40.(回想)ロージー(3)

 ロドルムの街へ戻ろうとするする最中、ジェリウスが足を止めた。明るい東の空を凝視して目を眇める彼の目は、まるで威嚇をする狼のように鋭い。


「……良くないな。煙と、血の匂いがした。丁度街の方角からだ」

「襲われてるっていうことか!? すぐに助けに……」

「待て……! 危険だ……敵がどれほどいるか分からんのだぞ! それに……これ程迷宮から離れた街に侵攻するからには、主導している魔人が必ずいる。もしそれが複数であれば……俺達が行った所でどうにもならん!」


 引き留める手の強さに、メッドはジェリウスがかってない程の危険を感じていることを察したが、悲しいことに彼は踏みとどまろうとはしなかった。


「せめて……どうなってるか確認だけでもさせてくれ。頼む……!」

「駄目だ! 俺達を導いて危険から遠ざけるのがリーダーの仕事じゃないのか……この二人もいるんだぞ!」

「……ジェリウス、やめて……! 彼のこういう所を承知で、私達はリーダーに選んだんでしょう? こういう仕事をして生きてきた以上、私達にも責任があるじゃない……もしあそこで誰かが危険な目にあっているのなら」

「おかしいのはあんたらだろっ!」


 あらんかぎりの大きな声で言い放ったロージーに驚いて三人は振り向く。 


 ロージーは叫ばずにはいられなかった。何故二人ともこうも、赤の他人の命をを大事にしようとするのか。いいではないか、自分達が助かればそれで。ロージーにとって、フラーミルやメッド、ジェリウスが生きていれば、他の人間などどうなろうと構わないと断言できる。それほどに仲間たちの存在は自分にとって大切な物であるのに、どうして? 彼女達が功名心やプライドなどを振りかざす人間でないと良く分かっているだけに無性に腹が立った。


「あたし達さえ無事ならそれでいいじゃないか! 人間なんて、いつだってどこでだって死んでるんだ! あたし達がそれをちょこっと位救ったってなんにもならないじゃない! ねえ……逃げよ? ちょっと位はそりゃ後味悪い日が続くかもしんないけど……その位だよ、きっとすぐに慣れるって! あたしには、あんた達しかいないんだよ。頼むよ、お願いだから……さ」


 俯きながらフラ―ミルの袖口をつかんで言った声は最後、言葉にならずに涙と共に地面に吸い込まれた。


 浅く息を荒げているロージーをそっとフラーミルが柔らかく抱きしめた。離れがたい温もりがロージーの体を包み込む。


「……ありがとう、ロージー。びっくりする位嬉しいわ。でも……」


 だが、それはロージーが期待していた言葉では無かった。


「本当に不思議ね……あんなにも色々な物を失くしたのに……今こんなにも、私、幸せだと感じてる。信頼できる大好きな仲間達がいてくれて。ロージー、色々あったけれど、あなたと出会えて良かった。あなたと出会えて多くの人の力になれていなければ、こんな風に笑うことだってできていなかったと思うもの」


 彼女はロージーの頭を愛おしそうに胸に抱くと、額にキスをして笑った。その笑顔は涙でぼやけていて良く見えない。


「待ってよっ! そんなのどうでもいいから、生きる為に必要な事をしてよっ! どうしてあんたばっかりがそんなに辛い事と戦わないといけないの!? あたしが代わりに行くから、それでいいでしょ! もうあんたは、戦わなくていい……どっか平和な所へ行って、そこの赤毛の馬鹿とでも幸せになればいいじゃない! どうしてそれができない!」


 メッドがぎょっとした顔でロージーを見る。ばれていないとでも思っていたのかこの大馬鹿野郎。内心でそう罵りながら、ロージーはフラーミルの腕を掴む。


「辛くなんかないわ、とっても幸せなことよ。誰かの助けになれるのは……。ロージー、あなたにももう沢山出来ることがある。もし私がいなくなったって色んな人があなたのことを必要としてくれるはず……だからあなたはもう私がいなくても大丈夫。ジェリウス、ロージーをお願い……できるかしら?」

「お前ら……考え直してくれ! メッド、リーダーだろう! ……止めろよ、止まってくれ!」

「すまん…………」


 メッドがジェリウスに何かを耳打ちした……。その言葉にジェリウスが激しく動揺して目を見開き、襟首を掴んでいた両手から力が抜けて垂れ下がった。


 メッドの快活な笑い声が空に響きわたる。何でこんな時にそんなに楽しそうに笑えるのか、ロージーには理解できなかったけれど……彼は最高の笑顔で感謝の言葉を三人に告げる。


「ありがとうな、皆。……結成して五年か、長いようであっと言う間だったな。はは、思い出しても楽しい事しか浮かんでこねえ……最高だった。ジェリウスは兄貴みたいにいっつも気にかけてくれて、ロージーは手のかかる妹みたいで、目が離せなかった。ずっとこの家族みたいなパーティーでやっていけたら良かったけどな。でも、ごめん……俺もフラーミルも、俺らみたいな子供がまた生まれるのかって思うと、それだけは見過ごせないんだ。だから、行かねえと」

「いやだ! 行かないでよ……っ!? ジェリウス、何で止める!? 離せよッ!」


 羽交い絞めにして抑え込むジェリウスを信じられない思いでロージーは見た。彼の顔は苦渋に歪み、噛み締めた口の端から血が滲んでゆく。


「……ありがとう、ジェリウス。辛い役目をさせてしまうけど許してね。あなたには、いつも支えられてばかりだった。ロージー、私あなたの一生懸命な所、大好きだったの……。変わらないでいてくれると、嬉しいな……」

