29.長い旅の始まり

 昼食の支度が終わるころ、変わらぬ姿で帰って来てむさくるしいポーズを決めたディジィに俺達はほっと胸を撫で下ろす。

 順調に確認は終わったらしく、特に怪我の様子も無かった。


 同行していた勇者達は、その後慌ただしくこの地を発ったようだ。

 迷宮は跡形もなくその姿を消しており、山を徘徊するスライムやゴブリンももうほとんどいなくなってしまったらしい。


 ファリスを手伝って作った食事を終え、どちらからともなくリッテと目が合う。話を切り出したのは彼女の方で、その瞳にもう迷いはない。


「……いつ出るの?」

「俺はいつでも。けど、本当にいいのか? 男だし、金も力も記憶も……終いには当てすら無い旅に着いて来るんだ。正直どうなるか全くわからないぞ」


 自分で言っておいてなんだが、こんな身元不明者について行こうなんて、俺が彼女だったら絶対に思わない。

 だがリッテは何故かそれに目を輝かせた。


「ふ~ん、面白そうじゃん。当ても無いんだったら、そうだなぁ……しばらくあたしの道行きに付き合ってよ。実はあたし、昨日父さんにこれを貰ったんだ」


 彼女が手にしたのは、金色の小さな円形のボタン。表面には何かの紋章――菱形の盾と重なる半円、いや月だろうか……そんなものが描かれている。


「……これ、あたしが拾われた時、付けてた服に縫い付けられてたんだって。これを、レーニドって街に持って行けば、何かわかるかも知れない……ほら、ここ」


 ギルドの古地図を彼女は指差す。その場所は、魔物達が支配する黒い領域にかなり寄っている。


「そんな危険な所を目指すのか……本当に?」

「もちろん、今よりずっと、それこそ父さんくらい強くなってからだけど。父さんも仲間達と長い旅をして力を付けたそうだから、あたし達だってきっと何とかなる!」


 テーブルをズバンと叩き、拳を握って力説するリッテ。いつの間にか俺の後ろに寄って来たディジィはその姿に苦笑し、俺の肩をしっかりと掴んでゴリゴリと揉み込む。


「アンタ……分かってると思うけどネェ、リッテちゃんに危ない真似させたらただじゃおかないからね? ……自分の体を盾にして守りなさい。いいワネ?」

「ぐおっ……だだっ分かった、わかったから肩を壊そうとするな!」


 その凄みのある笑顔と肩にかかる圧力に俺は震え上がり、がくがくと頷く。


「ふふ……まあ戦いで逃げなかった度胸だけは評価してあげてもいいワ。昨日も一番前に出て戦ってたらしいからね……。精々鍛えていっぱしの冒険者になりなさい。期待してるワヨ」


 ディジィは俺を解放した後、二人に真剣な顔で思いを伝える。


「本当ならアタシがついて行きたいところだけど、もう私もいい年だし……ここも思い出の有る場所だからそのままにしては置くのも忍びないしね。だからアタシはここで帰りを待つことにする……。でもあんたは……一緒に行ったっていいのよ、ファリス?」


 その言葉を受けたファリスは少し目をしばたたかせた後、気持ちは決まっているというようにしっかりと首を振った。


「いいえ、私は……いいんです。リッテと離れるのは寂しいけど、でも私、平和なこの村が好きだから……。私に出来る事をしながら、リッテ達の帰りを待っていたいの」

「そう……。ならもう何も言えないわね。ありがとう、ファリス」


 ディジィが大きな掌で頭撫で、ファリスはくすぐったそうに目を細めた。しばらくの間、リッテはそんな彼女達を宝物を見るような風にして目に焼き付けていた。




 そして……。


「今まで、お世話になりましたぁっ!」


 陽が暮れ始めたのどかな村に元気な声が響き渡り、北側の出入り口でリッテは頭を深々と下げる。

 それは、ディジィに対してでもあり、今まで自分を育ててくれたこの村に対してでもあった。

 幾人かの友人達が見守る中、村長が歩み出て彼女に何かを渡す。


「少ないが……村からの餞別じゃ。今まで良くこの村を守ってくれた」

「魔力核がこんなに……いいの?」

「あの冒険者達が村の設備の修繕にでも使えと置いて言ってくれた物じゃから、気にせず持って行くがよい」

「ありがとう……」


 そう言って老人はリッテにそれを押し付けると、「この子を頼みますぞ」と俺に頭を下げて退がってゆく。


 ディジィとファリスは、ゆっくりとリッテと抱擁を交わしていた。


 ファリスがぼろぼろと涙をこぼすので、リッテはもらい泣きして中々離れようとしなかったが、日暮れはもう間近で、ディジィは出立を促す。

 最初の目的地は、まっすぐ道なりに進んだ、コルンと言う街だ。二、三時間も有れば辿り着けるらしい。


「ほら、いつまでもそうしてるんじゃないの。コルンは近いけど、夜道は危ないから急いで行きなさい」

「でも……」


 中々離れようとしない二人。無理もない……幼い頃からずっと一緒に暮らして来たのだ。

 例え生んでくれた親が違ったとしても、二人にとってそんなことは些細なことでしかない。


 もし、この村に俺が現れなかったら、彼女達はここでずっと仲良く暮らし続けることができただろうか。


 いや、魔人たちの襲撃に遭ったのは聖剣に反応してということらしかったし、そうでもないのか……。


 そんな埒もあかない考えをしている間に決心したのか、リッテはぐっと振り切るようにファリスの体を押しやる。


「んっ……今までありがとう、お姉ちゃん。あたし色々な所を旅して、もう一つの家族の事が分かったら、またここに帰って来るから! その時まで……ちゃんとここで元気で……お父さんと一緒に元気で待っててね!」


 また泣き出しそうになるリッテをファリスはもう一度だけ優しく抱きしめて頭を撫で、そっと離す。


「頑張って……あなたの帰るところは、私と父さんがちゃんと守ってるから。いってらっしゃい、リッテ。私の可愛い大切な、妹……」


 オレンジ色の目を赤くして微笑むファリスのその言葉にリッテは涙をのみ込んで、満面の笑顔を浮かべた。

 夕陽で照らされた横顔から涙の雫がきらきらと風の中に消えて行く。


「それじゃあ皆……行って来ます! 元気で! 元気でね……!」


 そうして彼女は大きく手を振りながら、夕陽に向かって続く道をゆっくりと歩き出した。

 家族や村人たちの姿がどんどん小さくなってゆき、やがて少しずつ見えなくなる。


 それはなだらかな丘を越えると、ついに完全に見えなくなり、少しだけ彼女は立ち止まった後、振り返るのを止めて、鼻声で言った。


「ごめん……ちょっとだけ引っ張ってって。前がちょっと見づらくて……」


 彼女が俯いた顔を見せないまま差し出した手を、俺は握ってゆっくりと歩き出す。


 ――目の前に広がる長い一本道。


 未だ名前も顔も知らない家族の消息を辿る為、村を出た少女と共に……俺はいつかまたこの村へ戻って来れるように、ゆっくりと一歩一歩を踏みしめながら願った。この世界の神ではなく、願いをかなえてくれた、他の何かに。

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