第8話 アルストロメリア

———半刻前、山頂———


「本当にアセビちゃんの言う通りになってしまったわね」

空に広がる魔族を仰いで、メリアは寂しそうに笑って見せた。


「どう足掻いても、この未来は変えられなかったのでしょうか......全く不甲斐ない自分が嫌になります」

アセビは唇を噛み締め、申し訳なさそうに答える。


「なーに言ってんの! 大厄災がアセビちゃん1人で何とかなる訳じゃないでしょうに」

明るく振る舞うメリアだが、その目は至って真剣である


「それに、あの日とはもう違うわ。ただ蹂躙されたあの日とは」

大厄災がアングレカム聖皇国を襲った夜を思い出したのだろうか、メリアから冷気を感じる。


「確かに。今の私達にはあの子達もいますから。きっと未来は明るいですよ」

アセビは精一杯の笑顔を作る。


「そうね、子供達を救えただけでここまでした甲斐があったのかもしれないわ。それにあなたのお陰で本来会えないはずの子供達に会えたんですから」

アセビに応えるように、メリアは微笑む。


——その時、2人は山の麓から慣れ親しんだ波動を感じ取った。


「あれは......ユリの結界」

アセビは遠い目をして、そっと呟く。


「そう......ついに使えたのねユリ......」

メリアは涙ぐみながら言葉を絞り出す。


「はい、きっとユリは、あの子達は立派な騎士になりますよ」

あんなに小さかった子達が今ではとても頼もしく見える


「ユリ、初めて剣能を使えて喜んでいるかしら。できることならこの手で抱きしめてあげたいけれど。それすら叶わないなんて私は親失格ね」

メリアは遠方に微かに見える小さな結界と自分の手のひらを重ねる。


「メリアさん、ユリが結界を使う局面です。余程差し迫った何かが起きているように感じます。そろそろ始めましょうか?」

アセビは感傷に浸るメリアの顔色を伺う。


「えぇ。ようやく第4師団卯月も来たみたいね。遅すぎよ全く」


「彼らなら安心ですね」

2人は目を合わせる。安堵したせいか心に余裕を感じる。


「ふふ」

今頃彼らもユリの結界を見て彼らも驚いているであろう。


「こんなことならもっとアタックしておくんだったなぁ」

アセビは口惜しそうに呟く。


「こんなに可愛くて献身的な子に好かれるなんて、幸せ者ねあの子は」

クスッと微笑むメリアに、アセビはそっぽを向いて頬を膨らます。


「それを分かってくれるのはメリアさんだけで、本人が気付かないんだから意味ないんですよ」


「それでもきちんと平等に愛を注いで育てたんだもの。あなたは本当にいい子ね」

メリアは下を向くアセビをさすりながら、剣現を始める。


「さて、あなたとも今日でお別れね」

光を纏いつつ剣現した『刀』にメリアは呟く。


「始めるわよ、アセビちゃん」

そう言うとメリアは刀を握る右手に力を込める。

アセビが静かに頷くと、一呼吸おいてメリアが剣を構える


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

周囲に光が集う。刀身を覆い尽くした光の鎧は、零れ落ちるように柄を伝い、メリアをも包む。


メリアは目を開くと同時に、勢いよく地面に刀身を突き刺す。


キィィィィィィィン

と甲高い音が鳴り響いた刹那、分厚くほのかに黄金色を纏った光の層が、空高く広がり、山の麓まで包み込む。

あっという間に雲に届かんばかりの高さまで黄金のドームが構築される。


アセビは初めて見る光景に呆然と目を見開く。

言葉を失うほど荘厳で美しい、これが国内最高峰の結界術......


「どうかしら? アセビちゃん。これで十分?」


「はい......範囲、強度ともにクリアです。......あの、メリアさんはこのレベルの結界作り慣れてるんですか?」


「何言ってるの、こんな規模初めてに決まってるでしょ」

にっこり笑うメリアに、アセビは脱帽する。

この大一番に初回で成功させたというのかこの人は......


