第16話 僕とお別れ

「あいつらどうしようか」


 画面越しに見える、色とりどりのガムでぐるぐる巻きにされた宇宙海賊たちはしばらく聞くに耐えない汚い言葉で僕たちを罵倒していたけれど、さすがに疲れたようで今はだんまり静まり返っている。動けば動くほど絡みついて取れなくなるガムの攻撃は、肉体的にも精神的にも宇宙海賊たちに大きなダメージを与えたようだ。


 アンセルのもとにルナール星からの連絡はまだこない。宇宙保安官にいたっては、この広い宇宙の中でも、宇宙海賊たちに言わせればど田舎の、この地球の片田舎で起きている、おそらくこの町史上1番の大事件に気がついてすらいないようだ。もはや諦めたのか、今のところ抵抗する様子を見せないとはいえ、宇宙海賊だなんて極悪非道なやつらをいつ迎えがくるかも分からないままこの森に置いておくことは、この森の近所に住む僕としてもあまり精神衛生上よろしくないことだった。かと言って、警察に通報したところで日本の警察に宇宙人の取り扱いが出来るとも思えない。宇宙海賊がカツ丼を前に取り調べを受ける姿は僕には全く想像できなかった。


「ボクが宇宙に連れて帰ります。宇宙に出れば通信機も使えるはずですから」


 そう言って、アンセルは胸ポケットに軽く手をそえた。そこには宇宙スーツに着替えるための変身バッジが入っている。そして、それがあれば今すぐにでもアンセルは宇宙に旅立つことができるのだ。目の前に置かれた星のかけらの淡い光がなんだか物寂しい。


「そっか。アンセルの帰りをルナール星のみんなが待ってるよね」


 自分でもそんなつもりは無かったけれど、僕の声はなんだか元気がなかった。山田くんはようやく状況を理解したらしく眉をおもいっきりハの字にした。


「えっ…アンセル、もう帰らないと行けないの?」


 アンセルがキャスケットに手をかざした。どうやら顔を見られたくないようだ。


「はい…みんなのおかげで星のかけらを取り戻すことができました。なんとお礼を言ったら良いか…」


 星野がシュンシュンと鼻をすすり始める。


「せっかく仲良くなれたのにもうお別れなの?」


「星野さん泣かないで」


 手で目元を抑える星野にアンセルは白いハンカチを差し出した。花の刺しゅうがきれいな、いつか見たハンカチだ。


 あの日、この球体ハウスで初めて出会ってからというもの、アンセルと会わない日はなかったと言っても言い過ぎではない。最初はアンセルと博士と僕だけで始めた星のかけら発掘調査に、やがて山田くんが加わった。僕たちはいつだってアンセルがつくったお菓子をみんなで並んで食べていたものだ。僕はみんなが笑顔になるその時間が大好きだった。それに加えて今日はなんと星野まで球体ハウスにやってきた。そして、みんなで協力して宇宙海賊をこてんぱんにやっつけた。僕たちの息はぴったりだった。きっと相性が良いんだろう。最強チームの誕生だ。


 こうして、アンセルが地球にやってきた目的はついにただいまをもって達成された。自分の星の危機を救うことができるのだから、アンセルはきっと嬉しい気持ちでいっぱいのはずだ。アンセルは僕の友だちだし、友だちの喜びは、つまり、僕の喜びでもある。そう。そのはず、なんだけど。


 アンセルが鼻声になりながら困ったように僕を見た。


「エイトくんも泣かないでください。山田くんも。あっ、博士まで。もう、みなさん泣かないでくださいよう」


 机の上にポタポタと雫が落ちた。僕はいつのまにか泣いていたようだ。ふと横を見ると山田くんがしゃくりあげている。鼻を真っ赤にした博士は、涙をごまかすように顔全体を手のひらでこすっていた。それに―。


「アンセルだって泣いてるじゃないか」


 キャスケットを深くかぶり直したアンセルの表情はうかがいしれない。だけど、キラキラした水滴がアンセルの白い頬をすっと伝っていくのを僕は見逃さなかった。


「ボクは泣いてません。最後にみんなとは笑顔でお別れしたいんです。だってみんなの笑顔が好きだから」


 そう言って顔を上げたアンセルの顔は涙でぐちゃぐちゃで、無理やりあげた口角はぶるぶる震えていた。これではせっかくのきれいな顔が台無しではないか。僕はただアンセルの涙を止めたかっただけなのかもしれない。気がついたら大きな声で宣言していた。


