第17話 僕と地球外プリンセス

 球体ハウスが空を飛んでいる。なんでだ。どうしてこうなった? 宇宙海賊はどこに行った? 一瞬のうちに頭の中をいろいろな考えが駆け巡る。揺れる球体ハウスの中でバランスを取りながら、これからどうしたらいいのかと考えていると、突然ブツンと音がして球体ハウスが真っ暗になった。停電だ。暗闇の中、星のかけらだけが淡く光を放っている。


 僕たちは街灯に群がる夏の虫のように星のかけらの明かりに吸い寄せられ、お互いの顔を突き合わせた。博士の白いアフロが暗闇の中でもほんのり浮き立って見える。山田くんが机にしがみつき、ぐらつく巨体を支えながら震える声で言った。


「ブレーカーが落ちたのかな? こんなときについてないよね」


 僕の家でもたまにブレーカーが落ちて停電することがある。僕がクーラーの効いた部屋でテレビを見ながら、お母さんが電子レンジで冷凍食品をチンしつつたこ焼き器でたこ焼きをつくり、お父さんがキンキンに冷えたビールを想像しながらお風呂上がりにドライヤーで髪を乾かすと、たいていブレーカーは落ちる。でも今は、1つもそんなことしていなかった。博士が、ふむ、とうなった。


「地面から離れたことで電気線が切れたんじゃろう。ブレーカーを戻してもだめじゃ。予備の電源があるから、山田くん一緒に来ておくれ」


「はい!」


「ちょっとこれ借りるぞい。みんなはそこで待っておくんじゃ」


 そう言うと博士は星のかけらと山田くんを連れてどこかへ行ってしまった。これで停電の方は解決しそうだ。だけど、星のかけらが持っていかれて球体ハウスは本当に真っ暗になってしまった。もはや姿の見えない星野の心細そうな声が静まり返った部屋に響いた。


「これどこまで行くんだろ…そもそもなんで飛んでるのよ」


「あっ!」


「えっ! わっ!」


「あっ、エイトくん、びっくりさせてごめんなさい」


 アンセルが何かに気がついたらしく突然あげた声に僕は飛び上がった。何も見えないといつもは気にならない音にもびっくりするぐらいびっくりしてしまう。僕の顔はきっと赤くなっているはずだ。だけど、真っ暗だからアンセルや星野には見えていないと思う。僕は胸をなでおろした。


「だ、大丈夫。ほんの少しびっくりしたけどね。それでアンセル、どうしたの?」


 それです、とアンセルは慌てて続けた。


「宇宙海賊は宇宙スーツに着替えて逃げたんだと思います」


 星野が不服そうな声をあげた。


「でもガムでぐるぐる巻きにしたじゃない。あれじゃ動けないわよ」


「ボクもうっかりしてたんですが宇宙スーツは声に反応して起動するタイプが多いんです。ボクのもそのタイプです。だから彼らは…」


 僕はぐるぐる巻きの宇宙海賊が汚い言葉をわめき続けていたことを思い出した。こんなことなら口もふさいでおくべきだった。アンセルが続けた。


「宇宙スーツを着ている間は飛ぶことしかできません。銃を撃ったり、会話したりはスーツを着たままではできません。スーツを脱いだら彼らはまた元のぐるぐる巻きに戻るだけです。だけどスーツを着ていれば飛ぶことはできるんです」


 僕にはアンセルの言おうとしていることが分かった。


「それは、つまり、宇宙海賊がこの球体ハウスごと飛んでいるってこと?!」


「そう、そうなんです!」


 それは大変だ。僕はごくりとつばを飲み込んだ。


「宇宙海賊が目指してる先は…」


「宇宙だと思います。ボクたちごと星のかけらを奪うつもりかもしれません」


 アンセルの答えに星野は、暗くて見えないが、おそらく瞳を輝かせた。


「あら。思ったよりも早くアンセルとの約束を果たせそうね」


 星野はのんきだ。僕は思わず叫んだ。


「違うよ! 宇宙には酸素が無いんだ。僕たちがこのまま宇宙に行くと酸欠で死んじゃうんだよ」


「えぇー!!」


 こうしている間にも僕たちは空高くどんどん上がっている。宇宙海賊たちは疲れてでもいるのか球体ハウスの揺れが次第に激しくなってきた。暗闇の中でアンセルが深く息を吐き出す気配がした。


「ボクが彼らを止めます。メタモル!」


 アンセルの不思議な呪文が部屋に響く。と同時に僕の目の前に水色のキラキラとした光が現れた。さっきまでアンセルがいたはずの場所だ。光は少しの間、体を馴らすようにフワフワとその場にただよった後、通り道を明るく照らしながら球体ハウスの入り口に向かってピューと飛んでいった。僕も慌ただしく光を追いかけた。


