57.シスター・アンナ

「フォルマン司祭様? ああ……悪いけど、私も数える程しか会ったことが無いのよ。助司祭のミハイルさんとシスター・アンナに聞いた方が早いと思うけれど。どうして彼に会いたいの?」


 日が沈みかけた頃の喫茶店。

俺は向かいに座るアルトリシアに、先だっての彼の奇妙な行動と、質素と言えば聞こえはいいがみすぼらしい教会の状態について思う所が無いか聞いてみた。


 すると彼女は、目線を上げ頬に手を当てる。


「ふ~ん……確かに、私もちらっと怪しい話を聞いた事は有るわ。前の司祭から引き継ぎがあった直後、数年後に予定されていた教会の修繕を彼は引き延ばしにしたそうよ。今、財源を管理しているミハイルさんだって、彼が引き上げたようなものだし……。もし万が一、彼らが私腹を肥やそうと教会を利用しているのだとしたら、確かに由々しきこと、だけれど……」


 彼女は柳眉を逆立てたものの、長いまつ毛が伏せられて瞳の上に落ち、落胆の息をつく。


「どうにもできないわ……そんな証拠も無いし。大体、それが発覚したとして、誰が咎め立てするの? あの教会の長は彼なのよ? より権威のある者に諫められなければ、改めるとは思えないわ」

「それは、俺にちょっと考えがあります。合わせて貰えるだけでもどうにかならないでしょうか?」


 俺の真剣な瞳を、彼女は試すかのように、じっと見据える。


「何故あなたはこんなことをするの? あなたがどうもそこまで信心深いとは思えないのよ、私には。かといって、こんなことをしてもお金にも、名誉にもならないでしょう? 一体……何が目的なの?」


 疑問は当然の事だが、彼女に何から何まで話すことは出来ない。

 よしんば語ったところで信じてもらえはしないだろうし。アルビスに表に出て来てもらえれば楽なんだけど。


 そして、口を突いて出たのは――。


「実は私は……記憶を失っていまして。あなたに出会う前、教会に来て祈りを捧げたのも本当に藁をもすがる思いでした……何か断片でも戻るものがあればと思ったのです。そうしたら、頭の中に声が聞こえて……最も信心深き者が汝に導きをもたらすであろう、その者を支えよ……と。そして、それはあの場で最後まで真摯に祈りを捧げていたあなた以外には思い当たりませんでした」


 ――めちゃめちゃ出まかせだった。


 だが他に良い手が思いつかなかったのだ。

 ……そして、彼女はすっと席を立つ。やはり、信用を得ることは出来なかったか。  

 そう思った俺に彼女が発したのは、意外な言葉だった。


「……一度だけ、あなたの言葉を信じてみます。どうにかして彼に会わせましょう。丁度夕食の時間も近いですから……給仕を担当しているシスター・アンナに話をすれば、何とかなるかも知れません」


 そうして彼女は教会へと戻りだす。虚を突かれた俺は、慌ただしく椅子から立ち上がると、急いで彼女の後を追った。




「――あ~れ? どうしたの~、アルちゃん~。それにそっちの男の子は?」


 シスター・アンナはあっけらかんとした感じの、修道女っぽく無い感じの女の子だった。悪く言えば、少し間の抜けた感じのする娘だ。


「駄目だよ~。聖職者たるもの、いんかんすることなかれなんだよ~」

「いんかんではなく、姦淫です……良く恥ずかしげもなくそんなことが言えますね。この方は神のお導きを得る為、私のお手伝いをして下さっている方なのです。失礼なことを言わないで」


 アルトリシアはその言葉に吹き出しながらも訂正した……耳を赤くして。

 そして彼女はアルトリシアの注意を聞いているのいないのか、先程と同じリズムで言葉を続ける。


「あ~そうなんだ~。わたしも~司祭様から禁止されてなかったらお手伝いするんだけど~、ごめんねぇ~」


 辺りに緊張感の欠片も無い、弛緩した空気が流れ出すのにアルトリシアは額を押さえた。シスター・アンナは微笑みながらゆらゆらと体を揺らしている。


「いえ、いいんですよ。気持ちだけ受け取っておきます……。ところで少し聞きたいことがあるのですが……フォルマン司祭への給仕はいつもあなたが行っているのでしたね?」

「そうだよぉ~でもね~、司祭様はいつもご飯だけ中に入れると~、後は外でぼ~っと待ってたらいいっていうからぁ、らくちんなんだ~。お世話しなくっていいって言ってくれるの~。いい人だよね~」


 彼女はへらへらと笑いながら一層目を弓なりに細くする。


「でもね~、時々部屋の中からちゃりちゃりじゃらじゃら~って音が聞こえて来ることがあるんだ~。なんなんだろ~って思うんだけど……見えないからわかんない~。あはは」

「……そう言えば、あなたも以前からこの仕事を続けていたわけではありませんでしたね。確かミハイル神父と同時期に前任者と入れ替わったと聞いていますけど……」

「そ~そ~。シスター・レグリって言って、わたしよりも大分お姉さんだったんだけど~……頑張り屋さん過ぎてぇ、司祭様の部屋に給仕に入った時にね~、テーブルの上にあった女神像をね~、倒しちゃったんだって~」


 彼女の喋り方はずいぶんゆっくりで、聞いていると何だか眠くなって来る。だがここで重要な証言を聞き逃す訳には行かない。俺は後ろ手で手の甲を抓って何とか意識を保っていた。


「そんでね~? いつのまにか、暇を出されたとかで~いなくなっちゃった~。いい人だったのに~……さびし~なぁ」


 彼女は眉をしょぼんとさせた後、はっとしたように口を当てる。


「あ~っ、もうお食事持って行かないといけない時間なんだ~。ごめんねぇ~わたし行かないと~」

「……ちょっと待って下さい。今日はその役、変わって貰えませんか?」


 アルトリシアが彼女の肩を掴んで止めた。彼女は足をばたつかせながら止まり、そのままくるりと回転する。


「わっとっと。ええ~? そんなの悪いよ~、アルちゃんもいろいろ頑張って疲れてるんだろうし~。ときどき皆から外の人の怪我を治したり、ご飯を持って行ってあげてるって、聞いてるから~」

「いえ、アンナ、私もその事について一度司祭様に、お伺いを立てなければならないのです。あなたたちの手を借りることができれば、もっと多くの人達の力になれますからね。ですから今回はどうかその役目を譲って頂けませんか?」


 アンナはアルトリシアの言葉を聞くと、ピタリと停止した。どうやら考え込んでいるようだが、ぼーっとしているようにしか見えない。あまりに答えが遅いのでアルトリシアは、彼女の目の前で平手を振る。


「あの、アンナ? 大丈夫ですか?」

「……、……お~っ! それは良い考えだと思うよぉ~、そしたらぁ、私はちょ~っとお腹が痛んで寝込んでしまったということにしようそうしよう~。も~し上手く行ったら私もお手伝いするからぁ、よろしく~。それじゃあお願いね~」


 彼女はにか~っと笑いアルトリシアの手を緩慢に上下に振ると、手を振ってふらりふらりと去ってゆく。いい子なんだが、見ていて少し怖いな、色々。


「……後は、食事を司祭様の元に持ってゆくだけですね……準備は良いですか?」

「大丈夫です、うまくいくことを期待していて下さい」


 首尾よく役目を譲って貰ったアルトリシアと俺は頷き合い、厨房に向かって歩を進めて行った。

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