第11話 かつての侍女との再会

「隠していて、未練がましく泣いたりして、申し訳ありませんでした」

 雹華は目を伏せた。

「出会ったばかりの旦那様に、こんなことをお話ししても、私の立場では信じていただけないと……」

「う、そりゃ、まあ」


 実際、たった今、「今度こそ侍女を殺そうとしているのか」などと言い放ってしまった銘軒である。

『春燕の方から雹華を呼び出した』という事実と、雹華の話が噛み合ってようやく、彼も二人の絆だけはひとまず信じられるようになった。


「未練があるのは、春燕を残してきたことに対して、だったのか」

 てっきり皇帝(つまり元旦那)に未練があるのだと思っていた銘軒が、少々歯切れ悪く言うと、雹華はおずおずとうなずいた。

「はい。結婚が嫌で後宮に来たのに、春燕は妃になってしまった上、命を狙われ私もいなくなって、辛い思いをしてはいないかと心配で。曲を主上にお聞かせしたいというのも、本当は、主上のそばにいるはずの春燕の方に聞かせたかったからなのです。励ましたくて」


 雹華は一度深呼吸すると、背筋を伸ばした。

「春……いえ、房妃様は気づいて、今夜、私を呼んで下さいました。旦那様、どうか私を信じて、後宮に行くことをお許し下さい」


 銘軒は唸って頭をかいたが、結局言った。

「……信じざるをえないだろう。房妃様の方があんたをお呼びなんだ」

「ありがとうございま」

「ただし」

 彼は立ち上がり、雹華は瞬いて彼を見上げる。

「ただし……?」

「俺も行く」

 銘軒は言った。

「今夜、瑞雲宮の警備につく」


 えっ、と雹華が目を見開く。

「できるのですか?」

「配置を変えるくらい、何ということはない。ただし、あんたが怪しい動きをしたら即座に捕らえるぞ」

 凄んだつもりの銘軒だったが、雹華は瞳を輝かせた。

「旦那様が一緒にいて下さるなんて、心強いです!」

「あんたが何かやらかしたらブッ刺すぞっつってんだが!?」

 宮城衛士とは思えない言葉遣いで銘軒が言っても、雹華はにこにこしている。

「私はやらかしませんし、旦那様がおいでの場所なら房妃様もますます安全です。よろしくお願いいたします!」


 心から彼を信頼している様子の彼女に、銘軒は(参ったな……)と思いながら口ごもるしかなかった。



 朱塗りの扉、金色の鋲。

 西日に照らされた門に、雹華は緊張しながら近づいた。

(ここから追放されて、旦那様に迎えられて。また、戻ってきた)

 今は鮮やかな色の襦裙を身にまとい、妓女らしい化粧をし、楽人『花琳』になっている。知っている者が見ても、雹華とはわからないだろう。


 料亭を出た後、銘軒はすぐに登城していった。配置替えの手続きをし、今頃は瑞雲宮の警備についているはずである。


 月琴の入った包みを抱え直すと、雹華は門卒もんばんに声をかけた。

「房妃様のお求めにより、参りました。楽人の花琳と申します」

「聞いている。こちらへ」

 門卒はあっさりと、門扉を引き開けた。

 雹華は中に、足を踏み入れる。

 扉の内側にいた衛士が、雹華の荷物を改めた。そして、「ついてくるように」と歩き出した。


 入ってすぐが、宦官たちのいる内侍省だ。

 建物をぐるりと北側に回り込むと、視界が広がった。池のほとりに果樹がまばらに生え、その中にこぢんまりとした宮がある。

 瑞雲宮だ。


(旦那様は、どこにいらっしゃるんだろう……)

 雹華はちらりと視線を走らせてみたものの、銘軒の居所はわからない。

(でも、どこかにはいらっしゃる。大丈夫)


 ようやく、宮にたどりついた。小さな門の前で宦官が待っている。

(あっ。あの人は)

