19.異変
朝まではまだまだ時間がある。
あれやこれや暇つぶしの雑談を続けながら、俺達はじっと時が過ぎるのを待った。
というか、話でもしていないと、気が持たない。今にもどこかの暗がりから緑色の頭が出て来るような気がして……。
反対側の出入り口は今の所無事だと連絡が来た。
一度、小規模なゴブリンの部隊が山から下りて来たが、詰めている冒険者の働きで難なく倒すことが出来たらしく……俺達はふうと息を吐き出す。
「なあ……こっちもそろそろ、交代した方がいいんじゃないのか?」
「何度目よ、それ……気ばかり張ってても、いざという時にちゃんと動けないよ?」
リッテは、柵に頭を持たせかけて目を閉じている。それだけ父親に対する信頼が厚いのだろう。なんてったって、LV54だもんな。ゴブリンごときに遅れなど取るはずが無いのだ。
辺りの静けさが増し、篝火に据えられた薪が時折爆ぜる以外は無音だ。いつの間にか虫の鳴く音すらしなくなっている。
だが、それに何か違和感を感じたリッテは、すっと目を開けると腰を上げた。
「ちょっとなんか、ヤな感じがする」
「お、おい」
「……様子を見て来る。君はここで待機してて」
「やだよ、俺も行く」
彼女は一瞬眉をしかめたが黙って歩き出した。邪魔なのかも知れないが、一人で居る方が怖いのだから仕方が無いのだ……悪く思うな、リッテ。
言ってもそこまで距離があるわけでは無い。簡素な見張り小屋の裏手から前に出るだけだ。すぐにディジィとファリスの背中が見えた。
ディジィはこちらの接近に気づいただろうに、目を細め、闇の奥をしっかりと見据えたままだ。心無しか、その表情には僅かな緊張が伺える。
「……リッテ、アンタも感じたの?」
「うん……なんか、変に静かすぎて肌がピリピリするよ。いつもの森じゃない……」
二人が闇の奥を目を凝らして見つめる一方、ファリスはその感覚は分からないようで、俺と同じように不思議そうにしていた。
視界の奥……風に揺らぐ木々の隙間からわずかに漏れた星明りが何かの輪郭を映しだして目を擦った時、俺達を庇うように前に出たディジィが叩きつけるような早口で言った。
「三人とも、北側に知らせに行きなさい! 魔人が来るッ!」
魔人、という一言にリッテがひゅっと息を飲みこむ。ファリスの口からかすれ気味に「嘘……!?」と、ひと言が漏れた。再度、ディジィが俺達を促し、背中の戦斧を構える。
「行きなさい、早く!」
「そんな、お、お父さんは……」
「……ッ! ファリ、行くよ! 父さんの邪魔になるだけだから」
「でも……!」
リッテがバチンとファリスの頬を叩き、肩を揺さぶる。
「いい加減にして! 冒険者は迅速な判断を行うのが鉄則! 第一、あんたが残って何が出来るの……私達がいたらそれを気にして父さんが自由に戦えないんだよ! それに魔人だとしたら、こんな村、あっという間に潰されちゃう……皆を逃がさないと……ほらッ!」
彼女は強引にファリスの手を引っ張って行こうとするが、抵抗されてなかなか進まない。
魔人って何なんだよ……そんなに危険なのか? 俺に出来る事など無いが、せめて……。
「……お、おっさん。せめてこれ、返しとく! 後、無駄かも知れないけど……」
俺は盾を返すと、そのついでにわずかでも助けになればと思って覚えている限りの支援魔法を使う。
「……ありがとうね。しばらくはこれで持ちこたえられると思うわ……。急いで村の人々を避難させて! それだけヤバい奴なのよ、魔人って言うのは。さあ、行きなさい!」
彼に背を叩かれ、俺はリッテと手を引き合うファリスを強引に担ぎ上げる。暴れる彼女の手足が当たるが、気にしている暇もない。
「やだぁ、お父さん、お父さんッ!」
「……くそっ、何なんだよ、一体!」
闇に溶け込むように黒い、ゆっくりと浮かび上がる何者かの姿を視界に納め、俺は心臓が縮みあがる程の恐怖を覚えながら、リッテと共に足をがむしゃらに動かしてその場を離れた。
そして同時刻、北側では……。
多くのゴブリン達の灰となって崩れた死骸が松明に照らされていた。
その中で埋もれた小さな黒い結晶を摘み上げたのは、流れる清水のように滑らかに輝く金髪をかき上げたエルフだ。彼女はさもつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「……つまらん。ただのゴブリンばかりではないか……腕が鈍る」
「そう言うな、これも人助けさ」
快活そうな黒髪の騎士は豪奢な細工のされた大振りの剣を肩に乗せ、からからと笑った。
明らかにそれは一介の冒険者の持つような装備では無いように見える。美しい白い刀身に、柄に嵌る大きな碧玉が映えていた。
「ふん……こんなものたちが相手では貴様の持つ聖剣レビュ・フレクも泣いているだろうよ」
「んなことねぇって。こうして無辜の民を救うことこそ、聖剣としての本懐だろ? なあフレク」
男の言葉に答えるように、白く光を帯びた剣は輝く。そのやりとりを興味なさそうに眺めながら、地面に座り込んだ魔術師の少女がふわぁとあくびをした。
「何かあたし眠くなってきた。ジョセフ、何か目が覚めそうなものない?」
「飴ならございますが……」
「あ、それでいいや、ちょうだい。糖分糖分」
ジョセフという僧侶が取り出した袋から少女は飴を掴み上げると口に入れてすぐさまガリガリと齧り出す。
そうして二、三個それを口に入れた所で少女は、急に何かを感じたかのように背筋を伸ばし、村の奥の方に視線を飛ばすと冷や汗を掻きだした。
「うぁー……やっばいのが来てんじゃないの、これ」
高く吹き上がる様な強い魔力の反応を少女が感知すると同時、彼らが目にしたのは、村の南側から走って来た三人の若者達の姿だった。
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