豊穣祭と巫女の息子と和尚の娘(1)
「
周囲を山々に囲まれた邑のはずれ、金色を織り成す稲穂の輝きに目を奪われていた弓彦は、呼ばれる声に顔を向けた。
長身に程よくついた筋肉が引き締まった身体を構成している。
いつ櫛をいれたのかわからぬほどボサボサの髪は、色素が薄く、秋の日に照らされると、まるで金色のように見える。
肩には矢筒と真紅の弓。
典型的な狩人の姿だが、その瞳だけは春の日差しのようにぼんやりと霞がかった笑みを浮かべているのだった。
「やあ、
自分の立っているあぜ道の近くまで走ってきた娘に弓彦は呑気そうに声をかけた。
女性……いや、まだ少女といったところか。長く艶やかな髪を頭の上でひとつにまとめ、闊達な感じをかもし出している。着物の裾からのびる足はしなやかで、若さが満ち溢れる。そして何より真生の生き生きとした漆黒の瞳の輝きを見るのが、弓彦は何より好きだった。
「本当、いい天気で良かったよ。今日は一年に一度の豊穣祭だからさ。うちの寺はどーせ八分だから関係ないけど、これで悪天候だったりしたら、弓彦のとこの神社さんは総叩きに逢うからね」
「うん、俺はともかく
弓彦は
齢四十と少し。
巫女にしてはいささか歳を重ねている感があるが、巫女として産んだ子が男児・弓彦一人なのでは致し方ない。
代々の巫女は、どういうわけか16になると必ず懐妊。女児を産むという不思議な習慣がこの神社にはある。
しかし、上月の代に限ってはなぜか女児が産まれず、男児・弓彦が誕生していた。
それにより上月の代は不吉であるとか、産まれた男児は災厄の証である、などと言われ、弓彦は邑の者から受けが良くない。
それは生まれて二十五年たった今でも変わることはなかった。
唯一、弓彦の存在を受け入れてくれる者といえば、皮肉なことに邑外れにある寺の和尚とその娘・真生だけである。
もともと神社を崇める一族の治める邑。寺の扱いは良くはない。
実際寺の和尚・真安は裕観一族とは折り合いが悪いし、上月とは犬猿の仲である。
しかし、どうしたことか真安和尚は幼いころから弓彦のよき相談相手であり、遊び相手であった。裕観神社抜きにつきあえば、けっこう良い人たちなのである。
「上月のことなんざどうでもいいが、お前がどうこう言われるのは好かんな」
真生の後からのたりくらりと
確か上月よりひとつかふたつ、年上の和尚である。
しかし、仏に仕える身でありながら髪はざんばら髪。娘を真似てか、後でひとつに縛っている様は、まるで馬の尻尾のようである。
煤けた袈裟に身を包み、右手にはドブロクの酒壺。
絵に描いたような生臭坊主だが、意外と説法はまともなことを言う不思議な人物である。
「まったくこの邑の連中ときたら、迷信深くていけねえな。このご時世に自分の目で見てきたもの以外に何を信用するっていうんだか」
「それって寺の和尚の言うことじゃないでしょうが」
酒壺を傾けながら胡乱な目で言う和尚を真生はにらみ返した。
「ただでさえ檀家がいないんだから、もうちょっとそれらしくしててよ!」
「馬鹿ぬかせ。この水神様々の邑で寺の身の置き場なんてあるかよ」
酒壺を右手で数回振り、最後には逆さにして覗き込む。
どうやら酒が切れたようである。
真安は酒壺の紐をふるって肩にかけると、半目で田畑を見回した。
邑の中央には大きなヤグラが建てられ、女たちがその下を忙しそうに走り回っている。その中に巫女装束が見え隠れする。指示を出しているのは巫女の上月である。
「上月の奴も忙しそうで何よりなこった……。
おい、弓彦。お前さっきから何笑ってんだよ?」
自分の横でやはり同じ方向を見ながらにこにこしている弓彦に、真安は怪訝な目を向けた。
「いえ、真安様はいつも上月のことを気にかけてくれてるんだなあ、と」
いきなり名を呼ばれ、笑顔の中に驚いた表情を浮かべて弓彦が答えると、その横で真生がやれやれと首を振った。
「相変わらずお天気な頭ねえ。
しょっちゅう見ているのはいがみあってるからに決まってるじゃない」
「そうなのかなぁ」
ぽりぽりと頬を掻きながら弓彦が和尚を見ると、和尚はすでにスタスタを道を歩き出している。
「真安様、和尚様!
本日の祭りにはいらっしゃるんですか?」
その背中に向けて弓彦が声をかけると、真安は振り返らず手だけをぱたぱたと振ってよこした。
「いかねーよ。
寺の中で適当に豊穣感謝の念仏でも唱えてるさ」
言いつつ数歩歩くと、真安は不意に立ち止まり弓彦の方を向いた。
「弓彦。 毎年言っていることだが、豊穣祭の間はお前、絶対にご神木と『玉姫殿』 には近づくな。何があっても近寄ってはならんぞ」
先ほどまでの怠惰な表情とは打って変わって真面目な表情で言い放つと、それきり振り返りもせずに、真安は寺への道へ去っていってしまった。
「まったく、毎年何考えているんだかね。教えてくれないのよ、絶対に。
だんまりなんだから嫌になる」
「きっと何かお考えがあるんだよ」
「でも、ご神木と『玉姫殿』に近づくな……なんて弓彦に『封印の儀』に参加させないつもりなのかしらね。大体 本来なら邑1番の弓の使い手である弓彦がやるべきなのよ」
「いいんだよ、真生。どうせ……」
「どうせお前みたいな化け物は神聖な儀式には参加できやしねぇんだよ」
嘲りを含んだダミ声が、横からかかった。
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