「アンセル、今出ていったら危ないよ!」


「…」


 宇宙スーツ姿のアンセルは僕の問いかけに返事をすることもなく、入り口を開ける赤いボタンの上をピョンピョンと飛び跳ねている。その時、カチチというかすかな音がして球体ハウスに再び明かりが灯った。部屋の隅のテレビから博士の声が聞こえる。


「おっ、復活したようじゃな。山田くん、その調子じゃ」


 博士の後ろで山田くんが汗だくになりながら進まない自転車をこいでいる。予備の電源を動かす力は人力だったのだ。僕がテレビに気を取られているすきに、作動して開き始めた入り口のまだ開ききらないすき間から水色の光は外へ飛び出していった。


「しまった!」


 キュインキュインと音をたてながら入り口はゆっくりと開いている。早く、早く! 僕はジリジリしながら入り口が開くのを待つ。停電から復活したマジックハンドたちも僕のそばで心なしかソワソワしている。ガシャンと音がしてようやく入り口が開ききると、僕はすかさず穴から顔を突き出した。横殴りの風に一瞬目を閉じる。風の抵抗をやり過ごし、ゆっくりと目を開くと森の木々や巨大キノコがもはやはるか遠くに小さく見えた。町の灯りがまるで星空のように輝いていてとてもきれいだ。あの中のどれかにお母さんが待つ僕の家もあるはずだった。


「ひゃあ…」


 思わず声がもれるほど、僕たちはすでにかなりの高度まで来ていた。顔にぶつかる風が痛いほど冷たい。呆然とする僕の目の前を水色の光がさっと横切った。目で追いかけた先には白い光があり、光の尾を引きながら球体ハウスを押し上げている。ぐるりと首を動かすと、他にも2つ球体ハウスを押し上げている白い光があった。これが宇宙海賊たちに違いない。水色の光が白い光に体当たりする。その瞬間、球体ハウスが激しく揺れた。宇宙海賊たちが球体ハウスを押し上げるバランスが崩れたのだ。水色の光が困惑するように宙をただよった。


「アンセル、こっちのことは気にしなくていい! 続けて!」


 宇宙スーツを着ていても耳は聞こえるらしい。水色の光は僕の言葉にうなずくようにこくりと上下に動いてみせると、白い光たちに体当たりを仕掛けていった。白い光が迷惑そうにアンセルの体当たりを避ける。そのたびに球体ハウスはバランスを崩し大きく揺れた。白い光はアンセルに気を取られて球体ハウスを思うように持ち上げられず、球体ハウスはふわふわと同じ高さを行ったり来たりしていた。


「アンセルいいぞ!」


 思わず僕はガッツポーズをした。これで酸欠までのタイムリミットが伸びる。ところが、ほっとしたのもつかの間、今度は白い光がアンセルに体当たりを繰り出した。しかも3対1でだ。アンセルの水色の光がふらふらとよろめいた。白い光になってもさすがは極悪非道な宇宙海賊である。


「僕も手伝わなきゃ!」


 穴から球体ハウスへ顔を戻すと、いつのまにか目の前に星野がいて星取り網をむんずと突き出した。


「これ使って! 私、山田くんと変わってくる」


 そう言って星野はテレビに視線をやった。そこには顔を真っ青にした山田くんが亀のスピードで自転車をこいでいた。このままではまた停電してしまう。僕は星野から星取り網を受け取った。


「ありがとう。頼んだ!」


 星野はニコッと笑って走って行った。今日星野が球体ハウスにいてくれて本当に良かったと彼女の後ろ姿を見送っていると、突然スピーカーから博士の声が聞こえてきて、そこに博士がいるわけでもないけど、僕はつい上を見上げた。


『エイトくん、マジックハンドを手動操作に切り替えた。ワシも手伝うぞ』


「うん!」


 僕たちはやっぱり最強のチームだ。



 形勢は一気に逆転した。3対1だったのが3対4になったのだからそうでないと困る。アンセルと星取り網とマジックハンドは白い光を追いかけ回した。白い光は往生際が悪く、隙きあらば球体ハウスを持ち上げようとしていた。だけど、さっきまでと比べると地上が近くなっている気がする。確実に僕たちの方が有利になっている証拠だ。宇宙海賊たちはあきらかに体力を消耗していた。動きに切れがなくなっている。


 アンセルが白い光の1つに狙いを定めて飛び出した。すると、アンセルの後ろから別の白い光が追いかけてきた。挟み撃ちだ!


