61.意外な救援
通路の奥から何か物々しい轟音が近づいて来る。
その雷を鳴らすような振動音は徐々に間隔を短くして、奥から姿を現わしたのは……。
「ちょっと~、止まんないよ~止まんない止まんない止まんない誰か止めて止めて誰か誰か誰かぁ~あぁぁぁぁぁあああ!」
アンナと、台車と、それに乗った物凄く大きなバケツ。
全員の視線が後方から通路を曲がって向かって来たそれに目を奪われた。左右にゴトゴト揺れながら奇跡的にバランスを保ったままこちらへと突進して来る。
「あぁぁぁごめんなさいごめんなさい神様ごめんなさいぃぃ、もう駄目! 離す!」
彼女は力を使い果たしたのか、その場で手を離しずしゃっと頭から滑り込む。
そして加速の付いた、人の肩までも有りそうな巨大なバケツと台車は速度を緩めもせず、息を吸おうと背を反らした悪魔の背中に突き刺さった。
『グウォッ!? グウォアァァァァ!』
凄まじい衝撃音と共に追突したバケツは衝撃に耐えきれず爆砕。中に入っていた液体を辺りにぶちまけた。
中身は、どうやら水のようだ。うっすらと蒸気が上がって燃えていた炎が和らぎ、周囲の温度をわずかに下げる。
「ア、アンナ……どうしてここに?」
「あぅぅぅぅ……痛いよぉ~。アルちゃんがぁ火の中に、取り残されてるって聞いて慌てて来たんだよ~。あたしのせいだと思って~。いぃっぱいお水を汲んで押して来たら、勢いがつきすぎて重たくて止まんなくなっちゃったんだ~。……何か色々壊してきちゃったけど、大丈夫かな~?」
先に逃げた者達から聞いたのか、シスター・アンナは擦りむいた鼻をさすりながら目を細めた。
間に挟んだ魔物など存在しないかのようにマイペースで喋る彼女は、やっぱりどこかおかしい。
そして、悪魔は何故か地面でのたうち回りながら苦しんでいる。
確かに随分と激しい勢いで衝突はしていたし……ヤバそうな音はしてたけど。
まじまじと見ると、体から白い靄のような物が立ち上がっており、その光景にアルトリシアがピンと来たように叫ぶ。
「これ、聖水なの!? あなたちょっと、これは使い過ぎよ!」
「ひじょ~じたいだからいいかと思ったの~。倉庫に置いてあったの全部無くなっちゃった~」
「あぁ……もう。アレ、結構高いのよ……。でも……」
『グガァアアアアァァァ! アンナァッ、貴様モ神父共ト同ジヨウニ逃ゲ惑ッテオレバ良イモノヲ……許サヌゾ!』
悪魔は怒りの矛先を後ろの少女に変え、地面を叩いて起き上がる。大量の聖水とはいえ、致命的なダメージを与えるには至らなかったようだ。
レッサーデーモンは再度大きく息を吸い始める。アンナから消し炭にするつもりなのだ。
彼女は「お助けぇ~!」と頭を押さえて地面に屈みこむ。
悲痛な局面をなぜか喜劇の様に見せてしまうのは、ある種の才能であるかも知れなかった。
咄嗟に飛び出そうとする俺を、アルテリシアが止める……間に合わないと言う意味なのか?
だが……彼女の瞳から諦めの色は微塵も感じられない。代わりに濃い緑の瞳に見られたのは、アンナを助け、敵を打ち倒そうという強い意思だ。
「大丈夫、ただの聖水でも、これだけあるなら! 神の恩寵を賜いし命の源……天光と交わり、咎人を縛る聖鎖と為さしめん……《光流鎖》!」
神聖な力を立ち昇らせた彼女が、地面を湿す聖水に手を触れた。
すると、それは祝福されたように輝き、まるで生き物のように悪魔の体を這い上ってがんじがらめに縛り付ける。
『ガアァァ! ウグ……ァグァァ……!』
肌を焼く苦しみに悪魔が溜めていた息を吐き出す。
そして足元から徐々に口までも白い鎖に縛られ、悪魔は潰されるようにだんだんとその体を小さくしてゆく。
『コ、コンナ……トコロデ……』
浄化された魔力が鎖の間から空中に漏れて溶け、巨体は見る影もなく縮むと、もう普通の人間と変わらないサイズになる。
悪魔が漏らすか細い怨嗟の声を聞きながら、アルトリシアは、消耗した身体を横たえたまま済まなそうに頭を下げた。
「……止めを、お願いできるかしら。しばらくすればこのまま塵になるでしょうけど、長く苦しむのを見るのは、忍び無いわ……」
「ああ……わかった」
俺は聖属性の加護を得た剣を構え、鎖に包まれ人形のようになったその首を横へ薙いだ。
軽い音を立てあっさりとその首は落ちる。
そして悲鳴を徐々に耳障りな哄笑へと変えながら、灰となって崩れていった。
終わったのか……。精神的な疲労に限界を感じ、その場に倒れ込んでしまいそうになる。だがまだ周りはまだ燃えたままで、今脱出しなければ火に飲まれて命を落とすだろう。本格的な消火作業が必要だ。
精神力を使い果たし昏倒したアルトリシアを抱え上げ、不思議そうに起き上がって周りを見るアンナを連れ、俺は火で包まれているその場所から早々に脱出した。
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