冬熊(3)

「……いるみたいですよ。冬眠しないクマ」


 結局、部室に連行された僕は、なにをするでもなくただ騒がしいほこらをそれとなくいなしながら、さっきまで戸橋としていた話をすることにした。

 するとほこらは、いつの間に変えていたのかは知らないが、最新の携帯電話でスラスラと調べ、その事実を僕に教えた。


「なんだ……じゃあやっぱり、ただの熊か」


 それはそれで怖いが。まあやっぱり噂話なんてものは宛にならない。

 まあ、何もなく終わるのならそれで良かったんだが……。


「危なくないか?」

「知ったこっちゃありませんよ」


 僕の思ったより、あの西の山には人は立ち入っているようだ。そんな山にまさか冬眠しないタイプの熊がいると、誰が思うだろうか。

 ……というか、いるのか。冬眠しない熊。

 と、ほこらが携帯電話の画面を見せてくる。そこには冬場での熊の目撃情報が数件寄せられていた。


「何かあるにせよ、ほら、役場とかの仕事じゃないです?」


 と、物凄くまともなことを言って、ほこらはこの話を締めくくった。

 そしてしばらく思案したあと、ただまあ――と付け加えて言う。


「先輩の場合、怪奇現象っぽい話ってだけで、実際予期せぬなにかが降りかかりそうなんですけどねえ。ほら、道歩いただけで怪奇現象巻き込まれたりもしてますし」

「誰のせいだと思ってる?」

「あははは」


 笑ってんじゃない。

 まあただでさえ、あの山はそれこそほこらのせいで騒ぎがあった。それに引き寄せられて別の何かがいつ起きても不思議じゃない。


「なんにせよ、先輩は山には近づかないほうがいいですね」

「言われなくても近づくかよ……」


 行くたびにとんでもない目にあってるんだ。頼まれたって行きたくない。


「――で、先輩来週のクリスマスのことなんですけど」

「またその話か……」


 ほぼ隙間がないぐらい近づいてきたほこらの顔を手で押し返す。昨日も一昨日もこの話だった。僕がなにをしたって言うんだ……。


「むー! そんなつれないこと言わないで下さいよ! 今日だって戸橋さんよりわたしのことを優先してくれじゃないですか!」

「なんだその都合のいい解釈」


 普通に帰るつもりだったわ。

 そこにお前が来て無理矢理僕のことをここまで引っ張ってきたんだ。


「……というかお前いまさらだけど、日本の神様だろ? クリスマスとか祝っていいのか?」

「信仰ちゃんこ鍋国の神様だから信仰ちゃんこ鍋でいいんですよ。というかこの国のクリスマスに信仰心なんて元々ないじゃないですか」

「まあそうなんだが……」


 お前が言うなというか……言っていいのか?


「カップルが一線を超える日!」

「口を慎め馬鹿」

「あ、せっかくだから一線超えます?」

「シンプルに慎め!」

「いやだって神奈ちゃんに先越されたらさすがに悔しいじゃないですかぁー!」

「ばっ――?! おまえっ………ばっ?!」

「え、反応きも……」


 ――ここから先のあまりにも見てられないやり取りは割愛して、ざっくりとだけ。

 明日も明後日もクリスマスの話をしたくない僕はあの手この手で、いつも以上に抵抗。それに火がついたほこらもあの手この手で、時には物理的な討論を交わし、下校のチャイムが鳴り響き、教師に無理矢理追い出されたりしながらも、一応の決着はついた。

 僕の勝ちか負けかはよくわからないが、クリスマスはほこらの家で、ぼくとほこらと神奈ちゃんの三人で飯を食うことになった。

 素直に楽しみとは言いづらいが、楽しみではないか? と聞かれれば僕は首を横に振るだろう。

 まあそれもこれも、全てがパーになることをこの時の僕はまだ知らない。


「じゃ、先輩! 心苦しいですがまた明日! 電話してくださいね!」

「しない」


 さよなら代わりのやり取りを終えて、僕は一人帰路に着く。

 最近、こういうこともあるようになった。こういうと、というのはほこらが別の用事でいなくなり、帰り道は僕一人ということだ。

 初めの頃は無理矢理にでも僕といる時間を増やそうと着いてきていたものだが、まあ、それは多分いい事だ。もちろん、僕にとって。


 そして、それ以上のなにかを思うでもなく、いつもなら淡々と家に帰り、腹に適当に食べ物を放り込んで眠るだけ。

 会話の相手もいないまま、黙って道を歩く。

 いつも通りの道を歩いているかだなんて、一々意識しない。している人間なんていないだろう。

 体が覚えている方向へ進めば、学校から家に帰れる。

 けれど、この日はそうならなかった。

 ふと気がついた時には、全く身に覚えのない景色が目の前に広がっていた。

 足を止めて、周りを見渡す。それが西の山だと気がつくのにしばらく。そしてそこが、あの例の神様が生まれかけた山だと――そして、今日戸橋が話していた山だと気がつくのにしばらく。