 表情が動かないように気をつけながら、雹華は目を伏せて礼をとった。

 雹華が『朱壁妃』だった頃の、彼女付きの宦官だったのだ。バレるのではないかと、背中がぞわりとする。

 しかし宦官は、雹華をじろりと見ただけで、

「房妃様がお待ちだ。奥へ」

 と先に立った。


 宦官の後に続いて、雹華は廊下を進んでいった。すでに灯籠には灯りが点され、赤い壁や柱を照らしている。

 池を望む露台のある部屋にたどり着くと、宦官が入り口で礼をとる。

「楽人の花琳が参りました」

 やや低めの、中性的な声が答える。

「あなたは下がっていて」

「はい」

 宦官は後ずさり、雹華に中へ入るように身振りで促すと、廊下を去っていった。


 雹華は、中に入った。


 一人の女性が、椅子から立ち上がる。

 ほっそりとして背が高く、中性的な美貌。最近流行の胡服は深い青で、青年めいて見える。


 彼女は、楽人姿の雹華をじっと見つめ、抑えた震え声で呼びかけた。

「雹華様……?」


「春燕!」

 房妃──春燕に、雹華は駆け寄った。

 迎えた春燕は、左腕に月琴を抱えた雹華の右手を両手で包むように握りしめる。

「雹華様っ……やっぱり、あの曲!」

「そうよ、よく気づいてくれたわ」

「お呼び立てしていいものか迷ったのですが、でも、あれから一度もお話できないままなんてどうしても、私」

 宦官に聞こえないように密やかな声でいいながら、春燕は涙ぐむ。雹華もささやいた。

「私も会いたかったから、呼んでくれて嬉しいわ。春……あ、房妃様」

「どうかこれまで通り、春燕とお呼び下さい」

「そう……そうね。大丈夫? 元気で過ごしている?」

「私は大丈夫です。雹華様は? 衛尉寺少卿殿とめあわされたと聞きましたが」

「大丈夫、よくして頂いてるわ。鈴玉も元気よ」


 二人は互いをいたわり合い、ようやくながいすに並んで腰かける。


「主上には再三、雹華様は無実だと申し上げたんです。それなのに追放だなんて」

「いいえ、追放だけで済んでよかったのよ。ありがとう春燕、あなたは男性が苦手なのに、主上に訴えてくれて。……待って、月琴を弾かないと、怪しまれてしまうわね」

 雹華は月琴を取り出した。

「緊張して、うまく弾けないかも……」

 少し照れくさそうに雹華が微笑むと、春燕も笑みを返す。

「こんな状況ですものね。でも、お聞かせ下さい」

「ええ」

 雹華は何度か深呼吸し、自分を落ち着けると、ばちを構えた。

 弾き慣れた『鵬程万里』をつまびきながら、自分が曖昧な態度をとった理由を春燕に打ち明ける。

「後宮に私を置いて下さっていた主上だから、疑いだけで私を処刑なさることはないだろうと……恐れ多くも利用したような形になってしまって、申し訳なく思っているわ」


 すると、春燕は言った。

「実は、主上と、雹華様のお話をたくさんしました」

(私の話……?)

 弾きながら視線で尋ねると、春燕は続ける。

「皇太后様がお亡くなりになってから、後宮の妃たちにはずいぶん優しくしてもらったと。中でも、雹華様は商家の暮らしや庶民の遊びを教えてくれて、会いに行くのがいつも楽しみだったとおっしゃっていました。姉のようなものだと」

 春燕は、ふふ、と笑う。

「だから私も、幼い頃、雹華様と遊んだ話をしました。そうしたら主上が、『そなたも余も、朱壁妃を姉のように慕っていたということだな』と笑って下さって」


(あら……?)

 雹華は思わず手を止め、春燕を見つめた。

「春燕。私、あなたが妃にさせられて、辛い思いをしているのではと心配していたの、だけれど……もしかして」

「は、はい」

 春燕は、ぽっ、と頬を染める。

「最初は本当に、妃なんて嫌、どうしようと……でも、雹華様の無実をお伝えしなくてはと、主上にお会いして必死でお話ししているうちに、嫌だと思う気持ちが消えていって」


(まあ)

 雹華は少々、呆然とした。

(私の追放がきっかけで、春燕は主上と向き合う決心をし、そして私の話で意気投合した……?)


 何がどう転ぶか、わからないものである。


「驚いた……でも、ああ、よかった。よかったわ」

「はい。私、子どもの頃から男の子のようだと言われて男の子にいじめられてきましたけれど、主上のような優しい方もいらっしゃるんですね」

 照れながらも、春燕は続ける。

「これからも、命を狙われることがあるかもしれません。恐ろしいけれど、覚悟を決めます」


 雹華はただ微笑み、そして別の曲を奏で始めた。

 馨馨が弾いていたのと同じ、男女の永遠の愛の曲を。


(主上も、春燕を守って下さる。……これで、毒を入れた犯人さえわかれば、さし当たっての心配事はなくなるのに)

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