「行くな! 行かないで……! 行くんだったらあたしを殺していってよっ! 約束しただろっ……死にたくなったら殺してくれるって! そんな風に中途半端に終わらせるならあの時、どうして助けた!? 自分勝手なことすんなよ、死ぬまでそばに居てよ……フラーミルッ! フラーミル――」


 ふいに、体がぐらついてロージーはジェリウスにもたれかかる様にして背中を預けた。途端に意識に霧がかかったようにぼやけ始め、音が遠くなる。


「なにを……? なんで」


 ジェリウスの指には液体に濡れた小さな針があった。首筋を伝う生暖かい感触……薬? その小さな痛みすらゆっくりと感じなくなって、落ちようとした瞼の隙間に映る、二つの影。


(どうして、あたしを置いて行くの?)


 瞳が光を失う中、小さな別れの言葉と段々と遠ざかる足音だけが、無情にも二人が行ってしまったことを伝えた。




 白いベッドで再び目を開けた時、反射的に外へ飛び出そうとしたところを押さえつけられ、ロージーは男を睨みつけた。


「よくもっ……! どうして仲間を見殺しにした! っ離してよ! あたしはあいつらを助けに……どけっ!」


 滅茶苦茶に暴れようとするロージーを抑え込むジェリウスは、表情を変えずに言う。


「落ち着け……あれからどの位経ったと思う、丸一日以上だ。もう……終わったんだよ」

「……ぇ?」


 ジェリウスは、枕元に置いてある何かを指差す。それは、黒い金属の二枚のカードと、砕けた青い魔剣の柄、そして端が熱で溶けて崩れた髪飾り。


 それには見覚えがあった……彼女がいつもかかさず着けていた、一緒に市で選んだ、揃いの……。それを着け、はにかんで笑っていた彼女の姿が思い浮かんで、嫌なものが体の奥底から湧き上がって来るのを感じた。


「あ、あぁ…………やめてよ、なんでこれがここにあるの? 二人は?」

「……何もかも、丸ごと焼き尽くされて……まともに残っていたのはそれ位だ。体は……炭のように」


 それらを震える手で手に取る。金属同士がこすれあい、カチカチと小刻みに音を鳴らし、いやに冷たく感じた。表面に書かれた文字……メッドと、そしてフラーミルの名前を視界にいれたとき、一気に頭の中で何かが弾けた。


「あ……あ、あぁあぁぁぁあぁぁっ!」


 溶けた髪飾りの鋭く尖った先端を己の首へ向けて力いっぱい突き通す。肉を深く貫く感触がして、白いベッドの上を吹き出した鮮血が彩った。


 だが、それは残念なことに喉の前に突き出された腕に止められた。首に回したジェリウスの右腕から、熱い血が流れ出して、ロージーの体を濡らしていく。


「……邪魔しないでよ。あんたは最低のクソ野郎だ……こんなの、酷過ぎるよ。せめて、あいつらと一緒に……逝きたかった。最後まであいつらの傍にいたかったのに……」

「俺を殺したいなら殺せ。だが、お前は死んではならない」

「勝手なことを……ッ! あたしの命なんかあの子がいない今、何の意味があるの!? やっと、やっとだよ!? このどぶみたいな泥沼の世界から抜け出して、ほんの少しだけど生きていても良いんだって思えるようになったのに! 全部無くなっちまった! なんで! なんでぇぇっ……」


 ロージーが二度三度と、その髪飾りを己の体に突き刺そうとするのを、ジェリウスは取り上げて止めさせる。


「返せっ……!」

「返して欲しければ、ちゃんと二人のことを考えろ! フラーミルがどんな思いでお前を生かしたか、まだわからないのか?」

「……知らないっ! そんなのどうでもいい!」

「馬鹿がっ!」


 目の前が眩むような衝撃が走って、ロージーは叩きつけるように体を床に投げ出す。この男に殴られたのは初めてのことだ。腫れあがる痛みで頬が痺れるように痛む。

 

「フラーミルがお前をどれだけ愛していたか、お前にはわからなかったのか! お前があの娘を一番大切にしていたように、彼女もまたお前の事が一番大事だった! だから最後までそばに置いていたんだ! だがな、一方で彼女は自分だけが幸せになることをどこか許せない気持ちでいた。家族のこともあったし、今まで冒険者として多くの不幸な人々を見て来たから、尚更だったんだろう……いつかその身を犠牲にして戦う時が来ることを、彼女は覚悟していた……。それでも、お前の事だけは道連れにしたくなかったんだ……」

「ジェリウス……」

「お前が、お前がフラーミルが本当に好きだったならっ、あいつが望んだことを……生きて多くの人を助けろ。メッドの分は俺が背負う」


 そう言うと、ジェリウスはフラーミルの冒険者証と血に濡れた髪飾りをそっとロージーの目の前に置いた。あの時ジェリウスはメッドから、何を聞いたのだろう。


「……俺は行く。俺を殺して、恨みを晴らすのも、フラーミルを殺した魔人を探すのも好きにしろ。冒険者を続けるか続けないかも、全てはお前の自由だ。だが、死ぬな……彼女のして来たことを、否定したくないなら」


 髪飾りを握り締めて頬に寄せる。透明な雫が血と混ざりあい、床に滴ってパタパタと弾けた。扉を閉める音にも、窓を叩く雷雨にも耳を傾けず、ロージーは温もりを失った金属の冷たさを感じながら、大好きな人がもういないのだということを、心に刻みつけるように、ずっとそうしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る