49.踏んだ者は痛みを知らぬ

 四大公爵家が何だというのか。王家を支えるのが役目であろう。大人しく娘を差し出し、のために女神の意思に沿うべきだ。


 女神はやり直せと言った。あの日の夜会は間違いで、その手前まで戻されたなら、正しい未来を紡ぐべきだ。アンドリュー王太子殿下へ公爵令嬢コンスタンティナは嫁ぎ、子を産んで人形さながら大人しく座っていればいい。それを思い上がった公爵家が離反したせいで、王都は廃墟同然だった。


 苛立ちながら、ティクシエ伯爵家のエドモンは机を叩く。豪華な調度品が並ぶ部屋は、埃が舞い上がった。侍女も侍従も執事すら、すべて逃げ出した。すべて公爵家の勝手な振る舞いのせいだ。


 前回の夜会は確かにが、やり直せば元通りに修復可能なのだ。それを身勝手に復讐を振りかざして動き回り、帝国による領土の分割を許した。挙句にヴォルテーヌ家は裏切って帝国の爵位を得るという。


「全くもって、不義理な輩ですな」


 同調する男を見下ろす。本来はこの屋敷に足を踏み入れる価値のある男ではないが、今回のような汚れ仕事は得意だろう。闇社会の者は金での契約を裏切らないと聞いた。ならば問題あるまい。


 かき集めた金貨が入った袋を、男の前に放り投げた。足元に落ちた袋を跪いて拾い、中を確認して立ち上がる。義足を引きずる男へ指示を記した紙を渡した。


「確実に処理しろ」


「かしこまりました、旦那様」


 にやりと笑った男の髭が不愉快だ。最低限の身嗜みも整えぬ無頼者め。腹立たしく思いながらも、怒鳴り散らすのは我慢した。


 あの日からわずか半月、もう結果は見え始めた。公爵領で内紛が起きていると聞いて口元を歪める。ざまぁみろ、足下に火がついた状態でどこまで持ち堪えられるかな?


 笑うエドモンは、街で拾った女に淹れさせた渋い紅茶を飲み干す。ぐっと喉が詰まった。咳き込んだ口元を手で押さえるが、こぼれ落ちる雫は止まらない。最初はお茶の色をしていた琥珀が、途中から赤く染まった。


「き、さま……っ」


「覚えていて? ルモワール子爵家の一人娘を、あなたは婚約して裏切り殺した」


 エドモンの脳裏に浮かんだのは、弄んだ子爵令嬢だ。彼女はあの夜会の少し前に開かれた別の夜会で、純潔を失った。それを理由にエドモンは彼女との婚約を破棄した。あの娘は自殺したはず。


「可愛い私の一人娘よ。腹を痛めて産み育て、美しく花開く蕾だった。それを散らした罪を思い知るがいいわ!」


 涙に濡れた顔は見覚えがある。あの日、酔って友人達と犯した子爵令嬢と目元がよく似て……そこで息絶えた。倒れた伯爵の首にナイフを突き立てる。狂ったように笑い、滂沱の涙を流しながら。


 前回は手の届かなかった復讐だ。伯爵家に逆らう子爵家を許す土壌はなかった。ましてや娘は傷物で捨てられたと広められ、ふしだらな娘が悪いと勘違いされる。ティクシエ伯爵は望んだ婚約者に裏切られたと同情を得た。どれだけ悔しかったか!


 ふらりと立ち上がった夫人は、何もなかったように身支度を整える。誰も使用人のいない伯爵家で汚れた服を着替え、飛び散った手足の血を洗い流した。ぐるりと家を見回し、玄関で振り返る。


「奥様、準備は出来ております」


「ご苦労様、では参りましょう」


 子爵夫人がそう告げた後、使用人の男は屋敷に火を放った。燃え上がる屋敷の火事を騒ぐ住人もなく、伯爵家がひとつ消えた。


 後に公爵家の騒乱を招いた主犯として、ティクシエ伯爵家の過去の功績は歴史から抹消され、その資産は難民のために施されることとなった。

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