「これで魔族は一度入ったら出られず、奴らを見舞う衝撃も外には漏れないはずよ。もちろん私たち以外の人間は入っても来れない。私の生きてる限り......だけどね」

メリアの誠実な瞳がアセビを見つめる。


「さて、ここまで順調にきたんです。私もそろそろ覚悟を決めなくちゃいけませんね。他でもない、あの人のため、あの子達を託された身として」

アセビは両頬を手で叩く。


「おいで、『恋酔刀』」

淡い桃色の光が、アセビの手元を覆っていく。


「一回くらい子供達に見せても良かったんじゃない? アセビちゃんも刀使えるって知ったらユリも喜ぶのに」


「だからですよ。ユリを甘やかしすぎてはあの子のためにならないでしょう?それに私の剣能はあの子との繋がりが強すぎますから......」

言い切らないうちに光が収まり、恋酔刀が剣現する。


「それはそうね。名前からしてアセビちゃんらしい刀だもの」


「もうメリアさん! ことの重大さ分かってます!?」

照れ隠しに怒るアセビを見て、メリアはふふっと笑う。


「......ごめんなさいね、あなたを巻き込んでしまって」

メリアが申し訳なさそうにつぶやく。


「何を言うんですか、むしろ私が自分の意志で巻き込まれに来たんですから」

アセビは一呼吸置いて、右手の刀の感触を確かめる。


そして大きな声で叫ぶ。


『アングレカム聖王国第2師団如月が副団長、アセビ・、現刻をもって大厄災殲滅作戦最終フェーズに移行します』


彼女は刀を握り締め、目を閉じる。


右手に構えた『恋酔刀』は淡い桃色の光を放ち、研ぎ澄まされた刀身は修道院の外に積まれた大量の箱(アセビが言うところの秘密兵器)を捉える。


———アルストロ流刀術五刀———


『星砕き』

瞬間、宙に剣戟が飛び交う。箱は粉々になり、中から飛び出した紫色の『粉』が宙を舞う。


アセビが刀を一振りすると、『粉』空中で綺麗に整列し、山に均一に降り積もる。


「この量を全部重力操作できるなんて......一体どれだけの努力を積んだの......アルストロ流刀術も免許皆伝レベルね」

メリアは感嘆する。


「メリアさんに褒めてもらえる日が来るなんて思いませんでした。まっ、私は努力と打算の女ですから」

アセビは降りゆく『粉』を見据え、続けて呟く。


こちらを見てにこっと笑うアセビは、そう年齢も変わらないはずのメリアにはとても幼く見える。

あぁ、きっとこの子は人の目に付かぬところでも本当に努力していたのだろう。


「全部、あの人に褒めてもらうために頑張ったんですよ?」


「全く......健気なんだから。私はあなたみたいな子なら大歓迎よ」


メリアはそう言いつつ、もう一つの剣を瞬時に剣現させる。


一瞬にして現れた2本目の剣にアセビは呆れる。剣現のスピードは剣能使いの実力を表す重要な指標の1つである。

この国に今ほどの速度で顕現できる聖騎士が果たして何人いるだろうか。


「『聖焔剣』よ、今再びあの子たちを導く光とならんことを」

そう祈ると、メリアのもう1つの剣、『聖焔剣』は紅く燃え上がる。


「いつでもいいわよ、アセビちゃん」

凛々しく立つメリアに皇族の貫禄を感じながら、アセビは己が剣を構える。


「では最後に一言だけ......」

コホンと咳払いをすると、メリアはゆっくりと深呼吸する。


「メリアさん、あなたに出会えて、あの子達と出会えて、私は幸せでした。あの子達がこんな凄惨な運命を辿らないよう、私なりの精一杯の愛をあの子達に」

アセビはニコッと笑うと頬を赤く染める。


「ありがとう。ごめんなさいね......」

珍しく小さな声で呟いたメリアを他所に、アセビは空を仰ぎ、大きく息を吸い込み、目を見開く。


恋酔刀は淡い桃色から濃度を増し、どんどん色が濃く、ついには紅色の刀身になる。


「私の生命力いのち、全部持っていけえええええええ」

そう叫んだアセビの声に応えるように、刀から溢れ出た紅の光が、天へ突き刺さり、大空を覆う魔族を包み込む。


——アルストロ流刀術秘刀——


『流星群』

刹那、アセビの真下に振り下ろした刀に引きずられるように、新たな重力場が形成される。


「落ちろ......墜ちろぉぉぉぉぉぉ」

泣き叫ぶアセビに呼応して、空を覆い尽くす魔族の軍団が

時空が捩れたと錯覚するほどのうねりと共に、急降下する大量の魔族が結界を通り抜け、山肌に押しつぶされるようにしていく。


アセビは体内で湧き上がる血を抑えながら、重力操作に全ての集中力を捧げる。

まだ......まだ気を失う訳にはいかない。奴らを全て地面に叩きつけて拘束しなくては。


それからどのくらい時間が経っただろうか。アセビが意識からがらにメリアに倒れかかる頃には、結界内に空を覆っていた全ての魔族が収容され、身動きも取れず下へ下へと押し付けられている。


「はぁ......はぁ......」

目や鼻、身体中血まみれになったアセビをメリアはそっと抱きしめる。


「そう......この数を一斉に地面に落として固定化までするなんて......どれだけの苦労があったのでしょうね......アセビちゃん、後は任せなさい」

全く大したものだ。これほど憔悴しながらも重力操作だけは保ち続けている。もしこの数が動き出したらひとたまりもない。


メリアは四方を囲い、積み重ねられた魔族達を睨みつける。

「20年前の仇、打たせてもらうわ」


願わくば、あの子達がこんな想いをしなくて済むように。


メリアは『聖焔剣』を構え、目を閉じる。


——アルストロ流剣術秘剣——


刹那、聖焔剣を覆う炎が大きく呻きだす。

『絶』

メリアの一言と共に振り下ろされた剣から、四方に紅い炎が広がる。


その炎はやがて、アセビの降らした『粉』——『聖火薬』に引火する。

そう、結界内に大量に霧散する『聖火薬』に。

とある材料から作られたこの火薬は、剣能以外で唯一魔族に通じることが知られている。


降り積もった聖火薬に引火するように、山中の地面に紅い炎が一瞬で広がる。これだけ集めたんだもの、きっと上手くいく。

確信したメリアを横目に、虚な表情のアセビが最期の声を絞り出す。


「—リ—私の分まで生——。もし叶———貴方とまた旅を......」

そう最後に囁いたアセビの瞼を、メリアはそっと閉じる。


「貴方って子は最期まで......。大丈夫よ。貴方にはきっとこの先、が待ってるから」

メリアは涙で濡れたアセビを強く抱きしめる。


「愛しい我が子たちの旅路に、幸多からんことを」

メリアはそっと瞳を閉じる。



炎は一瞬で爆発へと変わり、大地を揺るがす轟音とともに結界内のを消滅させた

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