53.三日目から四日目・問題発生、そして……
迷宮探索に出発して三日目は、少しの慣れのせいか前日より順調に進んだ。
相変わらずガムリは俺をいいように使って自分のやりたいようにやっていたが、止めだけはくれていたので、喉元まで出かかった文句も何とか飲み込めた。
真ん中の道は油の跡でぬめって光り、キャメルリザードがいることが予想できたので避けている。
ガムリ曰く、シルヴァンの毛皮ほど高くでは売れないので捌く気にもならないとのことだ。棲み分けでもあるのか、シルヴァンと一緒に出現することはなく、ほとんど彼らの姿は見かけていない。
今までで合計32匹、止めを刺した20匹の分を昨日までと合わせて、3400FP程が手に入っている。目標の7000FPまで大体後残り半分……ゴールが見えて来たと思って、意気揚々と臨んだ四日目、迷宮内で問題が起きた。
――その日俺達は、入り口から伸びる三叉路の一番右側を進んでいた。途中にリザードが見かけられれば避けるつもりだったが、一時間ほど進んでも油の痕跡は見られず、探索可能だと判断したのだ。
「……少し道の傾斜が上がってるね。リッテ、書いてるか?」
「はぁ。え……ああ、ごめんなさい。聞き逃しちゃった……何だっけ?」
少し開けた空間に出た時の事だ。ロージーが言った言葉に、リッテは気を逸らしていたのか、もう一度聞きなおす。少し汗をかいて、前髪がしっとりと貼りついている。
「……リッテ、あんたどうかしたか?」
「べ、別にどうも無いよ。ち、ちょっと疲れただけだから。全然大丈夫」
「っと、来なすったぜ……団体さんがよ」
ガムリが細長い顎で示す先にには、シルヴァンが七体程か。俺達はすぐに態勢を整える。
俺達を包囲する様に扇形に拡がった銀の狼達は、小空間の、俺達から見て右側から押し包むようにじりじりと間合いを詰め、自然と左側に追いやられる。
今までと同じようにリッテとロージーを後ろに置きながら、俺達は先走る狼を迎え撃とうと、逸らずにじっと待つ。だが……。
後ろで何かが崩れるような音がして、耳を疑う。
次いで混乱する思考に届いたのはリッテの悲鳴だ。
「なっ……キャッ!」
白い頭が何かに飲み込まれるのが見え、俺はついそっちを凝視する。
穴。何が!?
「来てんぞ! アホがッ!」
ガムリの声が一瞬遅ければ、俺は首筋に喰いつかれていた。辛うじて隙間に捻じ込んだ腕に牙が喰い込む。
そのまま押し倒されそうになるのを何とか耐え、踏ん張ってどうにか引き剥がそうと剣の柄で殴った。
だが離れない。腕が痺れて来る。
腰に着けていたランタンの油が激しく揺れた。
「世話やかすんじゃねえボケ!!」
ゾン、っと頸骨を寸断され、俺に喰いついていた狼の口からやっと力が抜ける。切ったのはガムリで、物凄い形相でこちら睨みつけている。これは仕方ない、俺でもそうする。
だが、何故? ロージーは何をしてる、リッテはどうなった?
先程彼女達がいた場所を見ると、確かに姿はあった。だが、下半身だけだ。
そうだ、穴――落ちたのかリッテは?
だが、こっちはこっちで不味い。シルヴァンは輪を縮めて来ていた。いつ飛び掛って来てもおかしくは無い。
「キャメルの……巣穴だっ、奴ら穴を隠して油まみれにしてやがった! くそっ……リッテ、上がって来れるか!?」
「くっ……ごめん、すぐにっ……。んんっ……」
苦しげなロージーの声。恐らく、途中で鞭を伸ばしてリッテが落ちるのを止めているのだ。そしてあの穴は、真ん中のルート、キャメルリザードの巣穴へと繋がっている。こちらが上りで真ん中下り、自然と高低差が出来るようになっていたのか?
