105.兄と呼んでいいのはティナだけだ

 貴族の若造、それも成人前なら敵にならない。そう考えた。せっかく外に出てきた獲物を捕らえるチャンスだ。邪魔されるわけにいかなかった。


 フォンテーヌ公爵家が前回の記憶を逆手にとって動いたせいで、家が没落した。王家派として甘い汁を吸った身は、もう清貧など耐えられない。堕落して味わった禁断の果実は、その味でこの魂まで縛った。


 唯一勝ち続けるフォンテーヌ公爵家の一人娘を奪えば、あの家族は金を払う。周囲に集まった貴族も同様だろう。幾らでも金を絞れる、まさに黄金の卵を産む鶏だった。少女に興味はないが、いずれは美女に育つ。そこを食ってもいい。王太子妃になるはずの女は、さぞ美味いだろう。


 女も金も手に入る。悪魔の誘惑に勝てず、フォンテーヌ公爵家の周囲をうろついた。あの娘、最悪は跡取り息子でもいい。どちらかを捕まえれば、後は勝てる。そう思っていた矢先、落馬する娘を目撃した。駆け寄る前に、別の若者が彼女を攫う。


 追いかけた先は猟師小屋で、中に留まっている様子だった。フォンテーヌの娘がケガをしていたら、より捕まえやすい。そう考え仲間を呼び寄せ、襲撃する直前に邪魔が入った。だが邪魔をしたのはフォンテーヌの小倅、これを捕まえても十分金になる。いや、娘が手に入るならこの息子は切り捨てて門前に捨ててやろう。


 跡取りを殺されて嘆き、可愛がる娘を奪われたら、あの男とて手も足も出まい。騎士団長と打ち合うほど強く、宰相より頭が回る。隣国の末姫を娶って順風満帆に世を渡った男を、屈服させられる。歪んだ欲望に火がついた。


「殺せ!」


 叫んだ直後、胸に熱を感じた。ゆっくり視線を落とした先に、銀と赤が突き出ている。剣と……血? 首を傾げた恰好のまま、崩れ落ちた。声もなく絶命した男の後ろで、剣先についた血を拭うのはバルリング帝国の皇太子カールハインツだ。


「義兄上、助太刀いたします」


「不要だ! それと兄と呼んでいいのはティナだけだ」


 叫んで駆け寄った男を一閃する。剣を構える右手首を切り落とされた男は、悲鳴をあげて転げ回った。ひとまず放置し、別の男に向き直る。その脇から「えいやぁ!」と叫んで飛び出したのは、アルフレッドだった。一撃目を打ち合った剣が、ぎりりと刃を削る音を立てる。ふっと力を抜いたアルフレッドに誘われて体勢を崩した男は、駆けつけた俺の剣で斬り伏せた。


「ティナはどこですか、義兄上」


「貴様も呼ぶか」


 歯ぎしりするが、追求も抗議も後だ。目配せしあって、小屋を囲む。裏口はないシンプルで小さな小屋の正面に立つ俺は、ひとつ深呼吸して扉を蹴り飛ばした。


 埃が舞う薄暗い小屋の中、白いブラウスの上に大きな布を巻いたティナが立つ。その後ろに立つ青年は、ナイフを手にしていた。


「ティナ、危ないっ!」

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