冬熊(4)
次の日、事の顛末をほこらに話した。
あれがどういったものなのか、僕はもう怪奇現象に巻き込まれてしまっているのか。
その手の問題はやはり、ほこら頼りになってしまう。
僕は昨日のことを詳細に話した。ほこらは椅子にふんぞり返ってしばらく考えごとをして、カバンの中から飴を取り出すとおもむろにそれを口に含んだ。
そして一瞬で噛み砕くと僕に言った。
「恐らくですけど、先輩は怪奇現象にはまだ巻き込まれていないと思いますよ」
「本当か……良かった……」
「ええ、本当に。ていうか山に行かない方がいいって言いましたよねわたし」
「いや、僕だって無意識で」
「それは先輩が気を抜きすぎなんです。抗おうと思えばいくらでも抗えたはずですよ。なんかホームの端の方に立ってたらやってくる電車に体が引き寄せられるとか……その程度のことです」
「そんなこと言われても……」
実際、山の近くに来た時点で帰ることは出来た。戸橋がいたのはともかくとして、確かに気を抜いていたところはあるのでいつものように反論を続けられない。
「――とりあえず今の認識だけ言っておきますけど、夏頃あの山には偽物とはいえ神様が生まれかけました」
「お前のせいでな」
「そこはいまは置いておいてと、神様ってのはそれがたとえ紛いものでもまあ〜厄介な代物なんですよ。あ、先輩は黙っててもらって結構ですよ。なにを言いたいかはわかっているんで。でまあ結局あの時の神様もどきは消えちゃったわけなんですけど、その力はあの山という土地そのものに残っちゃったわけですね」
つまり、あれはまだ怪奇現象と呼べる代物ではないんですよ――と、ほこら。
そこで僕は、一つ言い忘れていた事があったのを思い出した。
「そういえばほこら、言い忘れてたんだが、その黒い影みたいなの、僕が帰る瞬間に動いたんだ。ずっと直立して石像みたいに動かなかったのが、太い手を地面につけて四足歩行みたいに。そこからは見ていないけど……」
「なんですかそれ、ああ、でもそうですね。わたしも現場にいたわけではないですからあくまで推論ですけど、先輩のみたそれは思ったより怪奇現象に近いものなのかもしれません」
「どういうことだ?」
「先輩が見たものを残滓と呼びましょう。これぐらいなら大丈夫なはずです」
気になる一言を言って、ほこらは話を続ける。
「残滓は言うなれば力の塊です。それでも一度は神様だったそれはある程度の力がある。けれど、それだけでは怪奇現象足りえません。怪奇現象にはそれなりの理屈がつきます。もちろん、現実に即したものではありませんが、特有の理屈は必ずあります。分かりやすく言い換えると、正体とも言えますね」
「つまりその残滓には正体がないから怪奇現象ではない。逆に正体があるとそれは怪奇現象になる。なるほど、そういう事か……」
「先輩も理解が早くなりましたねえ」
あまり嬉しくない感心だ。
でも確かにわかってきた。
ただの残滓はもっと本来はもっと形ともいえないものだったのかもしれない。それをたまたま戸橋の言う誰かが見た。波長があってしまったのか、不安定が故に誰にでも見えてしまうのかはわからないが、目撃した一人がそれを熊だと言った。
だからそれは熊のような形をとった。
そして昨日、僕があれを認識した上で熊だと言ったからさらに近寄った。
「とりわけ、残滓の元になったものと関わった先輩の認識は強く反映されるでしょうね。だから今回は、残滓が消え去るまでの期間先輩はもうあの山には近づかない。それでOKです」
「……でも、戸橋がまた面白がっていくかもれないぞ」
とここまで言って、そのままほこらと同じ回答を口から出す。大丈夫だろう、と。
怪奇を認識することがなく、認識されることもない零感の男 戸橋也治。
怪奇現象に巻き込まれることはなく、それと同時に対処も出来ない。まあ、する必要もないんだろうが。
「羨ましいもんだよ、零感なんて。僕もそうだったら厄介な神様に目をつけられることもなかったんだろうな」
僕の軽口を無視して、ほこらは部室にいつの間にか持ち込んでいた電気ポットでお茶を注いで自分と僕の前に置いた。