内心ではすぐに引き上げに行きたかったが、数が減った俺達にシルヴァンが次々と仕掛けて来る。こちらに二体、ガムリの方にも二体。
後ろを向ける状況じゃない。
俺は
異世界に来てから数度傷を負ったけど、相変わらず吐き気がしそうなほど痛い。喰らうことを覚悟しているにもかかわらず。だがまだ、致命傷でも何でもない。
思い切り大上段に振りかぶった剣で、狼の頭蓋を叩き割る。次は吹っ飛んだ方を――そう思ったが、その柔らかそうな肌には大振りのシースナイフが既に突き立っていた。
「遅ぇんだよ判断が! 手が空いたらクソアマ共の面倒でも見てろ!」
怒鳴るガムリの目の前には残り三体の狼が機を伺う。俺は頷くとすぐにロージーの元に体を引き上げに行った。
真っ先に腕力上昇の効果もある【攻性付与】を掛け、俺は穴を覗き込む。すると、引き上げられない理由が分かった。リッテの足に喰いついた一体のキャメルリザードの体を仲間が体重をかけて引っ張っているのだ。
よくぞこんな油まみれの悪い足場でこれまで持ちこたえたものだ。俺がロージーに到着を知らせると、彼女はリッテの体を支えている右手の鞭をしっかりと固定しておくように言う。
「ふう……いいね、一瞬だけ負荷がかかるからしっかり支えてなよ。キャメルが離れたら引き上げろ」
彼女はそういうと、俺が握った右手の黒鞭を腕から外すとそのまま穴に滑り込んだ。そして……。
「《
腕にかかった負荷は一瞬で消失した。小気味よい音と共に見えたのは、ロージーが左手から鞭を伸ばした後、幾重にも重なった極細の光条がキャメルリザードの間を走り抜けた所だった。
ロージーの《戦技だ》。数体の断裂した肉片がサイコロのように転がり落ちていく中、俺は力いっぱいリッテを引っ張り上げる。
「リッテ、しっかりしろ……」
「ごめん……。あり、がと……」
そこまで言って彼女は気を失う。抱き留めた体は随分熱い……熱でもあるのか?
ともあれ、今はロージーを先に引き上げないと……。
けれど、その心配は杞憂に終わる。彼女は油まみれの床に足も触れず、急角度の傾斜をピンポン玉のように壁を蹴り跳ねあがってきた――眼下に屠られた多くの蜥蜴たちの死体を残して。
「二人とも、悪かったね。継続は不可能だ、外に出よう」
「チッ……やっぱりガキ共が足引っ張るかよ。しゃあねえな」
ガムリは一体だけ残ったシルヴァンが逃げ去るのを見送ると、苛立たし気に剣を振った。さしもの彼も三体同時では無傷ではいられなかったようで、手足に僅かな裂傷が刻まれている。
こうして、リッテを俺が背負い、ロージーが後ろを守る形で迷宮から脱出する運びになったのだ。
水を飲ませて、横たわらせた彼女の頬は赤く、呼吸も苦しそうだ。リッテは迷宮を出る頃には目を覚ましていたが、酷い熱と眩暈で起き上がれない様子だった。
「ごめんね……昨日からちょっと体、だるくて。風邪かな……?」
「さてね……疲れたのかも知れない。初めてのことだから、仕方ないね」
ここ数日薄暗く息の詰まる洞窟の中に潜ったままで、しかも彼女はあまり戦闘に参加できなかった。体力が温存できていると言えば、聞こえがいいが……無我夢中で戦っている俺達と違って精神的なプレッシャーを感じやすかったのかも知れない。
「ちょっと休めば、きっと大丈夫だから……あ、明日くらいには楽になってると思うんだ、だから……」
無理に笑うリッテに先を告げさせず、ロージーはきっぱりとその先に続くはずだった言葉を否定する。
「駄目だね、今回はここまでだ」
「で、でも……それじゃ! まだ駄目だ……」
体を起こそうとしたリッテの頬をロージーの平手が軽く叩いた。リッテは呻き声と共に再びうずくまる。
「そんな体たらくで何を考えてる。さっきので良く分かったろ、洞窟内でまた倒れられでもしたら、アタシ達が危なくなる。足手纏いを連れたまま、迷宮には入れない」
抗議しようと体を起こすリッテを押さえつける彼女の言葉は、断固とした意志が宿っており、こちらが何を言っても覆せそうにない。その冷たすぎる言葉に俺は思わず怒りの声を上げた。
「そんな言い方しなくても良いだろ……! リッテだって俺達に悪いからって無理して……」
