28.帰れるならば
目が覚めて一番に感じたのは、堅い木の床の感触だった。幸い、毛布を誰かが掛けてくれたのか、風邪は引かずに済む。
体は痛みを訴えたが、地面で眠るよりは遥かにましだと自分に言い聞かせ、俺はぐっと体を起こした。
凝った背筋をほぐす為に立ち上がり、伸びをしていると、最初に見かけたときと同じテーブルに着いていた二人が、笑って朝の挨拶をしてくれる。
「おはようございます。昨日はその、運んでくれたって聞いて……。どうもありがとうございました」
「おはよ。あたしもなんか世話になっちゃったよね……はは」
「そうなの? 何かあったんですか?」
早くに寝ていたファリスが不思議そうな顔でリッテと俺を交互に見つめたが、リッテは「だーめ、教えな~い」と少し恥ずかしそうに笑うだけだったので、俺もお茶を濁しておいた。
勇者パーティーの姿は既に無く、そしてディジィも不在だ……何かを探すように周りを見る俺に、リッテが彼らの行く先を伝えてくれる。
「父さんとあの人達は一緒に山に向かったよ。迷宮の様子を見て来るって」
「そうか……俺も一度入り口がどんなのか見てみたかったけどな」
「気持ちはわかるけど、そんなに面白いもんでも無いと思うよ?」
「そうよね。具体的な例えは見つからないけど……なんでしょうねぇ、青い光に縁どられた黒い穴? みたいな……そんな感じです」
ファリスが自分の記憶を言語化して伝えてくれる。何となく某ゲームの転移ポータルみたいなものが思い浮かぶ……。
「本当は余り近寄っちゃいけないんだ。魔物が生み出されて来る所なんだから、うっかり鉢合わせしちゃったら目も当てられないもんね」
「それは……ぞっとしないな。珍しいものなの?」
「そうでもないかな? この国だけでも百やそこらはあるだろうし。未発見のものも数えるともっとかもね」
「そんなにか……見かけても近寄らないようにはするよ」
「さてと、父さんが不在だから勝手なことは出来ないし……ファリ、どうしよっか」
「それじゃあ、お掃除の手伝いをお願いできる? ジローさんは良かったら休んでいてもらえますか?」
「いや、俺も何かするよ。昨日はご馳走してもらったしな」
自分だけ動かずにいるのも気を使うので、ファリスに簡単な仕事を回してもらった。
床を掃いたりテーブルを拭いたり、物の移動とか……何にしろゴブリン退治に比べれば気楽なものだ。作業に励む傍ら、ふと気になったことがあったのでアルビスを呼び出す。
(お~い、アルビス。起きてるか? ってか、生きてるか?)
(……何なんですか。今、すっごく頭が痛いので、後にしてもらえませんか……)
どうやら二日酔いらしく、いつもより話す速度もワンテンポ遅い。……女神の権能とかで、その程度どうにかならんのだろうか。
(あのさ、昨日会った勇者いたじゃん。あいつが魔王を倒したらどうなんの?)
(え~……ああ、あの者ですか。そうですね。闇神グヌムの目的は潰え、世界は光に満ちることになる、かも知れませんね。一時的に、でしょうけど)
(かも知れませんって……。それも一時的にかよ)
(恐らくね。まあ、実際にそうなったことなんて無いんですからわかりはしませんけど)
(でもさ、もしそうなったら俺は用済みになるんだよな、そうなったら元の世界に帰ったりできるの?)
(あなたが望むのであればね……でも、帰りたいですか? あの場所に……)
痛い所を突いて来たな……。確かに凄く迷う。今向こうに帰ると、多分すっごい面倒臭い事になる。
スマホの着信履歴とか見るのが怖いよな……いや、そういえばスマホ自体が鞄ごと消えたのか。
契約しなおして方々に謝罪を入れるだけでも大変そうだ。
部屋もやばいな、冷蔵庫の中身とか、色々身の回りの物とかせめて処分してから来たかったよ。
俺は、親父とおふくろの顔や、妹を思い出す。最近は疎遠だが、親父やお袋ももう年だ。自分の子供が急にいなくなって、心労で倒れたりして無いだろうな?
妹がしっかりしているので上手くやってくれているだろうけど。ちなみに妹は兄を差し置いてゴールイン間近だったが、どうなったんだろうか……。
(あ、妹さんご結婚されたみたいですよ。おめでとうございます)
(やっぱな! こんな所で聞きたくなかったわ!)
俺は申し訳なさで頭を抱えた。うわぁ、ふがいねぇ……祝儀すら渡してやれなかったぞ……。
妹よ、不肖の兄を許しておくれ。四つん這いになって反省する俺にアルビスはさらなる追い打ちをかける。
(ふふふ、ご心配なさらずに。あの世界でのあなた関連の記憶はほぼ全てが都合の良い様に上書きされて、あなたの存在は無かったことになってますから。ちなみに戻っても多分住民登録とか消えちゃってホームレ……ごほん、裸一貫からのスタートになりますから、お勧めはしません)
(ひょっとしてお前らの方が悪者なんじゃないだろうな! 会ったことの無い闇神とやらに逆に好感が湧いて来るぞ!)
