旅立ち……の前の閑話休題(1)

「玉姫を封じに行く?お前が?」


 かろうじて残った神社裏、上月達の住居の中。

真安の肩に包帯を巻きながら上月は息子の顔を覗き込んだ。


 裕観の邑に落ちた夜は、常日頃よりも暗く重い。

 玉姫に引き裂かれた裕観の一族を埋葬し、怖れおののく邑人達をなんとか落ち着かせた今はもう深夜である。

 遠くに聞こえる梟の声も、今日に限っては何故か禍禍しい。

部屋の片隅には、真生と蝦蟇。

 そんな底冷えのする空気の中、上月の傍らに肩膝をついていた弓彦は、静かにうなづいた。


 身体中の盛大な擦り傷と右肩に打撲。

 若草色の素朴な着物は、額の潜血によりどす黒い染みを幾つも抱えている。


「お前がねぇ……」


 肩身を脱ぎ、半身をさらしながら、大人しく上月の手当てを受けていた真安は顎をなぜた。

 もっともその動作は、森の茂みのように盛大な鬚の林の中を、手がまさぐっているようにしか見えないのだが。


「玉姫の封印の矢を抜いてしまったのは俺だ。 結局封印の弓もこの有様に……」


 弓彦は手の中に残ったひとつの破片を握り締めた。



「お前に責があるわけではない」

「別にお前のせいじゃねぇさ」


 上月と真安は同時に口を開き、そしてちらりと目線を交わした。

 すると、それが合図であったように上月は音も無く立ち上がると部屋の置くに消え、真安は細く空いた窓口に向かって低く長い口笛を吹いた。


「式をお使いになられたんですな」


 未だに先ほどの衝撃から立ち直っていない真生を膝に抱き、人の姿に戻った蝦蟇がそう言った。

 真生が信じられないものを見るような目つきで2人を眺めている。

 この2人がいがみ合う以外の姿を真生は生まれてこの方見たことがなかったのだ。

 それがこのように、まるで先刻から相手のことがわかるように動くとは……。


 上月は席をはずし、真安が瞠目してしまった。

 ふと、自分のこと以外に思うことがあり、弓彦は蝦蟇を見る。


「蝦蟇さん、先ほどはありがとうございました」


 言い、丁寧に頭を下げると、蝦蟇は慌てて首を振った。


「いやですねぇ、旦那。

 あたしなんかに頭を下げる必要なんてありませんよ。

 ただの古蛙。皆様のお役に立てれば何よりです」


 人のよさそうな顔で言われ、弓彦ははにかんだように笑った。

玉姫の一件意向、初めて顔を緩めた時だった。


「それに、あたしもあの蛇は気に食わなかったんでね。

 渡りに船です」


「なんせお前は化け蛙だからなぁ」


 瞠目していた真安がふと目を開け、何故か懐かしそうに言った。


「はいはい、そうですよ。

 こうして立派な化け蛙になれたのも、一重に真安様のご先祖のおかげです」


「どういうこと?」


 ぐったりとしていた真生がふと顔をあげて、蝦蟇の顔を覗き込んだ。

蝦蟇は、まるで孫をあやす老爺のように優しげな手つきで真生の髪をなでた。

その様子からは、とても先ほどの大蛙は想像できない。


「お話してもよござんすか?」


「まて、上月の話を先にしよう」


そう真安が言ったとき、上月が一巻の巻物を手に戻ってきた。

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