウドの質問に答えなかった。無言のまま私に近づき、あの時と同じように魔力を流し込んできた。
私の身体に痛みが走る。しかし傷が完治した。
「クラウド、諦めろ」
レインさんは私のことを回復させながらクラウドを見て言った。クラウドはその言葉に、自分の頭を抱えながら答えた。
「ああ、レイン……レインが感じていたのも、俺が今感じているこれと同じなのか?これが洗脳なのか?」
レインさんは回復を続けながら答える。
「おそらく、同じものだ」
「そうか。これが洗脳なのか。あまりにも気持ち悪い……気持ち悪すぎて死にそうだ……」
クラウドは自分の頭を抱えて地面に座り膝を抱えた。
「俺には、言葉に表現できない。レインなら、今俺が感じている感情をどう表現する?」
そう聞かれたレインさんは無表情のまま、姿勢すら変えずに少し考えた後、静かに答えた。
「恐怖、じゃないか?」
「きょ、恐怖……?」
クラウドは笑った。
「俺が、怖がってんの? 魔法少女の排除を?」
クラウドはしゃがんで膝を抱え、俯いたままで高笑いした。
「そんな! そんなこと!」
しかし、その高笑いは徐々に鎮まっていく。あたりが静かになり、クラウドは言った。
「ハハ……帰るわ。帰ってみんなに洗脳のことを報告しないとね……」
クラウドはそう言うと気だるそうに立ち上がって歩き出した。クラウドの前方に大きな雲が現れる。クラウドはトボトボとその雲の中に入っていった。
入りながら、振り向かずにクラウドは言った。
「レインも帰ってくれば?」
レインさんはクラウドの言葉に無表情のまま、クラウドを見ずに答えた。
「……そのうち帰る」
「そう……まあ、たぶんサンが迎えに行くと思うけどね」
レインさんはクラウドの方を振り返り、露骨に嫌な顔をして「マジか」と呟いた。
しかし、その時には既にクラウドはいなくなっていた。
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