伝説の再来(1)


 直線を描いて飛来した矢は過たずに弓彦の左肩に突き刺さった。

 と、その瞬間、弓彦の身体を紅蓮の炎が包み、みるみる内に弓彦の身体は灰と化し、燃える炎とともに夜闇に千切れ散った。

 その後にはその様子を呆然と眺める『弓彦』の姿が……。


「妖狐の狐火か……。

 やはりうぬは妖かしの者であったか……」


 よくよく見れば、燃え落ちたのは弓彦の手にしていた提灯。

 その燃え残りの後には方々が焦げ落ちた一枚の呪譜が揺らめく。


 ざわざわと揺れる茂みの隙間から顔を出したのは、弓に矢をつがえている多作の顔。葉の影を帯び、斑に見え隠れするその表情は見えない。

 その後ろには先ほど姿を消した弥平が横たわっていた。

 両の手足を四方に向け、つぶれた蛙のような格好で地に伏す弥平の姿は、とても生者のものとは思えぬ。


「弥平……さん?」


 玉姫殿から駆け下りようとする弓彦を続く第2矢が襲うが、弓彦かろうじてこれを頭を横に避け交わす。


「多作さん、いったい何があったっていうんですか?」


 目の前で起っている不可思議な自体も弓彦の感情を揺らすことはできないのか。

多少とまどった顔を浮かべてはいるものの、弓彦の落ち着いた素振りはある意味で端で見ている者がいるとすれば、異様に映ったことだろう。

 しかし、そんな弓彦の様子に目もくれず、多作が弓彦の方へ……正確には玉姫殿へ寄ろうとした瞬間、多作の身体は目に見えぬ壁にぶつかったように後方へ弾き飛ばされた。


「悪しき者、どこからこの聖なる神殿に入り込んだか!」


 毅然とした声が響く。

 見ると、表神社の方角より駆け寄る巫女が一人。

 四十とはいえ、若き頃の美しい面影をそのままに、引き締まった眉に美しき紅い唇。暗蒼色の瞳は前方をしっかと見据え、長い塗れ羽色の髪を背中で一つにまとて朱色の袴をなびかせて走り寄るのは。巫女・上月。


「上月!」


「弓彦!」


 玉姫殿へ続く段に足をかけたまま弓彦が声をかけると、上月はひきつったような声を喉の奥であげた。


「お前……、何故そのようなところに……! そうか!」


 懐に手を入れると上月は一枚の丸い手鏡を取り出だした。

 持ち手が無く縁の金枠も色が変わっている古めかしい鏡だが、鏡面のみは妖しげなほど明るい光を放つ。


「悪霊! 正体をこの光の中に示すが良い!」


 上月が呪を唱え鏡の鏡面を多作に向けるやいなや、多作の身体から黒い霧のようなものが染み出るように浮かび上がった。

 ゆらゆらと、陽炎のように黒い霧が身体から離れると、多作はそのままそこに倒れた。上月の後から来た数人の裕観家の者が駆け寄ろうとしたが、上月の鋭い一括に留まった。


 暫し風に揺れるに任せていた影は次第に落ち着き始め、ついには一人の男の姿を形どった。

 風体は20代ほどの若者。

 しかし、恨めしげにこちらを見やる落ち窪んだ目は到底若者のものには見えない。

 時折後ろの景色を透かしながら立っているその姿は、なんとも壮絶な出で立ちだ。


「多作や弥平をとり殺し、弓彦をたぶらかす下郎!

 なんの未練あって、この世に卑しき姿を現すか!」


 影を指で示すと声高に叫ぶ上月に、ふと男は眉を曇らす。

 そんな男の姿を見ながら、呑気にも弓彦には一つ心にかかる事があった。


(この男の顔……。上月に似ている?)


