第2話 小さなきっかけ、大きな変化
息の荒い、顔が赤い。
そんな彼女を放置出来なかった。
人族が状態異常にかかった時、教会に訪れそれを治す。
魔物の世界では違った形でそれを治す。
人族の状態異常は神父が治すように、魔物の状態異常は【ウィッチ】と呼ばれる魔女の魔物が治してくれる。
『スライムさんの村』のように魔物の村としては大規模な村にはもちろん【ウィッチ】の診療所がある。
イツキは、身動きの取れなくなっているサキュバスを見捨てることができず、その診療所へ連れてきた。
老舗であることはウィッチのしわの数と白髪の染まり具合で十分理解できる。
ウィッチが腕利きかどうかはさておき、サキュバスを椅子に座れられてスキル【鑑定】で彼女の様子を診ていた。
【鑑定】とは、対象のステータスを確認できるスキルである。
状態異常を治すには、まず何に罹っているのか確かめる必要がある。
ウィッチの深い額のしわがますます深くなっていくのをイツキは感じる。
そして、一仕事を終えた様に大きく息を吐いた。
ウィッチはサキュバスから少し離れたところにいたイツキの下へ来ると、彼女には届かない声で話しかけてくる。
「おぬしは一体、あの子に何をしたんじゃ?」
ウィッチの半眼にイツキはきょとんとした目で立ち向かう。
イツキは何もしていない。
一方的に何かされただけである。
サキュバスは相変わらず呆けており、何故かイツキの顔をちらりと見ては頬を染め、目が合いそうになると脱兎の如くその視線を逃がす。
その様子を眇めてウィッチは言う。
「おぬしはアークデーモンに見て取れるが、サキュバスとの混血とかでは無いか?」
ウィッチのとんちんかんな問いに変な声が出る。
父曰く、ディアボロ一族はアークデーモンの純血のはずである。
ましてや、サキュバスとは親戚どころか遭遇したのが今日初めてであった。
「違います。彼女は何か状態異常にかかっているのですか?」
ウィッチは腕を組み、天を仰いだ。
少し考え、言葉をまとめている様だ。
「この子は状態異常では無い」
イツキは少し安心した。
しかし、そうなれば一体何が。
「彼女は呪いにかかっておるのじゃ。それもサキュバスにはとてもとてーも珍しいものじゃ」
「え……。一体それは?」
「彼女は自分の種族の【魅了】の呪いに罹っておる。しかも、その対象はおぬしだ」
イツキは耳を疑った。ふざけているのか。
しかし、ウィッチの瞳は真剣であった。
サキュバスは【魅了】に罹っている。しかも、その好意はイツキに向かっている、と言っているのだ。
先ほどのウィッチの質問の意味が分かった。
アークデーモンは【魅了】が使えない。しかし、一滴でもサキュバスの血が混じり、奇跡が起こり【魅了】が使えれば彼女の今の状況の説明がつく。
「そんな訳無いでしょう。何かの間違いです」
あのカツアゲの状況で【魅了】が使えたのはサキュバスだけであった。
声を掛けられる前に他のサキュバスに襲われていた?
いや、声を掛けてきた時はこのような様子では無かった。
「それでは実験じゃ。サキュバスよ、あの医学書を取ってきてくれぬか?」
ウィッチは不意に向こう側の机の上にある本を指さし、サキュバスに言う。
サキュバスはその本を見つめる。
「なんでよ。よぼよぼでもないくせに、自分で取りなさいよ」
なかなか辛辣な返しをするサキュバス。
彼女は直ぐにそっぽを向いてしまった。
「では、次におぬし。わしと同じ頼み事をしてみよ」
イツキはこんな実験に何の意味があるか分からないといった様子だったが、ウィッチの指示にしたがってみた。
「サキュバス、その医学書とってくれないか?」
彼女はまた辛辣な一言で返すのだろうとイツキは思った。
しかし、彼女はピョンっと椅子から立つと、そそくさと頼んだ医学書を手に持ち、イツキへと近づき手渡す。
そして、イツキの「ありがとう」という言葉に頬が綻びそうになったのか、自身の顔に平手を入れる。
その後、何事も無かったかのように元の椅子へと戻っていった。
「……」
「……」
「おかしい」
「じゃろ?」
ウィッチへの態度と、イツキへの態度が明らかに違った。
ウィッチが言っていることは本当なのだろうか。
イツキが考え込み、顎に手を当てた時、ウィッチはイツキの指にはまる指輪を見て目を見開いた。
「そ、それは何処で手に入れたのじゃ!?」
ウィッチは酷い取り乱しようであった。
それは祖父から譲り受けたディアボロ一族の指輪である。
「これは祖父から譲り受けた指輪です」
「つまり、おぬしは『ディアボロの末裔』か?」
ウィッチの興奮した声が診療室に響く。
その言葉に一番反応したのはサキュバスであった。
顔を見ては逃げるを繰り返していた彼女は驚いた様子でイツキを凝視していた。
その瞳は小刻みに揺れている。