お礼を言ってお茶をすする。美味い。
「……で、先輩クリスマスなんですが〜」
「ああ、神奈ちゃんと3人で食事会な。神奈ちゃんと3人でな。ああ、3人でご飯を食べるんだったな。いやあ、楽しみだ」
「なんですかその余計なものを見るような目は。は? させませんからね。というか先輩、なんならわたしが神奈ちゃんの同席をなんの邪魔をせず許してることに大して感謝して欲しいですね! 知ってますよね? 私がやろうと思えばどんな手段を使ってでも先輩と二人きりのクリスマスにできることが……!」
「シャレになってないんだよ!」
「シャレじゃないんですよ!」
これ以上なにかを口にすると昨日のようにまた目も当てられない状況になる。だから僕は浮き上がった腰を椅子に下ろした。
それに合わせてほこらも座りなおす。なんだか妙な時間だった。
「……それにしても先輩、変わりましたよね」
「なんだよ急に」
「だって出会った頃はしてくれなかったじゃないですか。こういういがみ合うことがお互いにとって居心地のいいコミニケーション、みたいなやつ」
「おい、やめろ。やり取りの裏をほじくるな。大体僕は茶番で言ってるわけじゃないぞ……」
「わたしもですよ」
「知ってる」
よく知っている。
3月に僕はこいつに取り憑かれ、地獄のような日々が始まったのだと思った。けれどそこからもう半年が過ぎて、一年が近づいて来ている。
それぐらいの時間が経てば、二人の関係性がどれだけ歪なものであっても、変わってくるものもある。僕も、もちろんほこらも。
僕はただ慣れてしまっただけなのかもしれないが、ほこらは最近友人と出かけることも増えてきた。人間の姿をとっただけの
「ま、わたしは寛大ですからね。それに神奈ちゃんと先輩が付き合おうが結婚しようがそれとも先輩が他の誰かとそうなろうが結局最後はわたしが全部貰うんですから……これぐらいは構いませんよ」
と、3月からずっと見てきた温度のない笑顔でほこらは笑う。
この顔も、ずいぶんと見慣れたものになってしまった。
「じゃあそうなった暁には……そうだな……。お前の前で死ぬほどイチャついてやる」
「ンガ?! ……いや、先輩はそんなこと出来ないでしょ。わたし知ってますから。先輩の面倒くささとか諸々ね!」
そしてまた女子高生のような顔に戻る。最近、ふと気になることがある。
月垨ほこらという現象は、どこに行き着くのだろうかと。
「ちょっといいですか」
いきなり部室の扉が開いた。そこには眼鏡をかけたスーツ姿の女性……国語の尾崎先生が立っていた。僕とは関わりがないのでよく知らない。
見ると先生の瞳はバッチリとほこらを捉えていた。
「月垨さん、阿部さんが授業に読んでいた漫画、あなたから借りたそうですね。とりあえず話があるので職員室に来て頂けますか」
なにしてんだコイツ。
「え、たしかに貸しましたけど私関係ないですよね?!」
「あなたのものなのであなたに返却しようと思います。さあ、早く」
「ええ、いや先生……。……わ、わかりました……」
尾崎先生の眼光に、速攻で折れるほこら。神様が女教師にビビるという光景は世にも珍しい。
教室を出ていく二人に合わせて、僕もカバンを持って外へ出る。
「職員室に行くので鍵はついでに私が返しておきます」
「あ、ありがとうございます」
尾崎先生と始めて喋った気がする。
「あ、ちょ、先輩、待っててくださいね?! すぐ追いつきますからね?! 一緒に帰りましょうね?! なんでこっちを向いてすらくれないんですか?! 先輩? せん、せんぱーーーい!」
楽しそうでなによりだ。さあ、帰ろう。
当然待つつもりはなく、そそくさと靴を履き替えて校門に向かう。するとそこにはなにやら困った様子の戸橋がいた。
忙しなくウロウロしながら頭をかいて、僕に気がつくと声をかけながら寄ってきた。
「あ、比木間! ちょうど良かった! 悪い、頼みがあるんだ!」
と、手を合わせて珍しく低姿勢な戸橋。
「なんだよ。変なことじゃないならな」
