009 カルタ
「あれ、先輩調子悪そうですね」
「あぁフィアちゃん。うん、実は少しね」
少しどころじゃなさそうな顔色だけど、医務室でも寮でもなさそうな方向へ進んでいる。多分研究区画へ向かっているんだろう。
「休んだ方が…」
「ううん、ありがとう。じゃあ、ちょっと急いでるから」
珍しく無駄口がない。これは相当具合が悪そうだ。急いでるとはいうが、歩みも足を引き摺るように鈍重だ。
「…肩貸しましょうか?」
「あー、いい いい、大丈夫だよ。気にしないで」
無理な話だ。
「せめてついて行きましょうか」
「折角だけど…行き先、ウイユ先生の研究室だし。フィアちゃんは来ない方がいいなぁ」
「行きます」
「え!?」
寧ろ行きます。
具合が悪そうな中心労を増やしてしまったが、先輩にくっついて生体錬金研究室までやって来た。先輩には本当に申し訳ないが、良い口実だった。
入口前で先輩は立ち止まり、困った顔でこちらを見た。
「ほら、着いたし。大丈夫だから、フィアちゃんはもう戻らない?」
「いやいや折角来たのだから、入っていくと良い。君なら歓迎するとも」
先輩は頭を押さえてズリズリと倒れ込んだ。
ウイユ先生の歓迎を受け、私は生体錬金研究室へと足を踏み入れた。
「さあ。迎え入れておいて申し訳ないが、これの処置が先だ。君は見学でもしていてくれ」
「先生、私はもう少し保ちます」
先輩が慌てたように声を掛けるが、先生はそれを見下して鼻を鳴らした。
「隠しているのか。愚かな選択だ」
「先生…!」
先輩は焦燥と怒りを孕んだ声で止めようとするが、先生は真顔のままで私へ向き直った。
嫌な予感がする。クドルの話を聞いたばかりだ。まさか先輩も──
「カルタは重度の貧血症でね。定期的に輸血を行う必要がある」
「え」
先輩がまた頭を抱えて大きな溜め息と共に崩れ落ちた。
「そうだったんですか」
「ぁー、うん。そう…ごめんね隠してて」
隠されてた意味はよく解らないけど、良かった。マキが例に挙げてたような医療行為だった。
大体20分くらい、先輩は研究室の奥で輸血を受けていた。本当に。
「………」
クドルの件は、塔の体制が変わる前の話だ。
ルエイエ先生の目があれば倫理的に問題のあることは出来ないだろうとマキも言っていた。
研究室には何名か研究員も居て、それぞれに何かをしていた。覗いても隠されないし、疚しいところはなさそうだ。
「さて待たせたな、フィア君。生体錬金に興味があるとは喜ばしい」
「あ、いえ。クドルの事を、伺いに…」
「クドル…?」
先生は訝しげにその名を何度か繰り返し呟く。
「何だったか…」
覚えて、いない。
「スナフ先生の下にいる学生です」
「…ああ、ナナプトナフトの飼い犬か。………ああ、ああ。そうだ。君の情報を移植した」
「 ぇ?」
なんだ知らなかったのか?魔力を有す者などそうそう居ない。……
先生の声が遠く聞こえる。
そうだ。そうなる。複製して移植するなら原本が必要になるなんて当たり前じゃないか。
「そろそろ」
肩を掴まれ意識が戻る。先輩が後に立っていた。
「失礼しますね、授業がありますので」
「そうか。また来ると良い」
先輩は動転したままの私を引き摺るように部屋の外へ連れ出してくれた。
「……大丈夫?」
「あ、えっと」
大丈夫とは言い難い。
衝撃すぎてまだ頭が真っ白だ。
「あの研究室の人たちは異様に口が堅いから大丈夫。…クドルって、最近君がよく一緒にいる子? あの赤髪の」
無言で肯く。
「そっか。妬けるなぁと思ってたけど…」
先輩はそこで区切って私に目をやる。
「…寮の部屋まで送るよ」
背中を押されて歩きだした。
「…フィア?」
寮区画へ入ると、マキと遭遇した。
ヨロヨロした私の歩みに眉を潜め、溜め息を吐いた。
「ほら、だから注意しろって言ったのに。忠告を聞かないから」
「? いや、先輩は送ってくれただけだよ」
忠告ってなんだっけ。ふたりきりは避けろってヤツか?
マキは目を据わらせたまま
「貧血じゃないの」
と尋ねてきた。そんなに顔色悪いだろうか。心的ショックを受けただけで、身体はなんともない筈なのだが。
「貧血だったのは先輩かな」
マキはしたりと頷いた。
「ほらやっぱり。吸われたんだろ、血」
「は?」
何を言い出したのかこの子は。していないけど、献血を表わしているのだろうか。
先輩も苦々しく顔を歪めている。
「んー…マキちゃん。君、どうしてそんなことを?」
問われたマキは先輩へ向き直る。
「俺は生まれも育ちも塔下街なんで。…解り易く言うと、見てたので」
その答えに先輩は目を見開いた。そして一言。
「………そっか」
ストンと力が抜けたように肩を落とし、目を閉じて息を吐いた。
「折角ウイユ先生がうまく誤魔化してくれたのになぁ」
「えー…と?」
私は血を吸われたの
応じるように、マキが結論を教えてくれた。
「カルタ先輩は、
グレル。
え、グレル!??
人喰種の亜種。綺麗な顔で人間に近付き、その血を吸うという捕食者。天敵。
ああだからこんなにキレイなんだ。驚きの奥で深く納得してしまった。
「一応、塔内での摂食は禁じられてるし、俺はホントに学びに来てるし、飢えはウイユ研究室で解消して貰ってるから安心して欲しい…処だけど…まぁ、無理だよねぇ」
バツが悪そうに目を逸らす。
「いや、別にそれなら全然」
襲う気はなくずっと今まで通りだというのなら。代替食糧が用意されているのなら。問題はないように思う。
マキは解っていたように、それでも呆れは隠し切れないというように肩を竦めて見せた。
「ご覧の通りこの子危機感がないんでね。苦しい思いすんのはあんたの方だ、先輩」
「ホントにね。フィアちゃんは、悪いヒトだねぇ」
いつか聞いたような台詞をまるで泣きそうな顔をして言うから。
「よしよししてあげましょうか」
「ふふ、要らない」
断られた。
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