イツキの頷きウィッチはすべての合点がいったと言う。
「それは【ラプラスの指輪】じゃ。ちょっと貸してみよ」
イツキはウィッチに指輪を渡すと即座に【鑑定】を始めた。
唸るような声を上げながらウィッチはその指輪を見ている。
「やはりじゃ。この指輪には【攻撃魔法無効】【状態異常無効】【呪い反射】が付与されておる。この子が【魅了】に罹ってしまったのはこの指輪のせいじゃ」
祖父からの指輪を【鑑定】に出したことは無かった。
それに、指輪をつけるようになってこの方状態異常に罹ったことがないことを振り返る。
「それは反則級に強い指輪では?」
「だからS級ダンジョン、あの『ラプラスの悪魔』の宝なのじゃよ。噂は聞いたことあったが、実物を【鑑定】できるとはのう」
興奮冷めやらぬといった様子のウィッチ。
その様子から、とんでもないものを今まで身に着けていたの気づかされる。
「そ、それで、原因は分かったんですよね。治せるんですよね」
彼女に罹った【魅了】がイツキの指輪のせいであることが分かり、不可抗力であるがイツキはえらく責任を感じてしまった。
治せるものなら治してあげたい。
ウィッチは状態異常を治せるはずだ。
「わしには無理じゃ。この指輪の反射があまりにも強力すぎる。【魅了】に複雑なロックを掛けておる」
ウィッチの力では治せないらしい。
イツキは茫然とそれを聞いた。
つまり、この子はこの指輪の力で好きでもない相手を好きになって、人生を棒に振るのだ。
だからといってイツキがそれに付き合うのは彼女に失礼だと感じた。
偽りの愛など彼女は求めているはずがないのだ。
「どうにか、治りませんか?希望はありませんか?」
イツキの真剣な顔にウィッチは考える。
強く唸り。
「一つあるが……。おすすめできんぞ」
「構いません。聞かせてください」
イツキは強くお願いする。
「この村にはわしの他に【リッチ】という種族が一体おる。人族の不治の病を治しておる奴だが、そいつであれば」
【リッチ】とは死んだ強い魔女が、アンデットとして蘇った魔物だ。強力な魔法をいくつも使え、魔法のスペシャリストよいう異名を持つ。
どうにも、『スライムさんの村』にいるようだ。
「なぜ、おすすめしないのですか?」
「奴はとても相手の足元を見るやつでな。【解呪】するには最低でも一千万コインは請求してくるだろうな……」
「一千万コインっ!!?」
一千万コイン。【コイン】はこの世界の通貨だ。人族も魔物も共通している。
イツキの金貨袋には十万コインある。その百倍だ。
『臥竜洞窟』で百年働けばならない金額なのだ。
気が遠くなる感覚であった。
そして、無理ではないかと思う。
「まぁ、聞くだけ聞いてみよう。治せないなら当たるだけ無駄だしのう」
ウィッチはリッチと知り合いのようで聞いてくれるらしいが、最低一千万…。
イツキはため息をついた。
それではこの子は後何百年、自分の呪いに振り回されなければいけないのか。
「わかりました……」
著しく元気のなくなったイツキを見るサキュバス。
先程の話を聞いていたのだろう。
近づいてくる。
イツキには彼女へ申し訳なさしか感じない。
「あの!お金が足りないのよね」
少し上ずった声で彼女が訊ねてくる。
「話を聞く限り、あなたはディアボロの一族なのですよね」
イツキは頷く。
――――だったら、ダンジョンを創りましょ?
彼女の銀鈴はイツキの眉を強く顰めさせた。
ダンジョンを創る?一から?
「無理だ。ダンジョンを創るには【魔王適性】が必要だ」
【魔王適性】。ダンジョンは誰彼好き勝手に創れない。ダンジョン創造時に魔王の適正を持つ者が最低一人必要なのだ。
イツキは自分にそれがあるか調べたことは無いが、有るとは思っていなかった。
「ウィッチ、この方を【鑑定】して」
命令口調のサキュバスにウィッチは眉を顰めたが、彼女もディアボロのステータスに興味があったのだろう、すぐに【鑑定】をする。
「おお、確かに【魔王適性】があるぞ」
「え」
サキュバスはにっと笑う。
「いやでも、俺ダンジョンなんて作ったことないし、防衛でも雑用ばかりで……」
「そこは私に任せて。私、ダンジョンには詳しいの。それにお金を稼ぐには一番早いでしょ?」
今のイツキの状況で時間をじっくり掛ける方法と盗みに走る方法以外で一千万コインを稼ぐ方法。
【魔王特性】があるのならダンジョンを創造し、運営することが一番早いのである。
「本当に大丈夫なんだな?俺は強くないぞ」
「大丈夫よ。私がいるから」
こうしてイツキとサキュバスのダンジョン運営の物語が始まるのであった。
それと、そのあとウィッチからしっかり指輪とイツキの鑑定料も取られたことにイツキはため息を漏らしたのだった。
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