54.敬虔な信徒をなぞれ

 コルン冒険者ギルド、二階の借り部屋の一室の前で俺は小さくノックをして待つ。

しばらくして返答が無ければ出直そうかと思っていたが、けだるそうな声が返って来る。俺は手に持った盆を揺らさないように、ゆっくりと扉を開けた。


「入って……こほっ。食事、持って来てくれたんだ……わざわざごめん」


 リッテは起き上がれるようにはなったようだが、まだあまり焦点が合っていない。

 

「ただの粥だけどな。これなら入るかと思って。……調子はどうだ?」

「うん……大分楽になったけど、まだちょっと外にはね……あはは」


 力なく笑う彼女は、半身を起こしてぼんやりとしたまま、組んだ両手を腹の前でもぞもぞと動かしている。


 食事をテーブルの上に置き、ベッドの傍に椅子を寄せ、額に手を当て熱を測る。

まだ熱いし、顔にも赤みが差している。復帰にはしばらくはかかるだろう。


 器を渡そうと持ち上げたが、彼女は俯いたままで受け取る気配が無い。


「……食わないのか? あれか? 冷まして欲しいのか」

「んや、あたしもそこまで子供じゃないよ……食べる食べる。頂く……けど。本当にごめんね。あたしのせいでせっかくのチャンス……潰しちゃってさ」


 彼女の表情は暗い……自分の事だったならいざ知らず、俺の生死に関わる問題だから余計に気に病んでいるのだろう。

 器を受け取りはしたものの、食事は一向に捗らない。


「……気にすんなって、俺もすんなりいくとは思ってなかったしな。半分位どうにかなったんだから上々だよ。何とかなるからまずはちゃんと休んで体を直せよ」

「うん……本当にごめんなさい」


 謝って欲しいわけではないけれど、彼女の気持ちもわかる。

 今は時間が体力と精神を回復してくれるのをゆっくり待つしかない。


「わかったってば。後、絶対に変なことは考えるな? はやまって借金とか変な仕事しようとかすんなよ? なに、頼み込めばロージーだってあと一回くらい引き受けてくれるかも知んないしさ。駄目だとしてもまあ、当てはあるから心配すんな」

「本当……?」

「本当の本当。だから早く食って寝る。体が楽になったらまたしっかり手伝って貰うから」


 自分の意地と、リッテの体を案じての半々の嘘。

 それを見破られたのか定かでは無いが、突然の行動だった――彼女はベッドから身を乗り出し俺の体を強く抱きしめた。

 喉を震わせて出て来たのは、心細そうなかぼそい声。


「絶対に……黙ってどっかに行ったりしないでよ。今も怖いんだ。君がいなくなったら……あたし、きっとこの先旅なんて続けられないよ……」


 柔らかく細い体が嗚咽を漏らすのを聞いて、小っちゃい頃の妹がこんな感じに良く抱き着いてきたのを思い出す。熱のせいもあるだろうけど……人肌の暖かさが久しぶりに身に染みた。

 

「……何度も言うけど、大丈夫だって。なんなら呪いでもしとくか? 俺の元居た所では確か、こんな風にしてさ……指切ったって約束したことを守らないと罰が当たるんだってさ……」

「何それ……意味わかんないよ」


 少しでも安心させたくて、俺はリッテの小指を取って自分のと絡ませた後に引き抜く。リッテは不思議そうにそれを見た後やっと淡く微笑んだ。


「ごめん、こんなことして。風邪が移っちゃったら困るもんね……いってらっしゃい」

「うん、行って来る」


 約束したんだから、ちゃんと果たさないと。

 早くリッテの元通りの笑顔を見れるように一刻も早く問題を片付けようと、やる気を取り戻して外に出た俺は、再び考えを巡らせ始めた。




 確認し忘れていたロージーがくれた袋の中身。なんと中には500ルコも入っていた。

 大きな助けにはなるが、教会への寄進で済まそうと思ったらまだ3000ルコ程も足りない。


(……もう一度、俺達だけでシルヴァンを狩りに行くか? いや、流石にリスクが高すぎる)


 シルヴァンは少数だが群れで行動する魔物だ。ロージーとガムリという強力な冒険者がいてくれたからこそ、安牌を取って有利に戦えた。一対一なら何とかなる自信があるが、一度に二体以上かかって来られては恐らく対処しきれない。


(連れて行けないだろ、そんなとこに……。行くんだったら一人で、一番最後だ)


 他に何かないか……恥を忍んでディジィに金を借りるとか……? いや、彼らもそんなに大金を持っていそうには見えなかった。

 この辺りで採集などで売った物品を売却しても大きな額は稼げないだろう。何かもっと……他の方法がいる。そんな考えを能天気な声が吹き飛ばすように響いた。


(お疲れ~っす! どう? うまいこと行きました?)


