14.償う機会すら与えてくださらない
王宮の使用人が逃げ出した。その噂を聞いたのは、神殿でお勤めを終えた午後のことだった。午前中は祈りを捧げ、主神であられる女神様に平和と安寧を願う。昼食は粗末な軽食、神殿は孤児院を兼ねているが贅沢は厳禁だ。生きていけるだけの糧に感謝し、薄いスープを飲み固いパンを噛んだ。
清貧を旨とし、正しく生きる。神官としてそう有りたいと願い、己の生き様を問うてきた。女神様の像を見上げ、美しく慈悲深い眼差しに気持ちを安らげる。神殿での奉仕と祈りの日々は、僕に合っていた。
午後になれば、神殿への寄進や祈りに訪れる人々が増える。食後すぐに机や椅子を磨いた。毎日決まったやり取り、何も変わらない。穏やかな午後の静寂を破ったのは、整った顔を悲痛に歪めたご夫人だった。
「この神殿の神官に、ロジェ様はおられますか?」
まだ名も知られていない見習い神官の僕を名指しで訪ねてくるのは、家族くらいだ。びっくりして、無言になった。だがすぐに気を取り直して向き直る。
「僕ですが、どうなさいました?」
一度も見かけたことがない、品のいい貴族女性だ。知り合いではないし、訪ねてくる理由が思い当たらなかった。
「女神様の温情を、あなたは受けておられないのですね」
僕の様子を確認しながら、ご夫人は悲しそうに目を伏せた。それから語られた内容に愕然とする。事実だと前置きされた話は、今から5年後に起きるらしい。浮気した王太子殿下により殺された婚約者、その弔いを神殿が拒否した。その時の神官が僕だった、と。
「女神様は、あの場にいた王侯貴族にやり直しを命じられました。気になっていたのです、あなた様はあの場にいなかったから……何も知らないのでしょう?」
「は、い……」
未来の話をされて、そうですかと納得できない。だが目の前のご夫人の話は真実味があった。作り話とは思えない。彼女は己の身分を明かした。神殿に多くの寄進をする熱心な信者、オーベルニ男爵夫人。男爵夫人は夫を亡くしてから、王宮の侍女として働いてきた。
「私はあの日の夜会で、フォンテーヌ公爵令嬢が殺されるのを見ました。ご令嬢は冤罪でした。女神様の御名に誓って、嘘は申しません」
涙で潤んだ目も、震える唇も、興奮に色づいた肌の様子も、嘘を感じさせる部分はなかった。しっかりと辻褄のあった話――ひとまず男爵夫人にお引き取り願い、感情を整理する。
フォンテーヌ公爵家は神殿をいくつも建てた、女神様の熱心な信者だ。もっとも豊かな領地を持ち、公平な政には定評があった。公爵家のご令嬢が王太子殿下の婚約者になるのは、政略結婚の流れとして理解できる。だが、そのお相手の首を、冤罪なのに人前で刎ねた? 裁判もなかったという、恐ろしい話に身を震わせた。
「あのロジェ神官にお会いしたいのですが」
若い男性が訪ねてくる。どこかの貴族家に仕える侍従といった雰囲気で、落ち着いた物腰と口調で一礼する。反射的に頭を下げたロジェは、彼に椅子を勧めた。
「あなた様が5年後に行う決断について、私は知っています」
顔色が変わる。青ざめていく僕を見て、青年は溜め息を吐いた。
「誰かにお聞きになったのですね」
「事実、なのですか」
「はい。あなたは冤罪で首を刎ねられたご令嬢への祈祷を、拒絶なさいました」
ひやりとした。首に刃を突きつけられた気がする。青年の後に訪れた王宮の侍女だった女性も、その次に訪れた伯爵家のご子息も、同じ話をした。
僕は……女神様の
……それが答えか。僕は神官に相応しくない。女神様の像の前に跪いた。美しい微笑みからは何も感じ取れず、絶望に身を浸しながら平伏すのみ。
夜の礼拝前に、神殿の裏で一人の神官が命を絶った。
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