迷子狼の秘密


「へぇ、それで蛇の匂いをぷんぷんさせてるってわけか」


 額をさすりながら、とりあえずの説明を終えた弓彦に青年はうなづきながら言った。


「そういうお前はなんでこんな山の中にいるんだ?

 お前、ここらへんの狼じゃないだろ」


 弓彦は邑の狩人連中とよく山の中を散策している。

 山にはそれぞれ住む妖しの者の風合いというものがある。

 弓彦の住む邑の周辺には、獣型で意思の疎通もおぼつかない、殆ど獣といって良い妖怪が多く生息する。

 人を欺いたり、陥れるという頭脳形の型ではなく、どちらかというと、猪突猛進。本能のままに生きる妖怪の縄張りだ。

 この青年のような人型で、話をする妖怪に出会うのは弓彦はこれが初めてだった。


「いや……、ちっと道に迷ったんだよ。

 そしたら嫌に強い蛇の匂いがしたからよ、これは、と思ってきたってのに

 外れかよ~」


 がっくりと肩を落とす青年の頭に寡が飛び乗る。

 そしてふりふりと青年の頭の前で尻尾を振り出した。

 青年の眉がぴくりと動く。

 そのまま視線は尻尾を負って右へ左へ。

 青年が手を伸ばそうとすると、今度は背中へ。

 背中に手をやると今度は肩へ。

 しまいには寝転んで尻尾を追いかけ始めた。


「猫じゃないんだから」


 そのあまりに真剣な様子を眺めながら苦笑する弓彦。

 手招きをすると、寡はするりと青年の手を離れ、弓彦の腕によじのぼった。


「と……とにかく」


 着物をぱんぱん、と叩きながら青年は立ちあがった。

 心なしか耳の端が下がっているようだ。

 頬も浅黒い顔の中でほのかに紅い。


「お前、この辺で千里眼使える妖怪知らねぇか?」


「千里眼……。

 遠くを見たり、人の心を読んだり、失せ物探しをしたりする、あれか?」


「そうだ。

 ちっと探し物をしてるんだがよ。これがどこにあるかわっかんねぇんだよ」


「そうだな……。

 妖怪じゃないけど、上月はそういうの苦手だって前に言ってたな。

 真安さまならなんでもできそうだが」


 別れたばかりの母と、髭面の和尚を思い浮かべる弓彦だが『人間ごときの霊力なんかアテにできるか』という青年の言葉で却下された。


「う~ん、とは言われてもな……」


 頭を掻く弓彦に、寡が鼻面を押しつけた。


(鈴 御前。 妖力、大)


「あ、そうか」


「なんだよ」


ぽん、と一つ手を打つ弓彦を覗きこむ青年。

弓彦はこれから自分が向かう妖狐・鈴御前のことを説明した。


「ああ、聞いたことあるぜ。

 えらいごつい年増の狐がいるってな」


 顎のあたりをなでながら上目遣いに宙を仰ぎながら青年は頷いた。


「そんなら旅は道連れだ。

 ……一緒に行っていいよなぁ」


 槍で弓彦の顎の辺りを押さえつけながら不適な笑みを浮かべる青年に、弓彦はやれやれといった感じでうなづいた。

 そんな中で何か懐かしい感覚があった。

 この強引さは誰かに似ている。


(……真生だ)


 元気の良い少女の顔を思い出し、そっと笑う弓彦に了解の意を汲み取ったのか、上機嫌で青年は言い放った。


「そんじゃあ、暫く世話になるぜ、相棒。俺の名前は紫狼丸。

 お前の名前はなんてぇんだ?」





 夜を徹して歩いた甲斐があったのか、朝日が昇る頃にはなんとか一行は邑を囲む山々の総称「神無山」の中の一つ「秦山」を超えることができた。

 紫狼丸の脚力はたいしたものだった。

 さすがは狼といったところか。

 小さな谷や川などは、助走もしないで飛び越すし、人蹴りで大人の頭5つほどの岩も笹団子のように踏みつぶす。

 夜目も鼻もよく利き、道中の水の探索や敵の発見などに大層役にたってくれた。

 性格も思ったよりも獰猛ではなく、案外人懐こいことなども、秦山を降りきる 前に理解することはできた。

 総じて悪い奴ではない。

 悪い奴ではないのだが……。


「なぁ、なぁ、それからどうなったんだよ。

 お前って木の中から生まれたのか?

 その肩のでっぱりってなんなんだよ。骨か、羽か?

 いてぇのかよ。それともやっぱり自由に動かせたりすんのか?」


 異様に好奇心が旺盛なのだ。

 あまり能弁ではない弓彦はこれには閉口した。

 なにぶん、弓彦には感情の流れというものがない。

 つい話も必要最低限の説明口調になってしまうのだが、紫狼丸にはそれがお気に召さないらしい。

 『その時どう思ったのか』『どんな感じがしたのか』しつこく聞いてくるのだ。

それに答えてやると実に嬉しそうに反応を返してくる。


(まるで子供だな……)


 不快感はとくにはないが、弓彦はとくに紫狼丸にそういう感覚を覚えた。


「木の中から生まれたかどうかは分からない。

 この肩にあるものは自分でもよくわからない。上月が拾ったときから生えていたらしい。

 骨ではないし、翼でもない。

 触ってもなんの感覚もないから、ひょとしたら何かの破片がつきささっているのかもしれない。一回抜こうとしたことがあるけど、刃物も金槌も一切通さなかったし、抜くこともできなかったよ」


 とりあえず一つ一つ説明してやると、ふんふんと何やら神妙な顔で頷いている。


「……俺からも質問、してもいいか?」


「なんだ? いってみろよ!」


弓彦から声がかかることは珍しかったので嬉しかったのか、瞳を輝かせて紫狼丸がこちらを見た。


「狼族って確か……尻尾が生えてるって聞いたんだが、お前って尻尾ないな。

 なんでだ?」


 尖った耳に、金色の目。

 手から生えた鋭い爪に、人にしては強靭すぎる筋肉。

 体格的には完璧に人妖の姿をした紫狼丸だったが、彼の尻には何故かあるべきものがない。

 そういえば、昨日は満月。

 妖、特に狗系の妖は力の1番漲る日。

 しかし、紫狼丸は一回も狼に変化しなかった。

 折から不自然に思っていた疑問をぶつけてみただけだったのだが、突如劇的に紫狼丸の表情が変わった。

 紫狼丸の手から音を立てて槍が落ちる。

 何かが遠くで割れるような音も聞こえたような気がした。


「……それは」


「それは?」


 硬直したまま声を出す紫狼丸を覗きこみながら弓彦が詰め寄ると、紫狼丸はずずっ、とそのままの姿勢で器用にも後ずさった。


「それは……、秘密だ~っ!」


 そのままかがんで槍を拾うと、脱兎のごとく走り出す紫狼丸。


「あ!

 お~いっ!どうした~?

 ……どうでもいいけどお前、道分かるのか~?」


 すっかり日が昇りきった平坦な道を走る紫狼丸の影を見ながら、弓彦は口に両手を添えて叫ぶ。

 遠くで点となった紫狼丸が垂直に飛び跳ねる様が見えた。

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