第2話 僕と星降る夜
「エイトくん、今日はなんの日か知ってるかね?」
冷蔵庫から牛乳を取り出し、勝手に喉を潤していた僕は、手のひらで口を拭きながら博士の問いに首をひねった。
「今日? 7月5日だから…分かった! 全国にいるナナコさんの日だ!」
博士は嬉しそうに震えた。博士には嬉しくなると小刻みに震える癖があるのだ。
「ハズレじゃ! じゃが、分からなくてもとりあえず考えてみるエイトくんがワシは大好きじゃ」
思い起こせば、僕が博士と初めて会った日にも博士はそんなことを言っていた。実は、森のゲートにはパスワードを知らない人のために、『問題』が用意されている。その『問題』を解くことが出来た人はパスワードを知らなくてもゲートを通ることができるという仕組みだ。僕は、何十回、いや何百回、僕が考えたなりの答えをパネルに入力し、その度に「不正解!」と追い返されてきた。何度も諦めようと思ったけど、諦めなくて良かったと思う。だって、そのおかげでこうして博士と友達になれたんだから。
負けず嫌いな僕はしばらく今日が何の日か考えた。
「7、5…75…7×5=…35! サンゴの日だ!」
「違う」
「んー、セブンとファイブだから…」
博士は白いアフロを揺らしながら「ふぉっふぉっふぉっ」と笑った。
「そんななぞなぞみたいな答えじゃないよ」
「そうなの? あっ! もしかして博士の誕生日とか?」
「違うねぇ」
僕は、まるでそこに答えがあるかのように球体の天井を見つめた。だけど何にも浮かんでこない。ついに僕はがっくりとうなだれた。
「分からない。降参。答えは何?」
博士はぷるぷると震えた。
「分からないときに正直に分からないと言えるエイトくんはさすがじゃ! やっぱりワシが見込んだだけある」
博士と初めて会ったあの日も結局僕はゲートの『問題』に答えられず、ついに「分からない」と答えていた。そしたらなんとゲートが開いて、博士が球体の前で僕を待っていた。それが僕と博士の初めての出会いだ。僕が来るまで『問題』を解いた人間も「分からない」と正直に答えた人間もいなかったらしい。博士によると「分からない」は大人になればなるほど言えない言葉なんだそうだ。大人って不思議だね。
そういうわけで、自分で言うのもなんだけど、僕は結構博士に好かれてると思う。僕は博士と出会ってから何度も繰り返した言葉を言った。
「見込みがあるなら、僕を博士の助手にしてよ!」
「うーん…そのうちじゃな」
えー、またはぐらかされた。いつもこんな感じであしらわれてしまう。なんで今はだめなんだ。僕は博士と出会ってからというもの、この球体に足しげく通っては、置いてある本を読んで勉強したり、博士が読み上げる数字のメモを取ったり、紫色したよくわからない液体をビーカーにそそいだりして、博士をサポートしている。すでに助手と言っても良いくらいなのに、博士は絶対に認めてくれない。少ししょんぼりした僕に気づいたのか、博士は気をそらすようにポンと手を合わせた。
「そうじゃった。さっきの答えじゃが、今日はなんと流星群の日なんじゃ! たくさんの流れ星が見られるぞ」
虫取り網をぶんぶん振り回しながら博士が小躍りしている。そういえば、博士はいろいろなことに興味を持って研究しているけれど、最近は特に宇宙が博士のマイブームのようだったので、よく考えれば分かりそうな問題だった。何がサンゴの日だ。恥ずかしい。だけど、僕はすぐさま疑問に思った。
「流星群って獅子座流星群とか、ふたご座流星群とかの流星群? そんなことニュースで言ってたかな?」
僕は最近、テレビのニュースを見たり、新聞を読んだりしている。これも助手になるための第一歩かなと思って。だけど、ニュースキャスターの言うことは堅苦しくてなんだかよく分からないことの方が多い。ちゃんと分かっているのは星座占いくらいのものだ。それでも、最近流星群の情報があったかどうかくらいは分かる。僕の指摘に博士はぷるぷるを通り越してぶるぶる震えだした。喜びがマックスなのだ。
