65.訓練の成果
断続的に空を叩く衝撃音を響かせながら、無数の鞭打を避けるリッテの手には、訓練用の短い木剣が二つ。いつもの立ち合い訓練だ。
時折呻き声が漏れるが、大半は回避できているように見える。最近はこうして、訓練時間の半分位は一対一で動きを見てくれるようになった。
とはいえ、ロージーの方は片手しか使っていない。明らかに手を抜いている訳では無いが、全然本気ではない。
一応こちらからの攻撃も許されているが、そんな余裕はほぼ無い。
そして、ほぼ交代時間に差し掛かろうという時、リッテが今日初めて仕掛けた。
鞭での攻撃を数発喰らいながらも、頭と胴体の急所以外は無視して思い切り前進。
近接戦闘に持ち込もうというのだろう。そしてロージーも動かず迎え撃つ。
リッテの両手の剣が閃き、ロージーの体に迫るが、彼女は
間合いを徹底して管理されているのだと感じた。
「あうっ……!?」
どこからか見えないような角度で飛んできた鞭の先端にリッテが肩を突かれた。
恐らく身を捻り様に背面から仕掛けたのだ。あんなもの避けられるわけがない。
リッテの体がよろめいて横を向くが、彼女も今回はそこで諦めなかった。お返しとばかりに、片手の短剣を回転しながら投擲し、飛び出す。
そして、急に動きが鋭くなる。以前にも少しだけ見たように、彼女の体をほのかな光が覆い、その速度を落とさないまま彼女は吠えた。
「やぁああああぁっ!」
そして、突撃――――――。
――――――――。
――……。
結局リッテが突き出したもう一つの短剣は、ロージーには届かず蹴り上げられ、その後腕を掴んで投げ飛ばされたわけだが……。
「……ま、悪くなかった、速度だけはね」
「ほ、ほんとぉ……?」
目を回したリッテは、へろへろになりながら、体を起こす。
「やった、やっと初めてちゃんと褒めて貰えた!」
「調子に乗るんじゃない、操作の効かない攻撃なんざ、いっぺん避けられちまえば相手の格好の餌食だ。それに動きが直線的過ぎて読みが利く。もっと研鑽しないと使い物にはならないね」
「それでもいいもんね! やったよぉ、ジロー君。次は君の番だからね!」
「いや……無理だって」
その後も、炊き出し活動は続けられ、徐々に奉仕活動に参加する人も多くなっている。並ぶ人間の数も増えて盛況になり、教会が負担する炊き出しの費用も馬鹿にはならないだろう。だが、もう寄付金等を流用していた偽フォルマンやミハイルのような人間はいなくなったのだ。経営状態も徐々に改善して来るだろうし、心配は無いのだろう。
以前は一人で少しずつ奉仕活動をこなしていたアルトリシアも、人々の元気な姿を見て肩の荷が下りたようだ。以前より少しだけ張り詰めた雰囲気が薄れ、表情が柔らかくなった気がする。
そして、ロージーにこき使われつつ、訓練や炊き出しと忙しく働く日々から一月も経とうという頃、俺達はそろそろこの街を後にしようかと相談をしていた。
このアレンシアと言う大陸。
桜のように、花弁が五枚の花の形をした大地――そこは五つの国が存在している。
俺達が今いるのはその内の一つ、アスコット王国と言う国の領内だ。その南端から俺達は、全てが繋がる中心の《黒境》と呼ばれる地域へと近づいている形となる。
中心地により近づいた次の街までの目途は立っているが、一つ問題があった。
そこより先に行くには二通りのルートがあり、標高の高い山を越えるか、大きな河川を渡る必要がある。
そしてどちらにしろ多くの魔物との遭遇が予想される……そんな説明を今俺達は、広げられた地図を目の前にしてロージーから受けているところだ。
「大陸を横断する形でそびえ立つクルーガ連峰を超えるには、かなりの準備が必要になる。今はまだ春先で雪も残ってるし、時期的にも少し待った方が良いだろう。もし急ぎだって言うんなら、シエス川を渡して貰う方が確実になるけど、だが、渡河にかかる費用は馬鹿にならないよ。一人頭最低1000ルコは見ておいた方が良い」
広いアスコット国の地図の中程にある灰色の山々と、その東側に流れ出す広い川の姿を見て、俺はロージーに説明を求めた。いくら大きい川とはいえ、どうしてそこまで金がかかるのだろう。1000ルコとなると、宿に二カ月近く泊まれそうな大金だ。
