第19話 僕とパーティ

「…ただいま」  


 僕はゆっくり玄関のドアを開け、体を半分だけ入れた状態で申し訳なさそうに声をかけた。キッチンから美味しそうな匂いと何かがジュウジュウ焼ける音がする。僕の声に気がついたのか、カチッとコンロを止める乾いた音がして、パタパタとスリッパを鳴らしながらお母さんがやってきた。


「おかえり。ずいぶん遅かったじゃない」


 そう言うお母さんはあんまり怒った様子もなくて僕は少し拍子抜けした。いつもお母さんを困らせてばかりの僕だけど、こんなに遅くまで家に帰らないのはさすがに初めてだったのでとっても怒られるに違いないと思っていたのだ。


「…遅くなってごめんなさい」


 しおらしく謝る僕に、お母さんは手に持ったフライ返しを軽く振った。


「星野さんの家でご迷惑はかけなかった?」


 きょとんとする僕にお母さんはもう1度フライ返しを振る。


「今まで星野さんの家に行ってたんでしょう? 山田くんって子と一緒に。星野さんのお母さんから電話があったわよ」


 僕は思わずあっ、と叫んだ。お母さんが不思議そうな顔をする。そういえば、球体ハウスで作戦会議をしたあとに星野に家の電話番号を聞かれていた。きっと星野が星野のお母さんに口裏合わせを頼んだのだろう。ううん、もしかしたら星野自身がお母さんの振りをして電話したのかもしれない。僕はニコッと笑顔の星野を思い浮かべ、星野ならやりかねないと思った。お母さんがなぜだか嬉しそうに目を細めた。


「それにしてもエイトにそんなお友だちがいるなんてお母さん知らなかったわ。今度その星野さんと山田くん? うちにも連れてきなさい」


「…うん!」


 友だちという響きに僕の顔は思わずにやけた。お母さんが紹介してほしいと言うならしょうがない。今度連れてきてやろう。早くも頭の中であれこれ計画を立て始めた僕の肩を骨ばった手がとんとんと叩いた。


「あのー」


 お母さんが僕の後ろに視線をやり、「こんな時間に誰かしら?」という顔をする。僕は慌ててドアを開けた。


「あっ、そうだそうだ。お母さん、こちらアンセルとそのお付きのじいや。ちょっとした事情で外国から日本に来たんだ」


 開いたドアのその先にアンセルとじいやが妙にかしこまって立っていた。事前の打ち合わせで2人は外国の人だという設定にしていた。宇宙人だなんて正直に話したら僕は早速針を千本呑まないといけなくなる。僕の紹介に合わせて2人は深々と頭を下げ、つられてお母さんもフライ返しを持ったまま深く頭を下げた。


「あら〜こんばんは〜エイトの母です〜」


 よそ行きの声で挨拶をするお母さんは「どういうこと?」と僕に目で訴えた。じいやが一歩前に進み出た。


「エイト様の母君、どうもはじめまして。私はこのアンセル様の父君がお小さい頃からずーっとアンセル様のお家にお使えしているじいやでございます」


「母君だなんて…」


 生まれてこの方庶民的に生きてきたお母さんは、じいやのかもし出すただならぬ紳士感にうろたえていた。しかも、その隣にいるのがまたお人形のように整った顔立ちのアンセルなのだからお母さんの気持ちはもうてんてこ舞いだった。そして、お母さんはひらめいた。


「もしかして…うちのエイトが何かしでかしたんでしょうか!」


 僕はガクッと肩を落とした。


「そんなことするわけないじゃん!」


 お母さんはフライ返しを僕に突きつけた。


「あんたはそそっかしいからワザとじゃなくても何かやりかねない…あっ!」


 お母さんが目を見開いてフライ返しをわなわなさせた。


「よく見たらあんた泥だらけじゃない! あら、アンセルさんも! あんたが何かに巻き込んだんでしょっ!」


 日頃の行いが悪いとこういうことになる。もしかしたらアンセルが僕を巻き込んだのでは?とはお母さんは考えないらしい。まったくもうと腕を組むお母さんと上を見上げてふてくされる僕を交互に見て、アンセルは突然吹き出した。そして大きな声で笑い出した。


