37.後に引けない思い


 アルビスに諭され(ほぼ終始けなされただけだが)、俺はとりあえず目の前の依頼の束を処理しようと広げた。その中のほとんどが簡単な雑用の代理、物品の配達などの軽作業だ。期限の迫るものもあるし、考えてばかりでも始まるまいと腰を上げる。


 金が欲しい。生活するにも装備品を整えるのにも、もしかしたら何かを教えてもらうのにも、もっとしっかり稼ぐ必要がある。時間を無駄にしている暇はないのだ。


 しかし、こんなことならもう少しローヌに残ってしっかりディジィに戦い方を教わっておくべきだった。今からでも……いや、駄目だ。村に戻ることはリッテが拒否するだろう。大事な物を傷つけられて、むざむざ帰るなんてことが出来るなら、あそこで仕掛けたりはしていないはずだ。


「リッテ、俺ちょっとでも金稼ぎに行って来るから、しばらく休んどきなよ」

「……行くの?」


 彼女は少し心細そうな、咎めるような視線を送り、服の裾を引いた。彼女らしくない弱気な仕草だ。傍に居てやりたいけど、ここでただ慰め合っていても強くはなれない。


「……行くよ。俺だってお前だって強くならないと。北の危ないところへ行って、家族の消息を辿るんだろ? こんなところで足踏みしてられないよ」


 その言葉に、彼女は目を閉じて長いまつ毛を震わせたが、やがて手を離し、両手で自分の顔を勢い良く挟み込んで喝を入れる。


「……待って! 私も行く。ちゃんと治療して貰ったみたいだし、ちょっと痛むだけだから。こんな体たらくじゃ、本当に二人に顔向けできなくなる」


 そうしてリッテは一つ強くかぶりを振ると、まだ赤いままの瞳をしっかりと開けて頷き、水差しの水をグラスに注いで一気に煽った。


「……よし、回復した! ジロー君、あの依頼の束貸して」


 傷が傷まないはずは無いだろうが、彼女はそれを感じさせない動きで立ち上がるとひったくるような勢いで俺の手にした紙束を奪い取る。


「あのガムだかゴムだか知らないおっさん、絶対にぶっ飛ばせる位に強くなってやる……。目の前で這いつくばらせてやるから、しっかり見届けてよ! 背中は任すからね!」

「ああ……その意気だ。二人で目にもの見せてやろうぜ!」


 どんな形でもいい、取り合えず前に進もうと気持ちを切り替えた俺達は、宿の外へと強くなる為の最初の一歩を踏み出した。




 とはいえ、ガムリたちや取巻きのいる所へ堂々と姿を晒すことはできなかった。また難癖を付けられるに決まっている。面倒ではあったが、ガムリたちのいなさそうな早朝を狙ってギルドに顔を出し、受付の女性に依頼を回してくれるよう頼みこんだ。あの場で止めようとしてくれた彼女であれば、もしかしたら話位は聞いてくれるかも知れないと思ったのだ。


 彼女も最初は渋ったが、村で貰った魔力核の二割を彼女に渡すことを交換条件として提示し、彼女はそれを飲んだ。


 細々と依頼こなすだけのそんな生活が数週間も続き、多少金銭的に余裕が出て来たものの、もちろん俺達が大して強くなれるわけでも無い。一応依頼の合間に、リッテからディジィに教えられた戦いの基礎を学び、自己流での訓練や組手などで体を動かしはしたが、あまり成果は上がっていなかった。


 今日も今日とて冒険者ギルドで依頼をこなす中、ある時俺は、次第に会話してくれるようになった受付の女性ロージーに、兼ねてより疑問に思っていたことを聞いて見た。


「このギルドのマスターって、もしかしてロージーさんなんですか?」

「……だったらどうだっての?」


 彼女は煙をくゆらせながら、気の無い返事をする。他に働いている人を見かけなかったが、やはりそうなのか。いつも大体半眼でしどけない感じだが、ガムリを止めた時の動きは目を見張るものがあったし。


「ギルドマスターになるにはA級以上の冒険者資格が必要になるって聞いてたから……凄いなって。でも、だったらなんで、ガムリみたいなのをのさばらせているんですか?」

「……別に、理由あってのことじゃないよ。あんなのでも、そこそこやる以上使い道はあるもんなのさ。少なくとも」


 煙管の先端が俺の頭を小突き、軽快な音を立てた。緩やかな動作だったが、何故か避けることが出来なかった俺は呻いて頭を押さえる。


「……こんな風に口先ばっかの坊やよりかはね。なんだい、あんたらガムリを追い落とそうとでも言うつもりなのかい? 止めときな……お話にもなりゃしない」

「いいえ。俺達はただ、一発あいつにくれてやりたいだけで……」


 それを聞いた彼女は疲れたような瞳で、深く吸った煙を吐き出す。


「……そうやってさ、力を求めた先に何があると思う?」

「……?」

「力なんてのはさ。求めれば求める程、その身を争いに引きずり込んでゆくんだ。終わらない戦いの末に、いつかはより大きな力によって潰される時が来る。それが、あんた一人だけなら好きにすりゃ良いんだ。あんたの人生だからね……だけど、想像してみな。そこの嬢ちゃんが自分のせいで死んだとしたら? あんた、正気でいられると思う?」


 先程と声音や表情が変わった訳では無いのに、瞳の奥にわだかまる後悔や苦しみの感情が静かに伝わり、俺の心を冷やす。


「冒険者なんてのはね、どっかまともじゃ無い奴がやってたらいいんだ。あんたにも嬢ちゃんにも冒険者は似合わない。あんたら、ローヌから来たんだろ、あそこは平和でいい村じゃないか。ギルドの大男も、口調はあんなだがいい奴だった。悪いことは言わない……そこで畑でも耕してゆっくり生きていきな。その方が、幸せだよ」


 ロージーの言葉は薄っぺらい俺らの決意など簡単に揺るがせる実感が籠っている。彼女は冒険者としての活動で一体何を得て、何を失ったのだろうか……。でも、リッテはそこで首を縦に振ることはしなかった。


「……でも、そんなのあたしはやだよ……。どうか何も来ないで下さい、悪いことが起こらないようにして下さいって……ずっと神様か何かに祈りながら、心のどこかで怯えたまま生きていくのなんて……。あたし、レーニドって街を目指してるの。そこに行けば、本当の家族の事が何かわかるかも知れなくて。ねえ、北には何があるの? どうしてそんなに……何が、怖いの?」


 ひたすらに前だけを見据える氷にも似た澄んだ水色の瞳に、ロージーは舌打ちして受付台を叩きつけリッテを睨み返す。彼女が強い感情を表すのをはじめてみた俺は

息を呑んだ。


「随分簡単に人の過去に踏み漁るような真似をしてくれるじゃないか……。そんなことを言えるのはね、何も知らないおめでたい奴だけさ! レーニドだって……? あんた達みたいなガキ共が、あんな黒境付近のいつ滅んだっておかしくない街まで行こうだなんて、馬鹿げてる。いいさ、そこまで言うなら昔話をしてやる……」


 彼女の自嘲する様に歪められた唇からゆっくりと語られるのは、ある一つの希望に満ち溢れた冒険者達のお話。今よりもわずかに時を遡った、遠い地での物語。

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