51.二日目・突入

 何事も無く次の朝が来て、俺はすることも無く朝食の支度をしていた。ボイル野菜のチーズ掛けとパンだけの簡素なものだが、誰も文句は言わない。


 その後、《銀狼丘陵》の突入前に簡単な打ち合わせが行われた。

 隊列は前衛にガムリと俺、中衛にリッテ、後衛にロージーの順だ。内部構造を慎重に見極めながらの侵入になりそうだ。


「あの、迷宮に罠とかって存在するのか? 落とし穴であったりとか、踏むと矢が飛んで来るような床板とか……そういうの」

「よくそんなことに頭が回ったね。ここでは存在しないから、今回は心配しなくていい。だが、迷宮によってはもちろんある。特に情報が無い場合は注意しておくんだね。自然地形を魔物達が狡猾に利用する場合、そして、危険なのは人型に類する知恵のある魔物が作成する罠の類……本来、迷宮なんてところには近寄らないのが一番なんだ」


 ロージーから前も聞いたが、迷宮内の地形は一定期間ごとに中身の変遷が行われるらしく、内部の特徴は迷宮ごとに様々のようだ。

 《銀狼丘陵》に関して言えば、内部は洞穴上の空間が延々と続くが、魔物以外の危険は無いということ。


「後、迷宮内がこっちと違うのは、何故か倒した魔物の姿が消えねえことだ。洞窟内で皮や骨を剝ぎ取っちまえば、こちら側にそれは持ち帰ることが可能。物によりゃあ、希少価値がついてとんでもない値段になったりもする。ロージー、約束通り、シルヴァンとキャメルリザードの皮は全部俺がいただくぜ?」


 そう言えば、以前にそんな話をディジィがしてくれたことがあったっけ。ガムリは《剥ぎ師ストリッパ》とやらの経験があるのかも知れない。


「好きにしな……その代わり、シルヴァンは優先的にこちらで止めを刺す。この坊やがね」

「このヒヨコ野郎がか? まあいいが……手間取るようなら話は別だ。さっさと始末しろよぉ、坊ちゃんよぉ?」


 ガムリはそういって俺を見下すと威嚇する様に指の骨を鳴らすが、もう気にしている余裕は無い。

 突入は間近なのだ。確認したいことももう一つある。


「内部でさ、この魔具は使用できるのか? 使えると安地が作れて大分有利になると思うんだけど」

「無理だね。あまり効力の高い魔具は迷宮内では使えない。誤作動を起こす確率が非常に上がるんだ。魔石が放出する魔力のせいだとか色々所説は有るみたいだけど、原因は良く分かってない。光源を確保する為に起動した魔具が目の前で爆発して頭が吹っ飛んだやつもいたし、止めといた方が良いよ」


 どうやら大袈裟な話ではないようで、今の話をしっかり頭に刻み込むんだところで、あの普段姦しい娘が会話に参加していないのに気付いて目をやった。


 てっきり珍しく緊張しているのかと思ったのだが……隣から、こてんと頭が俺の肩にぶつかって止まる。


「おい、リッテ!」

「……はぅ? ご、ごめん! ちょっとだけ寝てた!」


 そう言えば、こいつ朝弱いんだった。

 良く訓練についてこれていたもんだ……。リッテの緊張感の無さに俺達三人は、揃って溜息を吐いた。巻き込んでおいて悪いけど、頼むぞ……リッテ。




 小高い丘に配置された迷宮の入り口ポータル。その形はラグビーボールのような楕円形で、どこから見ても変わらない。

 色は光を吸い込む漆黒なのだが、縁はビロードのように波打つ青い光に覆われている。


 内部の状況を確認する為に先に入ったロージーが、再び出て来て手招きした。


「……付近に魔物はいない。安心して入りな」


 彼女の指示通り、俺達はそれに恐る恐る触れた。

 すると、何かを感じる暇も無く一瞬で景色が切り替わり、見たことの無い洞穴の中に飛んでいた。


「凄い……迷宮の中って、こんな風になってるんだ……」


 俺とリッテはしばし言葉を失くして中を見渡す。随分と薄暗いが、光源が無いわけではない……空中にちらちらと、淡い綿毛のような燐光が揺れている。


 後から来たロージーとガムリも顔を覗かす。ガムリは別段驚いた様子も無い。何度か経験があるのかも知れなかった。


「ぼさっとしてんな、もう迷宮の中に入っちまってるんだ。魔物がどこから襲ってきてもおかしくはねえ」

「……うっさいな、あんたに言われなくてもわかってる……」


 ガムリのいつもとは違った神妙な顔つきに、リッテも流石に荒げた声を潜める。


 静かだ……だが、入り口にこうも魔物の気配が見られないのは、更に奥に俺達を誘い込もうとしているように思えてならない……。


 この迷宮の地面は幸いな事に、固い土に覆われていて、足場は悪くない。


 少し安堵しながら、俺はロージーの判断を待つ。目の前には三本の道があるが、どれを選ぶのか。


「打合せ通り、ガムリとジロー、リッテ、あたしの順で左から探って行こう。リッテ、やり方を教えてやるから、《地図作成マッピング》していきな」

「えぇ……あ、あたし絵心とか無いのに……。上手く描ける自信ないよ?」


 ロージーが差し出すメモ帳のような方眼紙とペンを見て、リッテは嫌な顔をする。だがロージーは彼女に強引にそれを握らせた。


「何事も経験だよ……迷宮のみならず、周辺の地形をしっかり頭に叩き込んでおくのは冒険者として大切なことだ。本当は頭で覚えておくのが一番いいんだけどね……記憶ばかりに意識が行き過ぎるのも良くないんだ。咄嗟の反応が遅れる」