 このような状況でそのことに気がついた者は、恐らくこの異常な感覚を持つ男一人だっただろう。

 引き締まった眉、筋の通った鼻、そして落ち窪んではいるものの何か強い意 思を宿したその瞳は瓜二つ。


 そんなことには気づかずに、そのまま声を荒立てる上月に男は一言。


「ただ……、女房を逃がしたい。それだけだ」


 ざわ、と集まってきた邑人たちから声があがる。

 ここから逃がすものといったら、奥の殿に封印されていると言い伝えられている「玉姫」のみ。

 しかし、玉姫の夫といえば、この裕観一族の始祖の嫡男、ただ一人の筈。

男は騒ぎには頓着せずに、転がった多作達の死体に目をやりながら続けた。


「先刻、この男たちがわしの封じられとった塚を壊した。

 だからわしはこの男たちを使ってここまでやってきた。わしの魂だけでは封印の地であるこの神社の結界には入れんからの。

 だが、やつらの身体をもってしても玉姫のおる部屋には入れんかった。そこでわしはこいつらの頭を探り神社に入れそうな奴を探した。それがその……」


 とふい、と半透明な手を上げてさした先には、弓彦の立ち尽くす姿。


「妖しげな男よ。もとよりこやつらはその男をここに呼び出し、なんくせつけて射殺すつもりじゃったらしいからの」


 なんだと、と叫んだのはどうやら真生らしい。


「こやつ、不思議なほど封印・結界の類をうけつけんようじゃの。

 妖怪の通る妖しの路を使ったが、人間避けの瘴気も何も通じんかった。それでようやっと妖気で目くらましをかけて神社まで近づけたが、身体に入れん」


「それで射殺して乗り移るつもりだったというわけか!」


 白い顔を紅潮させて、上月が叫ぶと、至極当然という顔で男はうなづいた。


「でも、なんだか変ですねぇ」


 玉姫殿の前に立ち尽くした弓彦が首をひねると、さらに頬を紅潮させて上月が叫ぶ。


「お前……まだそんなところに! 早くそこから離れんかっ!」


 いつも冷静な母の言葉に首をひねりながら弓彦は素直に答えた。


「すまん。身体が動かない」


「……またこういう切羽詰まったときにお前は……」


 実際、子供の頃から弓彦には変な癖があった。

 何か一つにこだわりはじめると、まったく身体が動かなくなるのだ。

 二つのことを同時にすることが極端に苦手らしい。

 自分の身体にはそういった容量がないような気さえする。


「しかし、確かに変な話じゃねぇだか?」


 取り巻きの男が声を発すると、廻りの邑人がうなづく。


「そうだ。あの化け物が玉姫の旦那さんだったら、裕観の坊ちゃんって事じゃねぇだか。裕観の坊ちゃんは妖怪さ、追い払っていただいて成仏なさったんと違うのか」


 ざわざわと騒ぎ出す邑人を上月が一括する。

 しかし、ざわめきは消える様子はない。

 その様子を影の男は揺らめきながら静かに眺めていた。

 しかし、誰が気づいただろうか。

 地を這う男の影の一部がずるずると、まるで血が土に染み行くように一人の男の足元に忍び寄っていたことを……。


「ええい! 静まらんか!」


 ざわめく人々の間から、野太い声が上がる。

 人に命令することに慣れた口調。大柄な体躯にえらの張った顔。

 裕観一族の長子、多助である。


「そんな悪霊の言葉に耳を傾けてどうする!

 あれはこの邑に祟りをなそうとする悪霊ぞ! 気を鎮めんか!」


 人を掻き分けながら前に出ると、今度は上月を一括する。


「上月! 貴様も巫女ならば、早うその悪霊を鎮めろ!」


「しかし、今の状態では弓彦が危ない」


「そんな化け物じみた男一人と邑を秤にかける気か!」


 吐いて捨てるように言う多助に上月はぎり、と奥歯をかみ締めた。

 今までも何回も弓彦を蔑ろにする扱いを続けてきたモトは、実は裕観一族である。 積もる恨みもいかばかりか計り知れない。

 その理由を考えれば、ここで悪霊と弓彦を同時に亡き者にできれば、まさに一石二鳥といったところであろう。

 影の言葉を信じるならば、かたや妻を助けんがために黄泉路より現れた悪霊。

 かたや己のために人の命をも物ともしない人間。

 果たして本当におぞましいものはどちらなのか。上月は逡巡した。

 しかし、神社は裕観のモノである。裕観一族代々の巫女の出といえど、本家に頭の上がる位ではない。そして、この状況を考えれば、「玉姫」の封印を解かれることはなんとしても避けなければならない。

 何より、「玉姫」を失えばこの邑に明日はないのだから……。


 弓彦はといえば、相変わらず呑気に立ち尽したまま事の成り行きを見守っていた。

 確かに弓彦には多助の言葉に怒りを覚える感覚も、悪霊にとり殺されそうになっているということに関する恐怖心もなかった。

 のんびり屋……というわけではない。産まれながらこの男にはそういた感情の波が存在したことはないのだ。

 それに、弓彦には彼らのことよりも気になることがあった。

どうにも、この玉姫殿に……というより正確にはその中にいる者が気がかりでならないのだ。

 それに、初めてやってきたにしては、この郷愁にも似た感覚はなんであろうか。酷く見覚えがあるような気がする。

 この配置、この景色。

 そんな中、切れ切れに夜空を遮っていた雲が晴れ、煌煌とした月光が降り注ぐ。そして弓彦は地を這う”それ”に気がついた 。

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