55.信仰の道

 そのシスターと目が合った俺は、つい小さな声で呻く……だが彼女は小首を傾げただけだ。

 そう、こちらも変装しているし、接触があったのはあの一回だけなのだ。

 気づかれていない事に胸を撫で下ろす。


「そちらの方、どうかいたしまして?」


 しずしずと歩み寄り、こちらの顔を見つめて来る彼女。

 頭が真っ白になるが、どうにか本来の目的を思い出すと彼女から情報を聞き出す為に世間話を装う。


「……いえいえ、随分熱心にお祈りされているので、余程強い信仰心をお持ちなのだと思いまして。良かったら少しばかりお話を聞かせていただけるとありがたいのですが」


 なんとなく改まった口調になりながら、俺はそのシスターを見やる。


 すらっとした体型の、切れ長の目をした娘だ。すっと通った鼻筋ややや薄めの唇、芯の通ったような綺麗な立ち姿からは繊細な美しさが感じられる。

 ベールの奥には黒に近い艶めいた緑の髪が覗いていた。その彼女の、俺と同じくらいにある目線が、きらりと光りを帯びる。


「それは……神に仕える者として一心に祈るのは当然の事。そうで無くてはこちらの言葉も届きはしないでしょう。ですが、神は世の中全ての人間をお救いになりはしない。……失礼。私もこれから色々としなければならないことがありますの。神の目の届かぬところにも、救いを待つ方々は大勢いらっしゃいますから……」

「救いを待つ人……教会にお祈りに来る信徒の方々のことですか?」

「……何も分かっておりませんのね。こちらの教会の、神に仕える同輩ですらそうなのですから、仕方の無いことですが……。ごめんなさい、通して頂けるかしら?」

「ま、待って下さい! え~と、何かお手伝いできることとかありませんか? 実は俺、いや私は旅をしながら各地の教会を巡礼し、敬虔な信徒の方々の活動を勉強させて頂いておりまして。力仕事でも雑用でも何でもやりますので、そのすがら少しでもお話を聞かせていただけたら……」


 藁をもすがる思いで俺は彼女の前に出て食い下がる。

 最初はムッとした表情をしていた彼女だったが、何か考えがあるのか、少し間を置いた後やむなくといった様子で頷く。


「仕方ありませんね……迷える子羊を導くのも我らが務め。着いて来ることを許しましょう……ええと」

「ああ……ジロー・カズタです。よろしくお願いします」


 どうやら彼女はこの教会に所属しているわけではないようだ。それなら名前を明かしても恐らく大丈夫だろう。


「ジローさんとおっしゃるのね。私はアルトリシア・リュークス。長いので、アルで構いませんわ。こちらこそよろしく」


 こちらが差し出した手を、ひんやりとした細い手が包む。

 アルビスに言われた言葉を半信半疑で従う俺の目には、彼女の微笑みは心をどこか見透かしたように映る。本当はバレてたりしないだろうな……。




 外に出てまず訪れたのは、意外なことに商店の立ち並ぶ区域だ。

 彼女は店を回り食品と薬をどっさりと買い込む。それらを袋に詰め込み、俺に半分持たせると……彼女は俺を連れて街の南部へと向かった。


 少しずつ、立ち並ぶ家屋が寂れたものに変わってゆく中、彼女はその内の一軒、こじんまりした家のドアを叩く。


 中からした「入っておくれ……」という小さい声を確認すると、アルトリシアは扉を開き奥に進んでゆく。

 その行き止まりの部屋にいたのは、ベッドの上で体を起こした一人の老婆だった。


「……お腰の調子はいかがかしら?」

「ああ、いい塩梅だよ……もう少ししたら起きれそうだ」

「薬を塗りますね……ジローさん、あなたは出ておいて」

「ええ、わかりました」


 俺は素直に従って外に出ると、周りの景色を見わたした。

 やはりどことなく活気が無く、住民の顔色も冴えない。治安が悪いのか、外で遊ぶ子供の姿も見られなかった。


 随分慣れている様子だったし、彼女はこんなところに頻繁に出入りしているのだろうか。危なくはないのか?