「そうなんじゃ! これは誰も予想できてない流星群なんじゃ! これを見ておくれ」
そう言って、博士はいろんな数字が表示されているパソコンの横にある四角い大きな印刷機から次から次に押し出されている長い紙の束をワサッとつかみ、僕に広げて見せた。どうやら毎秒ごとに変わるパソコン上の数字が瞬時にグラフに変換され、この紙に記録され続けているようだ。博士の顔がグラフを見ながら右に左に激しく揺れる。
「昨日から数値が異常なんじゃ! ワシの計算によるとじゃな…今日の24時に小ぎつね座の方向で流星群が見られるはずなんじゃ」
そう言って、博士が鼻息荒くグラフの1点を指差したけど、僕にはこのグラフの見方がさっぱり分からない。ただ、博士がなんだかすごいことを言っているのだろうことは分かる。僕は少し前の博士の言葉を思い出し、胸が一気にドキドキワクワクしてきた。
「もしかして…流れ星つかまえられるの?!」
博士のつぶらな瞳がキラキラ輝いた。まるで流れ星そのものだ。
「たいていの流れ星は地球に落ちる前に地上から70キロメートルくらいの空の上で燃え尽きてしまうんじゃ」
僕はひざから崩れ落ちた。
「えー! じゃあ、つかまえられないの?」
流れ星つかまえたかった。一瞬期待しただけにかえってがっかり度がマシマシだ。肩を落としてみるからにしゅんとする僕に博士が「コホン」と咳払いをした。
「じゃからワシは考えた。流れ星が燃え尽きる前につかまえればいいんじゃと。そこで発明したのがこのどこにでも売っている虫取り網を改造した、その名も『星取り網』じゃ」
そう言って、博士はさっきから振り回していた虫取り網、あらため、星取り網を頭上にかかげた。その瞬間、壁際にあるスピーカーから「ジャジャーン♫」と博士を称賛する音楽が鳴り響いた。僕は、博士が網を持っていない左手でこっそりリモコンを操作していたのを見逃さなかった。助手がいればタイミング良く音楽を流すのだってとってもスマートで簡単なことなのに。やっぱり博士は僕を助手にするべきだと思う。
それから僕はどこまでも長く伸びる星取り網を球体の頂上に設置するのを手伝って(まぁ、ほとんど博士がやったようなものだったけど)、裏の森を後にした。宿題のことはすっかり忘れていたから、家に帰ったらお母さんにこってり怒られた。宿題はいつでもできるけど流れ星は今日しかつかまえられないんだよと説明しようかと思ったけど、それを言うと裏の森に行ったことがバレてしまうから結局黙っていた。僕は今日これ以上怒られたくなかったし、お母さんだって今日はもう怒りたくないだろうから、これがみんなが幸せになる最善の選択だったと思う。
僕は大好きなハンバーグを食べ、お風呂に入り、お母さんとお父さんに「おやすみなさい」をして、そそくさと2階の自分の部屋に閉じこもった。いつもは21時に寝ている僕だけど、今日は流星群を見るまで絶対眠らないぞ!
そう、思っていたんだけどね。子ぎつね座の場所も調べて窓辺で星空を見てたんだけどね。気がついたら朝だった。流星群見られなかった。でも、代わりに僕は夢を見た。
ここはどこかの丘の上。頭上には満点の星が果てしなく広がっている。耳をすませば星の輝く涼し気な音が聞こえてきそうなほど空は星でひしめき合っている。僕はその星空の美しさに思わずため息を漏らした。すると、それを合図にたくさんの星たちが夜空の球体を滑るように地上に降り注いできた。僕は嬉しくなって両手を広げてくるくる回った。しばらくすると他の星よりも一際明るい流れ星がすぅーっと夜空を駈けていった。それは青白い光を放ちながら裏の森に落ちていった。
僕はまばゆい朝日に目を細めながら思った。博士は流れ星をつかまえることができただろうか。キラキラ光る流れ星を手にニコニコ笑う博士の様子が手に取るように想像できる。学校が終わったら今日も裏の森に行かなくては。
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