(まあ、私達も自分達こそが正義なのだとのたまうつもりはありませんし。単純に互いに敵対関係にあるというだけですから……あなた達の国の言葉にもあるでしょう、勝てば官軍、勝者こそが正義なのです!)
な~んか俺、このままこいつらに加担していて大丈夫なのか不安になって来たぞ。しかし、そういうことになると一つの疑問が頭を湧いて出て来る。
(……もしかして邪神達の側も、どっかから召喚したりして自分の配下を作ったりするのか?)
(それはもちろん……魔物であったり、あの魔人がそうですよ)
(は……マジで?)
(ええ、あれらはこことは異なる世界から召喚して来た存在の成れの果て。世界線を超えて意志ある生命体を召喚するのは実はとてもとても凄まじいエネルギーが要り、しかもそれが自我を保ったままとなると尚更なのですよ。大方雑な方法で量産した為魂が変質してしまったのでしょう)
(さらっと怖いことを言うなよ……)
ある意味ではまだ、アルビス達の方が人道的なのかも知れない。
しかし……それは俺にとって衝撃の事実だった。俺は運が良かっただけで……もしかするとあのゴブリン共や、スライムのようになっていたのかも知れない。
(……元に、戻してやったりはできないのか?)
(無理ですね……召喚直後の不安定な状態なら、可能性はあるかも知れませんが)
(そうかよ、くそ……嫌な事聞いちまった)
「――ジローさん……ジローさん、どうかしましたか?」
突如耳の近くでした声に意識が引き戻された。すぐ傍でエプロンをかけたファリスが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
少し目が赤いのは、もしかしてリッテが旅立つという話を聞いたせいかもしれない。アルビスは珍しく空気を呼んでくれたのか、それ以上話を続けることは無かった。
「ああ、ごめん……どうかした?」
「いえ、少し怖い顔をしてましたから……何かあったんですか?」
「何でもないよ、ちょっと色々思いだそうとしてたんだけどな、上手くいかなくて……落ち込んでたんだ」
「そうですか……あまり気を落とさないで。ここにいる間はゆっくりしていって下さい。部屋も、空いてるのがありますから良かったらしばらく使ってもらっても構いませんし」
「ありがとう……その気持ちは嬉しいけどな」
つい言葉に甘えたくなるけど……多分ここにいたら居心地が良くなって動けなくなる。そのツケは後々、下手をすれば命で支払うことになるのだ。俺はディジィ達が帰って来たらここを出るつもりでいた。
そんな様子を察してか、彼女は少しだけ咎めるように言う。
「あの子も、連れて行くんですよね……」
その言葉に、一抹の寂しさが感じられ、いたたまれない気持ちになる。けれど、俺からリッテに働きかけてそれを止めることはできない。彼女自身がそれを望んだんだから。
「ごめんな、でもそれを望んだのはあいつ自身だから、止められないよ。と言っても俺の方がリッテを頼りにさせて貰うんだけど。俺一人だと忘れてることばっかだから、どこで行き倒れてもおかしくないし」
「ふふっ。ずるいなぁ……。正直な所少しだけ羨ましいんです。私もこのローヌの外で、世界はどんなふうに拡がってるんだろうって想像することはありますから」
彼女は、昔を懐かしむように目を細め、少しおかしそうに笑う。
「……本当は、どっちが先に生まれたか分からないんです。物心ついたときには、もう大体同じくらいの背丈だったから。案外、リッテの方が年上だったりするのかも知れないですね」
「……ディジィから聞いたのか? リッテが……その」
俺が口ごもったが、その先をファリスはあっさりと続ける。
「同じ親から生まれていないことですよね。ええ……知ってます。でも、私にとってはどうでも良かったんです。彼女は私の手のかかるけど、とても大切な家族だから。でも……リッテの方は、それだけじゃ駄目だったのかな……私達だけじゃ」
「それは違うよ。……あいつだって、あんたと離れるのを寂しそうにしてたし、もちろん親父さんとも。でもあんた達とは一度離れても大丈夫って確信してるからこそ、はっきりさせに行こうって気になったんだろ。甘えてるんだよ、妹らしくさ」
俺がちょっとおどけた風に言った言葉に、ファリスは沈んだ顔をほころばせた。
「……そうなんです。あの子、意地っ張りであまり人を頼らないのに、こういう時だけ……意外とちゃんと見てくれていて、少し安心しました」
意外とは余計だが、その可愛らしい笑みを見ると何も言えない。
そしてファリスは自分自身を納得させる様に、はっきりと言葉に出す。
「ありがとう。少しだけ、迷っていたんです。リッテが心配だったから……でも行かないって決めました。父さんを一人にしたくないから」
「そっか……」
彼女の感情を押し殺した表情に、俺は何も言えずに口を閉ざす。
本当はもっと外への憧れは大きいのかも知れないが、ファリスが帰れる場所を保とうとするのは、ディジィの事だけでなく、大好きな妹が気兼ねなく旅立てるようにとのせめてもの配慮なのかも知れない。
それきり彼女は表情をくるっと切り替えて、こちらの手を引いた。
「さあさあ、父さん達も昼には戻るだろうって言ってましたし……昼食の支度をするので少し手伝って貰えますか?」
「ああ……わかった。何でも手伝うよ」
無理やり明るく振る舞うようなその姿に少しだけ罪悪感を感じながら、俺は心の中で頭を下げた。
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