6.序盤で死にかけるとは何ごとか
動物の骨を研磨して形作ったものだろうか。
ゴブリンが残した白いナイフ……灰になった後も消えずに残ったそれを、少し気持ち悪かったがそのまま使おうと拾い上げ、アイテム欄で詳細を確認する。
【小鬼のナイフ】……(短剣)(低品質)装備時ATK+2
ただこれをそのまま使うのも嫌なので、俺は丁度良い長さでしっかりとした木の棒を見つけ、その先に切れ込みを入れてナイフの柄を差し込み、携帯のバッテリーに付属した充電用のコードを強く巻いて固定した。
そして完成したのが……。
【小鬼の短槍】……(槍)(低品質)装備時ATK+4
見た目しょぼいが、これで、多少なりとも距離を保って戦えるはずだ。
試しに木を突き刺して見るが、流石に深々とは刺さらない。
ナイフには所々欠けがあったし、金属質の物では無いのでまあこんなものだろう。
そうして俺は手製の槍とスーツという良く分からない格好で山を再び徘徊し始めた。
幸いATKの上昇により、スライムは楽に狩れるようになった。
リーチも有るので足腰への負担も少ない。だがゴブリンにたてつこうという気分にはなれないままだ。
向こうも、こちらが槍を持っているのを見ると警戒するのか中々近くまでは寄って来ない。
まあそれはそれでよいかと思いながら、油断しながらスライム狩りを続けていた。
――それが良くなかった。
「……ぃっ?」
後ろから、何かが皮を突き破る感触。
ヅンッと言う鈍い音と共に左の二の腕に生えたのは、細い木の矢。
次いで、猛烈な熱感や怖気と共に、痛みに胃の奥から酸がせり上がって来た。
「……ぁああああっ、んだよ、これぇっ!」
動かすだけで脳天に痺れるような痛みが突き抜ける。
スーツが血に浸されてゆき、後ろから走って来る足音に、俺は何とか首を向けた。
短弓に矢をつがえたゴブリンと、もう一体ナイフを持ったゴブリンが迫って来ている……近い。
本能的な危機を感じ俺はなんとか木陰に身を隠すと、タァンと高い音がして木が震えた。出たら……撃たれる!
落ち葉を踏みながら寄って来る足音と心音が重なり、視界が急激に圧迫される。
溶けそうに熱くなった脳で、もうその時はろくに思考も回らなくなっていた。脂汗が大量に噴き出し顔を滑り落ちていく。
作った槍を抱きかかえるようにぎりぎりと握り締めながら……迫りくる死にどうかして抗おうと俺は、激しく視線を左右に振る。
そして木の裏側から緑の影――ナイフを手にしたゴブリンが殺意を込めて喚き散らしながら躍りかかって来た!
『ゴハッ! 死ネ!』
「うるせえっ! ふざけんなっ、お前が死ね!」
面打ちのように右手に持った槍を力任せに振り下ろす。それはゴブリンの肩口を叩き、強い弾力と共に、枯れ木を折ったような感触が腕に伝わる。
横倒しになり、怯んだゴブリンが顔を覆って何かを呟いたが、もうそんなものは耳に届いていなかった。
俺は無我夢中で、思い切り上から胸の中央を突く。ぞっとするような、グロテスクな感触を本能が忌避し、背筋を嫌悪感が這い上る。
だが、それを無理やり押し込んで、捩じり込むように体重をかけていると――ある時、ふっと糸が切れた様にそれは動かなくなる。
「……あっ」
黄色い目を見開かれ、口から血の泡を吐いた目の前の彼が、生き物からそうで無くなってしまう瞬間が、はっきりとわかった。
ゴブリンを今、俺が……殺した。
そのまま動悸も収まらず、槍を抱えながら虚脱していたが、その状態を長く続けることは許されなかった。
背後で再び的を射る音。それは先程より大きく木を揺らし、敵が近づいていることを示している。
来たら殺す……もう頭の中にはそれしかなかった。
今の一瞬で倫理観とか色々な物が吹き飛び……理性を失くして歯を噛み締めながら、些細な音も聞きのばさないように耳をそばだて、ただ震える。
相手の足音が一歩、二歩とこちらに近づいて来る。
ついに気配が木の真裏に達し、その時点で俺は覚悟を決めて跳び出した。
「オァァァァァアッ!」
『ゴブハッ! ゴッ……』
もはや躊躇などどこにもなく、武器を放り捨てて逃げようとした相手の背に俺は槍を思い切り投げ付けた。
それは左腰のあたりに深々と突き刺さり……弓ゴブは倒れた。
柄の重量で槍はひとりでに引き抜かれ、大量の血が地面へと流れ出す。
弓ゴブはなおも這って逃げようとしたが、数メートルも動かないうちに体は動かなくなる。
既にろくに意識は無いのか、近くに来た俺にも反応しない。
そして俺は槍を拾い上げると、もう一度心臓部へと槍を突き刺した。
体の端から白い灰となって吹き散らされて行くゴブリンを見下ろしながら、俺は改めて今、この世界の住人になってしまったことを強く感じていた。
――大変だったのはその後だ。
体を汗に濡らしながら、歯を喰いしばって木矢を引き抜くときは地獄の痛みで血管がちぎれるかと思う程だった。
出血が多い……これを止めないと、死ぬかもしれない。
ステータス画面の体力など見る余裕もない……と言うか恐ろしくて見れなかった。
包帯も何も無いので衣服を裂いて傷口を強く縛る。怖い、死にたくない……。
周りには誰もいない。自分一人がここで冷たい死と向き合っている。
「おい、アルビス……いないのか。どうにかしてくれないか……」
(あら、ちょっとヤバそうですね)
緩い口調に苛立つ俺はアイテム欄に手を叩きつけようとして怒鳴った。しかしそれはすり抜けるだけで、何の感触も返しはしない。
「女神だろうが……血を止める位どうとでもなるだろ!」
(残念ながら、私達は助言を与えるだけで被召喚者達の生死に関与することは出来ないんですよ。ですから一つアドバイスを差し上げましょう。あなたのそのアイテム欄には何が入っていましたか?)
霞み始めた青い画面。
それに意識を総動員して、白い文字を辿っていく。
すると、残り少ない水や非常食、地図などの下に、その名前が光って見えた。
「ポーション……」
か細い声を出した俺の右手に、栄養ドリンクほどの小瓶が現れる。
ろくに効かない左腕の代わりに膝で瓶を保持して蓋を開け、そのままそれを呷った。すると……。
「う……おぉ!」
腹の奥から何か体中に暖かい物が満たされて行き、体に力がみなぎる。
痛みも薄らぎ、縛った矢傷すら完全には塞がっていないにしろ、大分浅くなっている。
試しに僅かに瓶の底に残った液を振りかけて見ると、それは染み込み、傷を再生させた。
(そんな調子ではこの先が思いやられますねぇ。ちゃんと生き残りたければ、もう少し危機感を持った方がよろしいかと思いますよ? それでは)
「ああ……助かった、死ぬとこだった」
体は回復しても生死の境を潜り抜けた精神疲労は拭えず、もう何も言えずに俺は這いつくばる。
その手にコツンと黒色の結晶が触る。
灰の中から現れたそれは、黒曜石の中に紫色のクラックを入れたような、指先程の小さな結晶――内部は脈動するかのように、ほのかに輝いている。
俺はそれをアイテム欄に収納し……やつれた顔で恐怖に体を突き動かされながら、身体を引きずるようにして安全な場所を求め、歩き始めたのだった。
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