「渡河ってことは、船を借りるのか? でも、なんでそんなに金がかかるんだ? ただの川じゃないってこと?」
「そりゃそうさ。武装高速船っていう大きな船があってね。安全を期すにはそれに乗っていくしか無いんだ。どうも川の真ん中でどえらく大きい水竜みたいなのが出るらしくてね。生半可な船じゃ振り切れずに沈められちまうんだ」
「で、でも……無理無理、どう考えたってあたし達そんなに払えないよ。ここにいる間も滞在費だけで結構かつかつなのに」
リッテが何度も左右に顔を振る。確かに、二人分の貯金を合わせても500ルコにも満たない俺達には、そんな大金払える目途など無い。
「だろうねぇ……なら山越えの一択だ。クルーガ連峰は、南峰と北峰の二つに分かれていて、その間にも小さな街がある。まず南方の麓に有るエスクルデルでいう街で準備を整え、南峰を登りきると、すり鉢状の大地に作られた小都市が現れる。そこでしばらく体を休めた後、北峰を越えれば、もうすぐ先は大陸中部さ。だが……」
ロージーは厳しい表情のまま、地図を差した指を大陸の中央へとスライドさせた。漆黒で塗りつぶされ地形すら定かでは無い、人類にとって踏み入れることを禁じられた土地――《黒境》。そこをぐるりと一回りなぞると、彼女は覚悟の程を問うようにきつい視線で俺達を射抜く。
「くれぐれも油断しないことだ……山で出る魔物すら、シルヴァンなんかとは比べ物にならない位強い。あんた達も少しはマシにはなって来たが、まだまだだ。できればエスクルデルで仲間を募るなり、他のパーティに入れて貰うなりして行った方が良いよ。それに、山はここいら平地とは違って空気が薄い。体調崩す奴も多く出るから、案内してくれる人間が雇えれば一番いいんだろうけど……。とにかく、行くんならこれ以上ないって位に準備しておくんだ。道具だけじゃなく心づもりもね」
「わかった。着いてからしっかり考えるよ。大袈裟を言ってるんじゃないのは分かるけど、行ってみないと判断できない事もあるから」
「念には念を入れなよ……あんたらは自分だけじゃなく互いの命も背負ってるんだって肝に銘じておきな。どちらかが体調を崩した時、問題を起こした時の状況はある程度事前に考えて、素早い判断を下せるようにね。あたしが忠告できるのはその位だ。それと、あいつも明日と明後日位はギルドにいるだろう。戦るも戦らんも、好きにしな」
ロージーの忠告を胸に、旅立つ日を三日後に定めた俺達は色々と準備する為にギルドを後にする。
リッテは胸に帰するところがあるのか、一度立ち止まって気合を入れる様に頬を叩く。彼女の瞳からは強い決意が伝わって来る……ついにあの男と決着を付ける時が来たのだ。
そのまま俺達は教会に行き、この街を去ることをアルトリシアやアンナ達に告げた。
「随分と急だと言いたい所だけど……何となくそんな気はしてた。あなたもリッテも一所に留まれそうな人間に見えなかったもの。中部の方へ向かうの?」
「ああ……」
「……えぇ~? せっかく仲良く~なったのに~、つまんないよぅ。もうちょっとここにいようよ~」
「ごめんね~、駄目なんだ。あたし、自分の家族が生きてるかどうか調べにいかないといけないから……」
椅子に腰かけたリッテの後ろから、背もたれに体を預けたアンナが抗議する。彼女とは、あれから随分仲良くなり、言い争いの堪えないリッテとアルトリシアの間を取り持ってくれていたのだ。それでも二人は相変わらず口争いが絶えないけれど……。
「事情があるなら仕方ないわよ、アンナ。二人を困らせちゃ駄目……そう、駄目なんだから」
珍しく、意気消沈した様子のアルトリシアを見て、アンナは何か思う所があるのかしきりに首を捻っていたが、俺達が出立時間を告げると、二人は見送りに来ることを約束してくれた。これで心置きなく、最後の一戦に臨むことができそうだ。
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