「…………なんでだ?」


 全くの無意識。ただなにも考えず歩いていたらここに来てしまった。真逆――かどうかはよくわからないが、少なくとも僕の家に帰る道ではどう頑張っても、ここに繋がりはしないはずだ。

 もしかして、もう始まってしまっているのだろうか……あんなやつの噂話を聞いた程度で……。

 そんな僕の不安を一時的に吹き飛ばしたのは、「おーい!」というあまりにも脳天気な声だった。


「よう、比木間」


 そう言って手を振って駆け寄ってくるのは、戸橋だった。

 こいつの家がどこにあるのか、僕はよく知らないが、少なくとも電車には乗るはずだ。そして駅はそれこそここの真逆だ。


「いやあ、ほら、さっき話した熊の話あんじゃん? あれがどうしても気になって来てみたらさあ、なんか小学生ズに捕まってよお、今の今まで遊んでたんだよ」


 こちらがなにも聞かなくても一から十まで説明してくれる、便利な男こと戸橋也治。常にそうあって欲しい。

 戸橋の後ろを見ると、手を振っている何人かの小さな人影が目に入った。まじかお前。


「まじかお前」


 こんな高校生が現代にいていいのだろうか。

 けれどそんな現状について一切気にする素振りもなく、戸橋は勝手に話を続ける。


「てなわけで行こうぜ! お前も気になったから来たんだろ!」


 なにが? と聞き返す必要はない。彼の視線は真っ直ぐと山に注がれている。


「いや、来たっていうか……」


 もう既に巻き込まれているのか、はたまたまだ僕は引き返せる位置にいるのか。


 家に帰るつもりが、気がついたらこの場所にいた。

 それが偶然でないことだけは間違いない。きっとあの山には、冬眠をしていない熊はいない。もっと別の――。

 このまま戸橋を引きずって帰れば、今回の話はこれで終わるのだろうか。

 正直に言おう。この時僕の中には、このまま山にいかなければいといったような強迫観念は存在しなかった。

 春にほこらと出会ってからずっと、様々な怪奇現象に巻き込まれ続けて、その危険性を誰よりも理解していながら、きっと心のどこかで舐めてしまっていたのだろう。悪い意味で、慣れていたのだ。


「……本当に熊だったら危ないからな。ほんの少しだけだ」

「おうよ!」


 意気揚々と、戸橋は山の中に入っていく。仕方なく、僕もそれに続いて山に入っていく。

 落ちた枝を踏みつけながら、ほんの数歩、そこで僕の足は止まった。


「――? おい、なにしてんだ。行くぞ」


 不思議そうに、僕の方を振り向いて、また歩いていこうとする戸橋を僕は大声で止める。


「待て!!」

「な、なんだよ」


 大声を出した僕に対して、戸橋は訝しげだ。そこで僕は確信した。見えていないのだ。戸橋にはあれが、見えていない。

 熊――ではない。黒い影。2メートルほどの身の丈は、確かに熊そっくりではあった。

 それはまるで置物のように佇んでいる。そしてどう見てもまともな存在ではなかった。


「戸橋、帰ろう。今すぐに、帰ろう」

「え、いたのか? 熊がいたのか? どこ? どこに?」


 ゆっくりと唾を飲み込む。冷や汗を流している僕と違って、戸橋は楽観的だ。なぜならこいつには見えていないのだから。

 冷静に考える。僕はもう巻き込まれているのだろうか、それともまだ引き返せるのだろうか。

 確か戸橋の話だと、熊らしきものを遠目で目撃した誰かがいた。そしてその熊らしきものの正体はアレだろう。


「熊だ。熊だよ戸橋。遠くの方にそれっぽい影が見えたんだ。もう満足だろ。これ以上は危ない」

「……あー、マジかよ。全然見えねえ。ホントならガキ共にこの山に近づかねえように言わねえとなあ」


 口笛を吹きながら背を向け山を降りていく戸橋。

 僕は黒い影から目を背けず、ゆっくり後ずさりをしながら戸橋の後を追う。

「ビビりすぎだろお前」という戸橋の声が背中越しに聞こえた。そして視界の奥で、真っ直ぐに立っていた黒い影がゆっくりと四つん這いになっていくのを見た。

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