 程無く、「お大事にね」という声と共に出て来た彼女に俺は疑問をぶつける。


「もしかして、ここは余り裕福じゃ無い人達が集まるところなんですか?」

「……ええ、そうよ。貧しくて、その日の食事にも困るような人がたくさんいる。けれど、この人達が皆悪いことをしたり、怠けたりしている人では無いわ。体が動かなくなってしまったり、心が上手く思う様に制御できない人とか、親を亡くした子供とか。他にもそんな人達がいっぱいいる。でも、そんな人達は教会には来てくれない。当然ね……祈ってお腹が膨れたり、病気が治ったりするわけでは無いもの」


 言葉の割に、大した落胆も見せずに彼女は言った。世の中にはどうしようもないこともままあるのだと、割り切ってはいるのだろう。


「私自身は、祈ることで心は救われる事もあると思っているけれど……ここにいる皆はそんな余裕は無いじゃない? だから、せめて少しだけでも心に余裕を取り戻して貰えたら、とそういう訳なのよ」


 彼女は少し自嘲気味に笑った後、時間を惜しむかのように、すぐに表情を切り替えて次の家へと歩き出す。

 行く先々で笑顔を絶やさず、治療をしたり、食べ物を与えたり、子供と遊んであげたり。


 中には、もちろん歓迎されないこともあったが、いちいち落ち込んだりせずに、すぐに顔を上げて次へ進んだ。

 芯のある強い心を持った人なのだと思う。


 そうして一日中色々な所を回り続け、日も暮れた頃、彼女は再び教会へと戻って行く。荷物持ちとして傍についていただけの俺を、彼女は道中ねぎらってくれた。


「おかげさまで、随分捗ったわ。ありがとう。それで……何か参考になったかしら? ジローさん」

「はあ……あなたがしていることは凄く人々の助けになっていると思います。でも、何故あなたはお一人でこれをなさっているんです? 他の方達にも手伝って貰えれば、もっと捗ると思いますし、女性一人でこういったところをうろつくのは、正直……危険だと」


 この質問に彼女は顔を曇らせた。事情があるのだろう、ため息交じりに彼女は呟いた。


「それは……色々あるのよ。一応私だって掛け合ってみたりはしたのよ? でもどうも、司祭様がお止めになったみたいでね……。彼らも自分達の仕事があるし、私はここよりもっと大陸中央の方から来た余所者だから……。そんな人間に誰も勝手されたくは無いんでしょう。まあ、何かあっても一応魔法の心得はあるから、大丈夫よ」


 どうやら話を聞くと、彼女はもっと北部からこちらの方に流れて来たらしく、元々の目的は色々な街を巡って多くの人と触れ合い、自分の信仰の道を見つけることなのだという。

 この活動もその一環なのだということらしい。人手が足りないことに付け込むようで悪いが、ここは少し同行させて貰おう。


「そうですか……。なら、しばらくの間私にも手伝わせて貰えませんか?」

「……言っておくけど、これは慈善活動で、何の見返りも無いのよ? 見た所、あなたは旅人だし、しなければならないことが他にあるんじゃないのかしら?」


 彼女は僅かに警戒心を覗かせる目でこちらを見た。怪しく感じるのも無理は無い。  

 誰だけ分からないような旅の男が急に手伝いを申し出るのだ。たとえ困っていたとしても、都合良すぎることこの上ない。けど、ここで手を離す訳にはいかない。やっと見つけた手掛かりなのだ。


「確かに目的は有ります……事情は話せませんが。けれどここで多くの人々の役に立つ事がどうしても必要なんです。迷惑は絶対に掛けませんので、どうか手伝わせてく下さい……お願いします!」


 他に縋るものも無いのだ……。必死に頭を下げる俺を邪険にできず、彼女は顔の前で何かを呟くと十字を切る。


「……そこまで言うのなら。ちょうど人手も欲しかったところだし、気持ちが変わらなければまた明日、朝の礼拝の時間にここへ来てちょうだい」


 そうして彼女は黒い修道服を揺らし、教会の中へと消えて行った。翌日からはしばし慈善活動に勤しむことになりそうだ。

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