「僕、いつか必ずルナール星を見つけるよ。そして、アンセルに会いにいく。だから少しの間だけさよならだ」


 アンセルははっと瞳を輝かせた。博士が嬉しそうにぷるぷる震えた。


「エイトくん、ワシも手伝うぞ。アンセルのおかげで地球の技術でも作れる長距離移動が可能な宇宙船のアイデアが浮かんだんじゃ。当分試行錯誤は必要じゃがな」


「博士…!」


 アンセルが両手を口にあてた。その声が僕にはとても嬉しそうに聞こえた。固まるアンセルに星野が勢いよく抱きついた。


「そしたら、私も会いにいくわ。ルナール星の案内よろしくね」


「はい! もちろん!」


 アンセルが星野を抱きしめ返す。その様子を山田くんが羨ましそうに眺めている。アンセルが山田くんに微笑んだ。


「山田くんも来てくれますよね? あっ、でも、食べ物は木の実しかないですけど…」


 ルナール星の主食はそれほど美味しくない木の実なのだ。アンセルは食いしん坊の山田くんがルナール星には来ないのではないかと心配になったようだった。だけど、山田くんはただの食いしん坊ではなかった。


「宇宙の木の実ってどんな味だろう。考えただけでお腹が空いてくるよ。ルナール星楽しみだなぁ」


 山田くんはそう言ってよだれをすすった。山田くんがただの食いしん坊じゃなく、探究心のある食いしん坊で良かった。「そうと決まれば」僕はみんなを見回した。


「みんなでいつかルナール星に行くから。だから、アンセル。それまで待ってて!」


 アンセルに向けた言葉に、博士も山田くんも星野もみんな力強くうなずいた。アンセルは袖で頬をごしごしぬぐい、短く息を吐いたあと、大きく息を吸って笑った。


「はい、待ってます!」


 その笑顔は僕が今まで見てきた笑顔の中で1番とびっきりの笑顔だった。胸のあたりがじんわりと暖かくなる。みんなの表情を見れば、僕だけじゃなくみんながそう感じていることが分かる。とっても幸せな気持ちだ。


 だけど、そんな幸せにいつまでも浸っている余裕はなかった。突然、球体ハウスがグラグラと揺れだしたのだ。衝撃で倒れた三角フラスコが激しい音をたてて蛍光ピンクの液体を床に撒き散らした。化学薬品には素肌に触れると危険なものがある。僕は両手を広げてみんなを制した。


「危ない! みんな離れて! これは…この液体は…博士、これ何?」


 この自己主張の強い色からして嫌な予感がする。危険なものはたいていド派手なのだ。スズメバチにしろ毒ガエルにしろ毒キノコにしてもそうだ。僕はごくりとつばを飲み込んだ。博士が、あぁ、と気まずそうに口を開いた。


「それはただのインテリアじゃ。滑ると危ないからぞうきんで拭いといてくれ」


 なんだ、心配して損した。アンセルが何も言わずにさっと床を拭き上げた。こうして危険の1つはあっけなく取り除かれたが、球体ハウスのグラグラはまだ続いている。山田くんがはっとしてモニタールームに走った。そうか! 何かこの揺れの原因がカメラに映っているかもしれない。僕も揺れに気をつけながら山田くんの後に続いた。博士たちも追いかけてくる。


 モニタールームでは一足先にたどり着いた山田くんが画面をあれこれ操作していた。


 巨大なキノコ、ポップコーンの海、上を見上げるおもちゃの兵隊とモグランド2号。次々に画面が移り変わる。突然、星野が「あっ」と叫んだ。


「さっきの画面戻って!」


 山田くんが慌てて先程の画面に戻す。そこはなんの変哲もない森の地面で、それ以外何も映されていない。首をかしげる僕たちを星野がいらだたしげににらんだ。


「いない! 宇宙海賊がいなくなってるわ」


「?! 本当だ!」


 星野の言うとおり、そこにはガムでぐるぐるまきにされた宇宙海賊がいるはずだった。山田くんが森中のカメラを動かし森中の映像を映し出す。だけど、宇宙海賊はどこにも見当たらない。今度は博士が「ん?」と首をひねった。


「さっきの画面に戻っておくれ」


 映し出された映像は上を見上げるおもちゃの兵隊とモグランド2号の姿だ。これが何か、と言いかけて僕は目をみはった。おもちゃの兵隊とモグランド2号がなんだかとっても小さい気がする。しばらくその画面を見ているとさらにどんどん小さくなっていった。球体ハウスがグラリと揺れる。


「もしかして…」


 揺れにバランスを崩した瞬間、博士と目が合った。博士は困った顔をしてうなずいた。


「球体ハウスが空を飛んでるー!」

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