「変ではないんだけどさ……。昨日、山行ったじゃん? そこでちょっとボールペン落としちまってさ……。いや、多分あの山だと思うんだ。どこ探してもなかったから」
珍しく狼狽えている戸橋。というかボールペンの一つや二つ買えばいいのに。なにか事情でもあるんだろうか。
踏み込むべきか踏み込まないべきか悩んでいたところ、驚きの言葉が戸橋の口から放たれた。
「この間彼女に貰ったやつなんだけどよ……。当たり前みたいにあると思って確認してなくて帰る時に気がついてそれで……」
……なるほど。いたのか。彼女。まあ、いてもおかしくはないが。そうか、いたのか。知らなかった。教えてくれなかったしな。聞かなかったし。
「あの山かもしれねえんだけど……。ほら、お前熊いるって行ってたじゃん? だから一応一人はあぶねえかなあって思って……」
なるほど。物は大事にしないがそういうところは以外としっかりしているらしい。というか、彼女いたのか。
――あの山にいまいるのは正確には熊ではないし、なにが安全かと言われると戸橋一人で行ってもらう方が一番安全なのだが……。
「頼む! 付き合って一年記念で贈りあったやつなんだよ!」
こいつが僕にここまで頼み事をするのは珍しい。危なくない範囲で付き合ってやるか……あと一年前からいたのか。
結果的に、戸橋の無くしたボールペンは山に入る手前に落ちていた。茂みの中にあって分かりにくかったのか誰にも拾われていない。少し土がついているが、この程度なら拭けばなんとかなるだろう。
恐らく、僕が来る前、戸橋が子供と遊んでいる時に落ちたのだろう。
ボールペンが見つかると戸橋は僕に何度かお礼を言って、急ぎの用事があるらしくそのまま帰って行った。
「幼稚園に弟迎えに行かなきゃなんねえんだ! じゃあな! 気をつけて帰れよ!」
「弟もいたのか」
しかも結構歳の離れた。
――というわけで、僕は一人になった。この後僕がどのような愚かな行いをしたかは、大体予想がつくだろう。
数多の怪奇現象に遭遇し、慣れていた。舐めていた。あれだけ恐怖と嫌悪を感じていたほこらと、まるでただの学校の友人のようにやり取りをするようになった。
そして言い訳ながら、山が近くに来た僕を引き寄せていた面もあったと思う。さすがに思いたい。
なんにせよ、僕は山へ向かった。
入らなければ何事も起きないはずの山へ。ほこらから忠告されていたにも関わらずだ。
もう少し正体を見極めてやろう――。
僕の頭にあったのは、そんな小さな考えだった。
なにかあれば直ぐに逃げようと思っていたし、それが出来ると確信していた。
山の入口の坂を登る。昨日見た残滓のいた場所は、ただの山の景色が広がっていた。
もうあれは消えてしまったのだろうか。そんなふうに思って歩みを進めた。
しばらく歩くと、坂道が終わり、しばらくの直線道になる。
倒れた木の影響もあってそこからの景色は僕には見えなかった。
坂道を登り終えた瞬間、目の前にそれはいた。
昨日見たものより、二回りほど巨大な黒い影。長い手足はハッキリと形を保っており、体に見える薄い線は蛇のウロコのように思えた。
僕が体を反転させ逃げるより先に、それが僕に気がついた。
そいつは足を使わずに、ゆったりと左右に体を揺らし、這うように僕に近づいてくる。
これまでの経験からわかった。それは、残滓からなにかに変貌してしまったそれは明確に、僕に敵意を向けていた。
僕はここに来て自分の間違いを痛感した。
ただ、本当にただ軽い気持ちで足を踏み入れた。その時点でもう手遅れだったのだ。
僕は今日、ほこらからこの残滓についての考察を聞いた。それがしっかり頭の中にある上で、僕は来てしまった。
『とりわけ、残滓の元になったものと関わった先輩の認識は強く反映されるでしょうね』
僕が山に入った瞬間、コイツは僕を認識し頭の中にあるものを反映した。
熊のようで、あの時生まれかけた神様が元になった土地に根付いたなにか。
ただの噂だった冬の熊という眉唾に、僕はよりにもよって正体を与えてしまったのだ――。
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