「それが余計だって言ってんだよ、小僧。冒険者たるもの、自分自身の体調管理は徹底するのが鉄則だ。手前の体の事は自分が一番把握しておかなきゃなんねえ……そんなのも出来ねえ疫病神と誰が組みたがる?」
「っ……お前、こんな時まで!」
腕を組んで見下ろしながら、苛立ち紛れに地面に唾を吐くガムリ。
俺は一発殴ろうと腰を浮かせたが……それを引き止めたのは、彼の体の方々に巻かれた血のにじむ包帯と、弱々しいリッテの腕だった。
「止めて……! 今回ばっかりはあたしが悪いの。三日目位からちょっとしんどいなって思ってたけど、誰にも言わなかったから。本当に皆、ごめんなさい……」
悔しそうに声を震わせて彼女は目元を腕で隠した。こうして俺達の初めての迷宮探索は目標を達成することも出来ずに、後味悪い終わりを迎えたのだった。
魔具によって作られていた結界や荷物を回収し、拠点を昼過ぎには発る。ガムリが物干しに使っていたしっかりした木の枝を担架に流用し、リッテをそこに寝かせて丘を下り始める。
問題はこの辺りにも魔物達が出ることだ。案の定、シルヴァンと交戦すること数度、足取りは遅々として進まず、残り半分ほどの道を残して、野営しなければならなくなった。
街に辿り着いたのは翌日の昼過ぎにもなってから。
ガムリはすぐに悪態を吐きながらどこかへ去って行ったが、あいつの事を気にしている暇も無い。
俺はロージーに荷物を預け彼女を医者に連れて行った。
診察をしてくれた年老いた医者は、何らかの計測器のような魔具をリッテの腕に巻くと、手慣れた様子で診察する。
結果は精神性疲労での風邪の悪化――悪性の病原菌などでは無くて一安心だ。
薬を飲ませて安静にしておき、改善が無ければまた来るようにと極々一般的な回答を頂き、不安は解消される。
ギルドに連れ帰ったリッテに薬を飲ませて横たわらせる。
鼻を鳴らして謝罪を繰り返す彼女にいたたまれず、濡れタオルを額に乗せてやり、俺はロージーに報告に戻った。
二階のリビングで休息を取っていたロージーの元へ足を運ぶと、ソファに座ったまま彼女は気の無さそうに様子を聞く。
「どうだった?」
「悪い病気じゃなく、多分ただの風邪だってさ。薬を飲ませて寝かせてあるから、後で着替えとか手伝ってやってくれないか」
「わかったよ。……あんたも少し休みな、顔が疲れてる。後……これはあんたらの分な」
彼女はそこそこ重さのある袋を机の上に出した。音からして中身は金ではないだろうか。だが……どうして?
「シルヴァンの落とした魔核は全てあたしが貰ったからね。その半分だ。勝手に換金しといたけど、不服かい」
「いや、でもな……散々手伝ってもらっておいてさ。気が引けるよ……」
「見舞金だとでも思って取りあえずは一旦受け取りな。それと、悪いがあたしもいつまでもここを留守にはできない。悪いが後の事は自分達でどうにかするんだ。わかったね」
「ああ……恩に着る」
「ギルドの二階は好きに使うといいが、あたしがしてやれるのはここまでだ。精々頑張りな」
「……ありがとう」
それだけ言った彼女は深く座り直し、煙を吸うと目を閉じ、手をひらつかせた。小声で俺は感謝を告げて借りている部屋に戻る。彼女達に頼らない形で何かできないか探さなければならない。
残り恐らく3500そこそこのFPを稼がなければならない。残された期間は後三週間弱というところだ。藁にもすがる思いで俺は脳内で語りかけた。
(なあ、アルビス、どうにかならないか? せめて期限をもう少し伸ばしてくれるとか……。お願いだ……いや、お願いします!)
俺はベッドの上に正座すると誠心誠意頭を下げる。だが彼女からの応答はなく、妙に思って頭を上げたタイミングで、プツっと何かが途切れる音がして機械的な音声がそれに続く。
(――お使いの回線は、登録主が長期不在の為、お取次ぎすることが出来ません。恐れ入りますが改めてご連絡いただくようお願い申し上げます。――お使いの回線は)
不在応答メッセージ!? そんなこともできるのか、芸が細かいな。
それは三度ほど繰り返されてやっと聞こえなくなった。
一体何を通して会話してるのか……神達に対する疑問はついぞ尽きない。残念ながらまた後で連絡を取って見るしかなさそうだ。
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