伝説の再来(4)


「……っつう訳だから、その鏡、俺によこしな」


 先ほどから上月を抱えたまま走り回る真安。

 四十とは思えない体力・脚力である。

 しかし上月は静かに首を振った。


「だから、お前だって分かってんだろうが。

 こうなった以上、もうその鏡はお前の手に余る」


「そう言うこと言ってんじゃない!」


 思わず砕けた言葉使いになって上月はふと、気恥ずかしげに横を向いた。


「なんだよ、言ってみろよ」


 こちらは相変わらず砕けまくった口調の真安。

 攻撃を避け、上月を抱えながら、である。


「私に投げさせて欲しいんだよ。

 巫女である私がこの鏡を守れないんだ。

 己のつとめを放棄するなら己の手でやるさ」


 ぐっと美しい唇を噛み締める上月に、真安は場違いな微笑みを浮かべて答えた。


「そいつぁ余計な事を言っちまったな。すまん」


 玉姫は今急降下の反動で空に舞っている。

次の降下の場所を選びながら、真安は抱える上月の髪に軽く顔をうずめた。


「だがよ、お前一人に責を負わせやしねぇからな」


 上月はそっと真安の胸に額を付けた。





 弓彦と弓 轟々と風が空を舞う。

 衣の裾が痛いほどに足を打った。

 白い世界に紅い点。

 「封印の矢」を「封印の弓」につがえた弓彦だ。

 身体の廻りの冷気が濁流のように流れてゆくのを感じながら、弓彦はぴたりと狙いを定める。

 上月を抱えたままの真安がこちらに向かって走り出したのが見えた。

上月が掲げる右手には妖しく光る鏡。

その2人をめがけて、遥か頭上より白き魔物、玉姫が降下をはじめた。

 白い鱗が玉姫の動きにあわせてある場所は玉虫色に、ある場所は紫色に輝く。

 緩慢でなめらかな動きは、一定の角度を保つと、突如矢のように真安たちに遅いかかった。



 頃合いを計り、鏡を玉姫に投げつける上月。

 どんな奇術を使ったものか、鏡は翼があるが如く舞いあがり、神社の屋根を軽く飛び越え玉姫の口の中に届いた。

 鏡の光を感じるやいなや、玉姫は口を開いた。

 ぽっかりと空いた巨大な口の中は地獄の炎を思わせる紅蓮色。

 この機会を逃せば間違いなく真安たちは一飲みだろう。

 弓彦は覚悟を決めた。


 軸足を固定し、差し出す足をやや前に。

 精神を額の1箇所に集中させる。

 その集中は、そのまま紅い矢の先端に宿る。

 古い弓は弓彦が力強く引いただけでぎしり、と嫌な音を立てた。


(使えない弓だ……)


 弓彦の心の中で何かが毒づく。

 と、同時に指が素早く弦を放つ。

 その瞬間、紅い弓は眼もくらむような輝きに満ち、一条の光の矢と化して迫りくる大蛇の喉笛にくらいついた。

 あたりに怒号が響いた。

弦を離した瞬間に弓は砕け散り、弾けた破片をもろに顔に受けながら弓彦は地を転がった。

 その弓彦の頭上、2寸ほどのところを大蛇がかすめていく。

 轟、という風の音が去った後、弓彦はなんとか顔を上げた。

 破片が額に辺り、真っ赤な鮮血がどくどくと音を立てて右目に流れ込む。

その弓彦の腕を乱暴に掴み引き起こしたのは、先ほどまで上月を抱えて走り回っていた真安和尚。


「おい、弓。しっかりしやがれ。

 くたばるのはまだ早ぇぞ」


 そういう真安はどこかに身体をぶつけたのか、左肩が嫌な曲がり方をしている。しかし顔には痛みの色はなく、けろりとしたものなのだが。


「玉姫……。玉姫はどうなりましたか……」


 不思議と痛みよりも熱さを感じる額を押さえ弓彦が尋ねると、真安は黙って空を指した。

 白い大蛇は今は登る滝のように垂直に空に向かって立っていた。

その首筋には光る紅い矢。

 右に左に身体をゆすると、身体を飾っていた氷の結晶が燐粉のようにあたりにきらきらと散った。

すると、どうだろう。

玉姫・西尾画 その結晶が散るにつれ、大蛇の身体は少しずつ小さくなり、薄くなり、最後には濡れ羽色の長い髪をなびかせた、一人の美しい姫が姿を現した。

 紅い唇と碧色の右目。左目は髪に隠れて見えない。


「あれが玉姫……」


 真安に腕をつかまれたまま、弓彦は呆然とその姿を眺めていた。


 玉姫はそのままするすると衣をはためかせながら降りてくる。

 その肩にはその風貌に似つかわしくない紅い矢が刺さっていたが、そこにあるべき血は、一滴も流れていなかった。


「やはり我々だけで封じることは無理なのか……」


 傍らに座り込んだ上月の口からため息が漏れる。


 しかし玉姫は弓彦たちに一瞥もくれず、静かに玉姫殿の庭に降り立った。

そこには一つの古びた髑髏が静かに置かれていた。


「確かあそこは"影"がいた場所だったよな」


 誰にとも無く真安が言うと、弓彦と上月がうなづいた。

 玉姫は、その髑髏を静かに両手で拾い上げると、その空虚な眼を覗き込んだ。そして、髑髏を胸に抱くと、ふわりと空に浮かぶ。

 弓彦たちに一瞥くれると一陣の風とともに姿を消してしまった。


「髑髏……。旦那様のものだったんでしょうか」


「そうだろうな」


 後を追うことも、最早射かけることもできずに弓彦がつぶやくと、真安が静かに答えた。


「自分でとどめを刺した旦那の髑髏なんて……何に使うつもりなの……?」


 青ざめ、腰を抜かしたままで言う真生を抱き上げると、真安は辺りを見まわして言った。


「さぁな。

 女にはいろいろとあるんだろうよ」


 後には、残骸と化した神社と累々たる裕観一族の屍が残されていた。

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