赤と青の嵐


 今度は行けども行けども荒野である。

 日のあるうちにどこかの邑にでも入ろうかと思っていた弓彦だが考えがちと 甘かったようである。

 紅い光に染まる空。

 いやに気迫のある風体の烏が、枝しか残っていない枯木の上に数羽とまって気味の悪い声で鳴く。

 累々たる死体がそこかしこに転がる野を前にして、何やら空気さえも暗澹としているように思えた。


「戦でもあったのかな」


 所々部位のない死体の山を淡々と眺めながら、弓彦は空穂を肩にかけなおした。

 首に絡まっていた寡が慌てて居場所を頭に変える。

 死体はボロにしか見えぬ布着れをかろうじてまとっているだけで、後は何も身につけていない物が多かった。


「戦って程のもんでもないんじゃねぇの、この程度の血の匂いだとな」


 乱雑な歩調で歩いていた紫狼丸が、近くに転がっている死体の一つを足でつついた。


「大して鍛えているようでもないし、その辺の邑同士のいざこざってことだろ。

 まだ匂いが新しいからそんなに時間がたってねぇみたいだ」


 紫狼丸が軽く蹴ると、丸太のように死体は転がった。

 何かつぶれたような音がしたのは、腐った内臓か。

 そんなことを考えながら、弓彦には自分に感情の波が無いことに初めて感謝の念を覚えた。

 このような修羅場を邑でしか育ったことのない者が見たらどうなるだろうか。

 考えるだによろしくないような気がする。


「おい、相棒」


 その時、後ろをついてきていた紫狼丸が低い声をあげた。


「どうした」


「しっ、ちと黙ってな」


 毛に覆われた尖った耳をぴくぴくと動かす紫狼丸。

 そして鼻を突き上げると、今度は慎重に匂いをかいだ。

 弓彦の頭の上の寡も鼻をぴくぴくと上下させる。


「……ちぃっとマズイかもしれね」


 鼻の頭を親指でこすると、紫狼丸は眉をひそめた。


「どうした」


 辺りに警戒の視線をさ迷わせながら弓彦が問う。


「血の匂いに誘われてこっちに来る奴らがいるぜ。……日暮れ時だからなぁ」


「なんの匂いだ?」


「狼族の匂いだなぁ、こりゃ。

 しかも女族。

 厄介なことになりそうだぜ」


 紫狼丸は鼻に筋をこさえてつぶやいた。






 荒涼とした荒野に流れる、一陣の赤い風「紅嵐こうらん」。

 彼女の風体を現すならば、その言葉が一番よかろう。

 それはその身に纏う紅色の胸当てのことでもなく、燃え尽きる寸前の夕陽のような見事な短髪の赤毛のことでもない。

 その名の由来は、彼女の研ぎ澄まされた自慢の爪。

 鉄兜をも、やすやすと薄皮のように切り裂く刃から滴る血の色。

 そこから彼女の通り名はきている。

 同じ狼族の男どもに、勝るとも劣らないこの爪を賞してつけられた名。

 割と気に入っている名前だった。


 本当の名前よりずっといい。


 そうほそくえむ紅嵐は狼族の部族の一つ、女族の族長である。

 仲間を従え、今日も戦場から戦場へ、血の匂いを求めて疾走する。

 この荒廃した世界は彼女達にとって、実に心地よい。

 思いのままに生き、戦い、そして土に返る。

 実に自然で、実に爽快。

 長老達が彼女達に語る遠い過去には、すべての生き物が静かに共存している場所があったそうだが、彼女達若い妖にとってはそんな世界は牢獄に等しく感じられる。

 今こそが自分の生きる時代、この場所こそが人生を掛けて生きる価値のある場所。

 それが、彼女達 狼族の精鋭[女族]全員の持つ価値観である。


 ふと、いつもの風の中におかしな匂いを感じ、紅嵐は立ち止まった。


「紅嵐、どうしたの?」


 彼女の右側を常に走る副官が声をかけた。

 通り名は「青嵐」。

 黒い長髪を持つ、たくましい狼族の女性である。


「ちょっと面白い獲物がいるようだよ」


 爪と同じく自慢の筋の通った鼻をひくつかせる紅嵐。


「『蛇』の匂いなんてこの変じゃあ、随分と久しぶりじゃない」


「紅嵐、『蛇』の匂いなんてする?」


 同じように横で鼻を使う青嵐。

 後からやってきた仲間達も一様に鼻をひくつかせる。


「なんだか変な匂いと混じってるけど、『蛇』だよ。これは」


 自信満々に胸をはりながら言う紅嵐に青嵐は顔をしかめた。


「あたしらの縄張りに他の妖がいるのは気に食わないけど……。

 『蛇』なんて相手にしてなんになるっているの?

 あいつら攻撃力は強くないけどやたらと素早いし、締め付けられたら終わりよ?」


「馬鹿だな、青嵐」


 心配癖のある副官を馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、紅嵐は言葉を続けた。


「女の『蛇』だったら、お宝を持ってることもあるよ?

 あいつら身体の中に神宝を封印してたりするからね」


 匂いのする方向に顔を向けながら、紅嵐はにやりと笑った。


「それにこの頃 手応えの無い人間ばっかり相手にしてきたからねぇ。

 そろそろ妖と一戦交えなきゃ、なまっちまう」


 言いながら自分の手を見る。

 沈みかけた陽の光りを受けて、彼女の爪が紅く光った。


「ちょっと変な匂いがするのが気になるけどねぇ。ま。あんたがやりたいなら好きにすればいいよ」


 慎重な割には、頭の意見を尊重する青嵐が反対することは、ない。

 紅嵐は嬉しそうに咆哮をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る