「笑ってごめんなさい。2人のやり取りが面白くてつい。お母さん違うんですよ。ボクが困っていたところをエイトくんたちに助けてもらったんです。泥だらけになって」


 そこまで言ってアンセルは急に真面目な顔になった。


「そして命がけで…」


「命がけなんてそんな大げさな」


 お母さんが目を白黒させる。アンセルは首を振った。


「本当に命がけだったんです。巻き込んでしまって本当にすみません」


 頭を下げるアンセルとじいやにお母さんは困ったように僕を見た。僕はううん、と首を振った。


「僕がアンセルを助けたかったんだ。だって友だちってそういうもんでしょ? きっと逆の立場だったらアンセルも僕を助けてくれてたと思うよ」


 アンセルは少しハッとして嬉しそうに微笑んだ。


「うん、そうですね。ボクもエイトくんが困っていたらやっぱり助けると思います」


「でしょ?」


 僕とアンセルはクスクス笑った。お母さんは何がなんだかという顔をしていたけれどなんだか嬉しそうに僕たちを見つめていた。じいやがアンセルのハンカチで目元をおさえている。じいやはよく泣くなぁ。そんなじいやが思い出したように軽く手をあげた。


「おぉ、大事なことを忘れておりました。先ほどご説明のとおりエイト様にはアンセル様が大変お世話になりまして。そのお礼に今夜パーティにご招待したいのですが、一晩エイト様をお借りしてもよろしいでしょうか?」


 お母さんは僕たち3人をキョロキョロと見た。


「あらそんな、良いんですか?」


 アンセルが大きくうなずく。


「もちろんです。エイトくんが居ないとパーティが始まりません。どうかお願いします!」


「お母さん、お願い!」


 お母さんは優しく笑った。


「こちらこそエイトをよろしくお願いします。エイト、いい子にするのよ! あっ、そうだ」


 僕を軽くにらんだ後、お母さんはキッチンにパタパタと駆けていった。そしてパタパタと戻ってきたときにはフライ返しの代わりに大きなお皿を持っていた。


「これ良かったらパーティで食べてください」


 僕とアンセルとじいやは大皿をのぞきこんだ。そこにはできたてほやほやの餃子が美味しそうに並んでいた。



 僕が餃子の入った大きなお皿を持って、大きな宇宙船に足を踏み入れると、そこはすっかりパーティ会場だった。見た目は地球人がもよおすパーティとそんなに変わらない。違っているのは、テーブルと椅子が宙に浮いていることや、シャンデリアだと思っていたものが光る花だったことや、そこにいる大多数の人が地球人ではないということぐらいだ。


 初めて乗る宇宙船の光景に僕が立ち尽くしていると、正面から知っている顔が走ってきた。星野だ。昼間に着ていた服と違う。家に帰ってわざわざ着替えてきたようだ。僕は星野に言わないといけないことを思い出した。


「僕の家に電話してくれたの星野でしょ? おかげでお母さんが心配してなかったよ。ありがとう」


 黒い大人びたワンピースに身を包んだ星野はふふん、と胸を張った。


「うちのママにはエイトくんの家で遊んでるって言ってるの。ママ同士が会わないことを祈るしかないわね」


「えっ。僕の家と星野の家めちゃめちゃ近所だよ」


「祈るしかないわね」


 星野はのんきだ。ニコッと笑うと同じ年頃のルナールの乗員を見つけて話しかけに行ってしまった。


 今度見つけた知ってる顔はバイキングに並んだ料理を片っ端から皿に取っている山田くんだった。山田くんは空いている浮いているイスに腰掛け、もりもり食べ始めた。ポケットからメモを取り出し何やら書きとめている。僕は後ろから声をかけた。


「山田くん何してるの?」


 山田くんは一瞬ビクッとして困ったような笑顔で振り向いた。


「エイトくんか。びっくりした。ルナール星の食べ物を忘れないようにメモしてるんだ。エイトくんも食べてみる?」


 そう言って、山田くんは皿ごと僕に差し出した。パンやメンやスープや揚げ物やデザートみたいなものが一通りあるけれど、だいたい同じように黄色っぽくてぱさついて見える。僕は悩んだあげくお団子みたいな丸いものをつまんで食べた。


「んー…これがルナールのごはんかぁ」


 山田くんは苦笑いした。


「そうなっちゃうよね。だけど、僕はもう少し美味しくできるんじゃないかと思うんだよ。それぞれの木の実にあった調理法を研究したらおもしろいんじゃないかな」


「おぉ! 山田くん宇宙シェフになれるね」


 山田くんの食への探究心は本物だった。僕の尊敬の眼差しに山田くんはまた困ったように笑った。


「それいいね! 宇宙シェフ…いいよ! ところでエイトくん、それは餃子かな?」


「そうそう。お母さんが持ってけって」


 僕は手に持ったままの大きな皿をテーブルにおいた。山田くんはさっと手を合わせてそのまま1つ口に放り込んだ。山田くんの顔にみるみる幸せそうな表情が浮かんでくる。


「やっぱり地球のごはんが美味しいね」


「良かった。みんなで食べてよ」


 そう言い残して僕は博士を探しに行った。


 博士はすぐに見つかった。白いアフロのルナール星人は居なかったので見間違えようが無かったのだ。博士は宇宙船の真ん中にどーんとそびえ立つ大きな木の下でつぶらな瞳を輝かせていた。