「アンセル危ない!」


 僕の声に反応するように水色の光は待ち受ける白い光の手前で急降下した。アンセルを追っていた白い光が急に止まれずもう1つの白い光とぶつかる。目を回してでもいるかのようにふらふらとよろめく白い光をマジックハンドがようやくとらえた。パリンと何かが壊れる音とともに、2つの白い光は突然消え、マジックハンドの手中には意識を失った双子坊主がそれぞれつかまっていた。


『やっとつかまえたぞ!』


 博士の笑い声が球体ハウスにこだまする。マジックハンドの隙間から壊れたバッジのようなものが落ちていった。おそらくあれが彼らの宇宙スーツ変身バッジだったのだろう。マジックハンドにつかまれた衝撃でバッジが壊れてしまい変身が解けたようだ。双子坊主がマジックハンドにつかまっているということは、アンセルから逃げながらも球体ハウスを押し上げようと1人光の尾を散らす残りの白い光はヒゲモジャ船長だ。さすがに1人で球体ハウスを持ち上げるのは大変と見えて、僕たちはかなり地上近くまで戻ってきていた。ぼやけていた家々の輪郭が少しずつはっきりしてくる。


 ここまでくるとヒゲモジャ船長に勝ち目は無かった。双子坊主がつかまったのを見るやいなや、たった1人残ったヒゲモジャ船長は光のしっぽを巻いて一目散に空へ向かって逃げていったのだ。


「やった! 僕たちの勝ちだ!」


 水色の光が嬉しそうに左右に飛び跳ねる。船長には逃げられたけど僕たちの誰も傷つかなかった。これは完全勝利と言っても良いだろう。山田くんと星野にも伝えなきゃ! そう思った時だった。僕の体が大きく揺れて入り口から飛び出しそうになった。入り口の穴に橋をかけるような体勢でなんとか踏みとどまる。支えを完全に失った球体ハウスが急降下し始めたのである。


 宇宙に連れて行かれることを阻止するということで頭が一杯で、地球への戻り方までちゃんと考えていなかった! アンセルの水色の光が慌てたように球体ハウスを空へ押し上げた。落ちていくスピードが少し緩まった。だけど、アンセルは宇宙海賊に比べて力が弱いようだった。このままでは僕たちみんな地上に叩きつけられてしまう。


 しばらくすると水色の光からチリリと火花が散り始めた。それはまるでアンセルの悲鳴のようだった。そしてついに水色の光は輝きを失うと力なく球体ハウスから離れていった。


「アンセル!」


 僕は片手で体を支えながら星取り網を精一杯伸ばした。かすかに光る水色の光は網の中にすっぽり収まった。僕はしらずしらずのうちに息を止めていたらしく慌てて空気を吸い込んだ。危うく酸欠になるところだった。頬をすーっと冷や汗が伝っていく。間一髪アンセルはつかまえたが、球体ハウスは地面に向かって落ち続けている。どうしよう。どうしたらいいんだろう。自分の心臓が耳のそばにあるんじゃないかと思うくらい大きくドクドクと鳴っている。もうどうしていいか分からない。神様、仏様、誰でもいい! お願い助けて! 


 僕が心の底から祈ったその時だった。アンセルがいる網の中からチチチと音が聞こえてきた。


『☆▲*◎…◆■※…ヒ…○★◇…姫!』


 続いてパリンと音がして水色の光は消え失せた。そして代わりに僕が片手で支えている網の中に気を失ったアンセルが現れた。変身バッジが壊れたのだ。


「あっ!」


 僕は片手で網を支えきれなかった。気づいたら僕はアンセルと一緒に外に放り出されていた。入り口から博士が叫びながら手を伸ばしている。どうやら一歩間に合わなかったようだ。


 一瞬、明かりの灯った家や森の木々の輪郭がはっきり見えた。地上まであと少し。空気の抵抗で空いたままの口はからからになり、目はもう開けられなかった。地面にぶつかる瞬間が分からないのは良かったのかもしれない。死ぬ瞬間を知りたくないから。だって死ぬのはとても怖いから。耳元で風がビュウビュウ鳴っている。嫌だ。死にたくない!


 そう願った瞬間、風が鳴り止み、体がふんわり軽くなった。もしかして僕は死んでしまったのだろうか。恐る恐る目を開けると、僕はなんと金色の光に包み込まれていた。僕だけじゃない。近くをただようアンセルも僕たちの上にある球体ハウスも金色の光に包まれてふわふわ浮いている。球体ハウスの入り口では博士が目をぱちくりさせていた。博士にも何が起きたのか分からないのだろう。


「アンセル、大丈夫?」


 僕は金色の光を泳ぐようにアンセルのそばへと向かった。背中に手を回し支えようとしたけれど、僕もアンセルもふわふわ浮いているから重さは感じなかった。


「んん…エイトくん?」


「良かった気がついて!」


 アンセルは眉間にシワを寄せながらようやく目を覚ました。痛むのか眉間をほぐそうと伸ばした手がキャスケットのつばにあたり、そのままキャスケットが外れた瞬間、僕は目を見はった。


「アンセルって、もしかして…」


 金色の光の中、アンセルの銀色の髪がキラキラと棚引いて僕の顔をくすぐった。長くしなやかな銀色のその髪はまるで天の河を見ているようだ。


『アンセル姫お迎えが遅くなり申し訳ありません。ご無事ですか?』


「ひ、姫?」


 僕は空から聞こえてきた声に驚いた。そして、上を見上げてさらに驚いた。球体ハウスの上の方、そこには大きな大きな宇宙船があり、この金色の光をサンサンと降らしていたのだ。

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