12.前回の教訓が生きている

 夢のように残る前回の記憶に慌てて咽せた王太子アンドリューは、侍従に渡された水を飲んで一息ついた。前回の失敗の原因はわかっている。


 コンスタンティナと婚約していたことだ。つまり現時点で婚約を破棄すれば、俺は殺されない。婚約者にあの女が居座っていたから、浮気だなんだと責められたのだ。婚約していなければ、誰と結婚しても咎められる理由はなかった。


「まずは……婚約をするところからだ」


 ここに前回の教訓が生きている。破棄は相手に瑕疵がある場合に一方的に契約を解除するものだから、今の時点でコンスタンティナに適用できない。俺との婚約を穏便に解消すれば、彼女も新しい男を見つけるだろう。互いに損はない取引だ。


 王家に金がないことは知っているが、あれは5年後の未来の話だった。それまでに税率を上げて徴収額を増やせば問題はない。潤沢な資金は足下に眠っているのだから。口角を上げて笑った王太子に、侍従は何も言わずに頭を下げて部屋を出た。


 前回の主君の器を改めて確認した侍従は、その足で執事の元へ向かった。辞職願を渡し、尋ねられるままに王太子の様子を報告する。男爵家の四男として生まれた侍従は、執事に拾ってもらった。王族に仕える立派な執事の下で、いずれは王宮の上級使用人として地位を得られるよう努力した。


 結果は前回の夜会で示された。正直失望している。あの程度の王太子では、また同じ結果になる。同僚はすでに逃げ出した。沈む船にいつまでも乗っていたら、降りられなくなるだろう。説明して頭を下げる。前回と今回を含め、取り立ててもらった恩を返せないことを詫びた。


 執事は溜め息をついて了承し、辞職願を受け取る。


「あなたは逃げないのですか?」


「沈む船ですが、人生のほとんどを捧げた船です。沈むなら船長としてお供するのが、私の美学ですから」


 美学に殉ずるなど、女神様のお告げを無にする行為では? 問いたい言葉を呑み込み、侍従は震える声で返した。


「ご立派です。ですが、私も恩人を船ごと沈める気はありません。必ず小舟で助けに向かうでしょう」


「気持ちだけ受け取ります。ありがとう、元気で。次は良い主君に会えるように」


 話しながらさらさらと記入した紹介状を握らせ、執事は孫のように育てた侍従を送り出した。厳しく教育した彼なら、新しい就職先もすぐ見つかるだろう。主家さえまともなら、執事の跡取りに望むほど有能な男だった。


 ちりん、呼び出しのベルが鳴り、王妃からの手紙を預かる。受け取り先はフォンテーヌ公爵家で、2通の片方はコンスタンティナ嬢だった。


 無表情と陰口を叩かれる令嬢だが、お茶を出す侍女や案内する執事にお礼を言い頭を下げる、礼儀正しい方だ。おそらく受け取らないだろう。いや、彼女の手元まで届かない。フォンテーヌ公爵閣下と若君が排除する。わかっていても届ける手配をするのが執事の仕事だった。


 憂鬱な気持ちで使者に配達を指示し、日常業務に戻る。少ない予算をどう振り分け、城内の経費を賄うか。皮肉なことに、高級取りの上級使用人が大量に辞職したことで、資金は余裕ができた。今のうちに、少しでも余剰金を作らなくては。帳簿を二冊並べ、執事は工作に取り掛かった。

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