「博士、この木はなんの木なの?」


 よく見ると博士は小刻みに震えていた。


「エイトくん、この宇宙船を動かすエネルギーはなんじゃと思う?」


 質問に質問で返されて僕は少し面食らう。だけど考える。大きな木の下で博士がこの質問をするということは…。


「もしかしてこの木の光合成?」


 博士は嬉しそうにプルプル震えた。


「そうじゃ! この木は光合成の力がとても強いんじゃ。だけどたくさんエネルギーが出来てもこの木がそのエネルギーを使い切れなかったら無駄になってしまう。その余ったエネルギーをこの宇宙船の動力にしておるんじゃ」


 僕は頭をぼりぼりかいた。


「そこまでは分からなかったよ」


「いやいや十分じゃ。さすがはエイトくん」


 博士はいつも僕を褒めてくれる。博士の方が何倍も何千倍も何億倍もすごいのに。だから僕は少しでも博士の役に立ちたいのだ。


「ねぇ、博士。だったら僕を助手にしてよ」


 博士は大きな木を見上げながらしばらく黙っていた。僕は待っている間妙にそわそわした。ようやく博士は口を開いた。


「ワシはエイトくんのことが大好きじゃ。だからワシの家にエイトくんが遊びに来てくれるようになって嬉しかった」


「そうなの?」


 僕はてっきり本当は迷惑がられているのではないかと思っていた。博士はニコニコした。


「だけどエイトくんはまだとっても若い。本当は同じ年頃の子どもたちと遊んだほうがエイトくんにとって良いんじゃないかと思っておった。そういうわけでエイトくんを助手にしたらなおさら同じ年頃の友だちができないんじゃないかと心配したんじゃ。エイトくんにはワシみたいになって欲しくなかったんじゃよ」


 僕は驚いていた。僕を助手にしてくれない理由が僕のためを思ってだったなんて。


「でも、それはワシの考え過ぎじゃった。エイトくんはアンセルと仲良くなって、山田くんを連れてきて、今日は星野さんまで連れてきた。ワシはとっても嬉しかったんじゃ」


「それは、博士のおかげだよ。ありがとう」


「そう言われると嬉しいのう」


 本当に博士のおかげなのだ。博士がいなければきっと僕は今ごろ誰とも仲良くなれていなかった。アンセルなんて会えてすらいなかっただろう。僕はやっぱり博士の役に立ちたかった。


「僕はやっばり博士の助手になりたい。もっとちゃんと真面目に勉強するから」


 博士が目をパチパチさせた。この表情はあんまり見たことがない。博士はおそるおそる僕を見て何かボソボソっと言った。


「ん? 何?」


 聞き返した僕に、博士は小さく息を吐いて決心したようにはっきりと言った。


「助手になってもワシの友だちでいてくれるかの?」


 僕は目をぱちくりさせた。そしてとびっきりの笑顔をみせた。


「もちろん!」




 それから僕と博士は、アンセルと山田くんと星野が集まっていたところに合流した。僕たちは、お母さんが作った餃子を星のかけらで大きくしたり、宇宙船の乗員にどのようにしてヒゲモジャ船長を追い詰めたかをモグランド2号で実演してみせたり、山田くんが考えた新しい木の実レシピを試食してみたり、枕投げをしてみたりして残された時間を精一杯楽しんだ。一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど思ったのは僕たちは本当に気が合うということだった。そして、気が合うからこそ時が経つのはあっという間だった。


 アンセルたちは夜明けとともに旅立った。朝日が宇宙船のエネルギーを満タンにし、気のせいだとは思うけど、宇宙船が生き生きしているように見えた。


 僕たちは誰も泣かなかった。別れの時も、宇宙船が朝日に溶け込みもう見えなくなってしまった時も誰も泣かなかった。いつか必ずルナール星にいく。そしてアンセルに会いに行く。そう決めたから。これは決定事項だから。


 僕たちはすっかり見えない宇宙船をずっとずっと眺め続けていた。

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