 声の主は言うまでも無くアルビスだ。意外と早く連絡が取れてほっとした。


(あれ、お前どっか行ってたんじゃ無かったの?)

(行ってましたよ~! や~やっぱりリゾートはいいっすね~! しっかり焼いて来ましたよ、イェイ♪)

(お前ェ、人が迷宮で命のやり取りしてる時に……いや、もういい)

(いや、良くないっすよぉ。思わず記録しちゃったんで見て下さいよ! この青い空と海! 寄せては引く波の音! 最高! )


 どこなんだよそれ……頭の中に勝手に、白い砂浜でピースするグラサンかけた女神の姿が再生され、俺は頭の中で抗議する。


(うぜぇえええぇぇ! 俺は下手すりゃ後三週間の命なんだよ! FPかルコを稼ぐ良案が無いならその口を今すぐ閉じろ!)

(あら、という事は上手くいかなかったみたいですね? 後具体的にどの位なんですか?)

(……3445FP。ただ、手元に500ルコはあるから最悪2945FP稼げればどうにかなる)

(ふ~ん、まあまあ頑張ったじゃないですか。その努力に免じて一番手っ取り早い方法を授けましょう)

(なんだ、そんなのがあるのなら早く教えてくれよ)

(何かを信じさせるには、それに足る理由が必要になるのです。敬虔な信徒の行動をなぞりなさい。それが近道です、一番のね……では私はお土産を上司に配って来ないといけないので、これで――……)

(は!? ちょっと、おい! もっと詳しく――)


 それきり声が聞こえなくなり、俺はばたりとベッドに倒れ込む。信徒がなんだって? 神父にでもなりゃいいのか……いや、ああいうのは神学とかを深く知る必要があるんじゃなかったっけ。


 信徒をなぞれ……取りあえず明日教会にでも行ってみるか。しかし、《存在証》の一件が有るしな……顔を覚えられていなきゃいいが。雑貨屋で変装道具でも見繕うことにしよう。




 俺は雑貨屋で伊達メガネとかつらを揃え、明くる日に教会に出向く。

茶髪とか、本当に似合わんな、俺……売れない芸人みたいになってる。

でも一番安かったのだ、これが。


 しかし、誰が敬虔な信徒であるとか、見ているだけでは良く分からない。

 とりあえず、人の集まる聖堂にでも行ってみようか。

 受付の神父に微笑んで目礼し、聖堂に祈りに来たと告げると快く通された――先日の一件は大丈夫だ、バレてない。


 今日も礼拝が行われているようで、奥からパイプオルガンで静謐かつ荘厳な音楽が流れているのが聞こえて来る。

 中は流石に広く、四列に別れた五人位座れそうな椅子がいくつも立ち並ぶ。そして前方のアーチ状のステンドグラスの中央に飾られているのは……白い髭の老人。

 あれは最初に合ったあの神の姿じゃないのか!? 


 名前はどうやら光神アトロポスというらしいが……それを見てここで祈る気がだんだん失せて来てしまった。

 まあ、それが目的では無いので良いのだけれど。


 しかし、皆かなり真摯に祈りを捧げているので、簡単には見分けがつかない。

 ちらちらと周りを見回している内にやがて礼拝は終わり、中からぞろぞろと一般の信者が返ってゆく中、一人真ん中の方でじっと祈りを続けているシスターがいる。

 時間の長さと信仰心が比例しているとは思わないが、彼女に少し話を聞いて見たいが……いやしかし、どうやって話しかけたものか。


 迷いつつも、命がかかっている為何とか踏みとどまり、じっと彼女の祈りが終わるのを待った。

 そして振り向いた彼女のベールの陰から覗いた顔に俺は、息を詰まらせる。


 その女性の顔には見覚えがあった。

 彼女は、いつぞやリッテを田舎者呼ばわりしたあのシスターだったのだ……。

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