86.すべきことを為しましょう
夜会で断罪された悲劇の公爵令嬢。その末路は前回の記憶を持つ者の脳裏に刻まれている。筆頭公爵としての体面を捨てて怒りと絶縁を口にしたフォンテーヌ公爵の姿、王家との決別を鮮明にした公爵子息シルヴェストル。その後の王家の転落ぶりは凄まじく、有能な宰相アルベール侯爵をもっても食い止められなかった。
領地を帝国や周囲の国々に食い荒らされて国が滅び、貴族はほぼすべて地位を奪われ追放される。王家を滅ぼしたことで、フォンテーヌ公爵家は元貴族の怒りを一身に浴びた。滅びの曲はまだ中盤、この後を知る者はほとんどいない。
最終章までしっかり記憶に残すのは、私くらいか。暗い表情で彼女は呟く。ランジェサン王国からスハノフ王国へ嫁いだ王女ルイーズは、憂鬱な気持ちで窓の外の景色を眺めた。雨の多い気候だからと諦めているが、今後死ぬまでこの国に縛り付けられるのも気が滅入る。
ぽたりと落ちる雨粒に、前回の記憶が鮮明によみがえった。
前回、フォンテーヌ公爵家は暗殺で当主を失った。跡取りの甥は大きな傷を負い、兄であるランジェサン国王アシルが引き取る。それがいけなかった。管理者の消えた土地は荒れ、末妹ディアナが愛したフォンテーヌ領が崩壊することを許せずに兄が動く。占領しランジェサンの領地としたのだ。
甥シルヴェストルを保護したため、保護者としての義務と感じたのか。すべてはこの侵攻から始まり、最悪の泥沼へと突入する。かつて小国があったジュベール王国の土地を飲み込んだ帝国、豊かなフォンテーヌ公爵領を手に入れたランジェサン王国。どちらも強国であり、その行動には理由があった。
周囲の国々はそう考えない。大陸の中央付近にある豊かな領地はまだ
カトラリー同士が触れればケンカになり、小国がいくつも滅んだ。比較的大きなこのスハノフ王国も例外ではない。止める王妃ルイーズの言葉を聞かず、夫は戦の旗を振った。いくつかの国を敵に回し、周囲をぐるりと包囲されてようやく目が覚める。
他者の熱に当てられただけ。正義も大義名分もない略奪行為のツケは、スハノフ王国への侵略となり返ってきた。そなたがきちんと止めなかったからだ、責任を擦り付け玉座の前で夫はこの胸を貫いた。その後は知らぬ。出来たらこの愚王に嫁ぐ前に記憶が戻ればよかったものを。
苦い思いを噛みしめながら、ルイーズは窓の外の鬱陶しい雨から目を逸らした。世界は前回と違う動きを見せている。ランジェサン国王の兄アシルは、まだ存命の義弟フォンテーヌ公爵クロードと手を組んだ。互いに為すべきことを理解した2人を繋ぐのは、愛らしく大切だった末妹ディアナ。
「そうね、ディアナ。私もすべきことを為しましょう」
このスハノフ王国が滅びぬよう、夫が余計な野心を持たぬよう。危険な芽なら早くに摘み取るのが吉、大切な庭を荒らされてから嘆いても遅いの。ぱちんと扇を閉じる音で侍女を呼ぶ。ランジェサンから連れてきた馴染みの侍女に、兄アシルへの手紙を記して託した。
手紙が届いたら、動くとしましょうか。
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