「わ、わかったよ、わかったけど……。ジロー君のせいだよ? 付き合いじゃ無きゃ絶対こんなとこ来ないのに……」


 ぶつぶつと文句を言うリッテを宥める俺に、ガムリが毒づいたが、彼も仕事だと弁えているのか、目つきを尖らせて闇の奥を見据え、率先して先に進み始めた。


「チッ……微妙に暗えな、ランタン点けんぞ。……おい小僧、盾の方の手でこれ持っとけ。戦闘になったら、地面に置くか、腰に括るか自分でどうにかしろ」


 彼は取り出して火を付けた取っ手付きのランタンを俺に押し付ける。オイルでも入っているのか、中身の液体が揺れて音を立てる。


 物音を察知したのか、魔物達と出くわしたのは通路に入ってすぐのことだった。


 ランタンの灯に照らされるようにして、ぼんやりと輪郭と瞳が浮かび上がる。シルヴァンが三体、いや奥にも二体の計五体。


 俺達が見つける前から察知していたのか、彼らに動揺の気配は無い。先頭の一匹がいきなり跳びかかって来る。


 俺はしゃがみながら手に持ったランタンを地面に置き、剣を抜く。

 だがその時にはもうガムリは見事な反応で狼の腹部に剣を埋め込んでいる。彼は身を捻りざまに狼の体をこちらへと放り捨て、獰猛に笑う。


「ハ! 犬っころが風情が! おらよ、小僧、しっかり止めさしとけ!」


 ガムリが血まみれの剣を振りかざし、続いてかかって来た二匹を牽制する内に、俺は力を失った狼の喉笛を切り裂いて止めを刺す。

 外と違ってすぐに砂へと変化はせず、生々しい感触が手に残り、辺りには鉄臭い血の匂いが充満する。


「こ、こいつどうすんだ?」

「脇にどけときな! 次だ!」


 一歩前に進み出て、黒色の鞭を振るうのはロージーだ。ガムリの後ろから伸びたそれは白い狼の鼻面に命中し、一匹の狼を怯ませた。

 その隙を突いたガムリの長い足がうなりを上げて胴体側面に突き刺さると、狼は壁まで吹っ飛んで沈黙する。


 リッテは自分もとブーメランを背中から外すが、射線が取れないのかやきもきして見守っている。


「狭くて投げられない……! 前に出ちゃダメ?」

「駄目だ、まだ今は余裕が有る。二人を抜けて来た魔物だけ対処しな。ガムリやジローがへばったら交代してもらう。体力の温存も大事だし、後方にも目を配っておきな」

「……わかった」


 リッテは自分も何かしたくてたまらない様子だったが、ロージーの言葉に納得してその場に留まる。幅が3Mかそこら天井はそれよりも低い位の狭い道だ。下手に投げれば味方の行動を阻害してしまう。彼女は短剣を逆手に構え、壁を背にして前方と後方を警戒した。


「っらぁ、ビビってんじゃねえぞ! そのデケえ口は飾りかぁ!?」


 ガムリの挑発を理解したかどうかは分からないが、俺が蹴られて昏倒した狼の止めを刺した所で、奥にいる二体も歯を剥き出しにして駆け寄って来る。残り三体。


 ガムリは面倒になったのか目の前の一体の首を切り裂いて止めを刺すと、俺の首根っこを掴んで前に蹴りだす。


「おら、盾持ってんだからもっと活かせや!」

「うおわっ!」


 敵の目の前に突っ込まされた俺は駆けて来た一体に盾打バッシュする形になる。だが、次の行動は更に酷かった。ガムリは俺の背中を踏み台にして飛び上がったのだ。


「ラァアア! 《輪天斬》!」


 潰された蛙のようになった俺を余所に、彼は飛び上がった勢いもそのままに、身を縮めて構えた剣ごと高速回転する。

 そしてそのまま刀身に薄い碧光を纏わせながら後ろにいた狼を真正面から掻っ捌いた。恐らく、剣術スキルの一つだ。


 鮮血を吹き出し、開きのように半分に絶たれた狼は左右に分かれて倒れる。そして、盾打で動きを止めていたもう一体の横腹に尖った爪先を容赦なくめり込ませた。


 こみ上げた怒りもあってか、俺もすぐに起き上がると、最後の狼の背後から襲い掛かり、頭に剣を叩きつけた。


 何度か殴りつけるようにして、やっとのことで止めを刺す。弱々しい絶叫が響き絶命したのを確認した後、肩を弾ませてその場に座り込む。

 そんな俺をガムリはせせら笑う。


「ご苦労。役に立ったぜ? お前名前を《踏み台ちゃん》とでも改名したらどうだ、ハッハッ」

「……戦い方まで腐ってやがんのかよ」


 俺は小声で毒づいたが、まだまだ先は長いのだ。今ここで怒りを爆発させるわけにはいかなかった。

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