感情逃避(6)

「……よしっ、あのー、神奈ちゃん。ちょっと中、いいかな」

「え、出雲さん?! ちょ、ちょっと待ってくださいね」


 バタバタと音がする。片付けでもしているのだろうか。

 なにかと正反対な二人だ。整理整頓がかなりされていたほこらの部屋と違って、もしかすると結構散らかっているのかもしれない。

 そのほこらといえば、開けっ放された扉の中で、口と腹を抑えて転げ回っている。


「そんなに我慢するぐらいならもういっそ爆笑しろよ……」


 そんなに僕が慌てたのが面白かったのか。いやまあ、あれは僕が悪い……のか?

 いやでもほこらの言い方も悪い。というかそもそも、僕がめちゃくちゃ神奈ちゃんのことを意識しているみたいで恥ずかしい。


 ひとまず勘違いは置いておいて、僕のこれからやるべき事は、神奈ちゃんを眠らせることらしい。

 そしてその後僕も眠ることで、"道"が出来た状態でもう一度あの神様の世界とやらに入ることが出来るとのことだ。

 なんだかよくわからないが、まあその辺はほこらがやるというのだから任せればいい。


 ほこらは無理矢理眠らせる気マンマンだったようだが、もちろん拒絶した。

 したのだが、実際どうすればいいのだろうか。話してると自然と眠くなるか? というかそもそも、真面目な神奈ちゃんが誰かがきている状況で眠るとも思えない。

 笑いを堪えながらもほこらの口からはしっかり『睡眠薬』という言葉が出ていた。

 頼れるか。


「えっと、ちなみにですけど、なんで私の部屋に……?」

「うぇえっと……」


 扉越しから急に飛んできた質問に言い淀んでいると、焦ったようにまた声が聞こえてくる。


「あ、ああ! いえいえ、大丈夫です! 姉さんと喧嘩しちゃったんですよね、なんか大きな声聞こえてましたし……。はい、少し落ち着いていってください。すみません、もう片付け終わるのでちょっと待ってくださいね」

「え、いや、そういうことじゃ……」

「そ、そうだ! 粗大ゴミも物によっては細かく切ったら燃えるゴミで出せるらしいですよ!」


 ほ、ほこらぁ……。

 思わず拳を強く握ってしまった。誤解されたことよりも、それに対するあまりにも健気な気遣いが胸をえぐる。

 こんな子、お前のことがなくたって気にかけるし優しくする。

 一番なんとかするべきことを、なんともできていない僕にそんなことをする資格があるのかはわからないけど。


 神奈ちゃんを危険に合わせない。そのためには神奈ちゃんと距離を取るのが一番だ。だが、ほこらと離れられない以上、それは難しい。なにより、そうしないことを僕は決めた。

 決めた以上は――


「……さて、なにができることやら」


 思わず口から出た言葉にハッとする。扉の近くに神奈ちゃんがいたら聞かれているかもしれない。いや、これだけ聞かれてもなんのことはわからないだらうが、単純に恥ずかしい。

 まあ、なにか聞こえていたのなら聞き返してくるだろうし、大丈夫だろう。

 ひとまず大人しく待っていると――……


「――神奈ちゃん」


 扉を叩いて、神奈ちゃんを呼ぶ。もう一度、今度は強く叩いて。


「神奈ちゃん!」


 神奈ちゃんは部屋を片付けていると言っていた。なのに、気がついたら、物音一つ聞こえていなかった。

 返事が返ってこなかった扉を乱暴に開け放って、部屋の中に入る。

 部屋の中になにがあるかなんて気にしている余裕はなく、ただ奥の窓の傍で倒れている神奈ちゃんを見つける。


「……いや、落ち着け……落ち着け……」


 ――もし、神奈ちゃんが倒れているのが奥じゃなくてこの入口の前だったら、勢いのまま開けた神奈ちゃんに扉を当てていた。

 入った時に踏みつけていたかもしれない。


「落ち着け……僕……」


 今は怪奇現象の真っ最中だ。感情に任せた不用意な行動が、取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。

 まずは落ち着け。倒れている神奈ちゃんはどうなっている。よく見ろ。冷静にだ。


「……胸が大きく動いてる。苦しそうな気配はない」

「大丈夫です。ただ眠っているだけです」


 いつの間にか、部屋に来ていたほこらが僕の横を通り過ぎて、神奈ちゃんの傍で腰を屈めていた。


「先輩は少し深呼吸をしてください。汗、凄いですよ」

「あ、ああ……」


 ほこらの頼もしい冷静さが、神奈ちゃんになんの感情も抱いていないからだと僕は知っている。

 それに腹が立つ気持ちも、ゆっくりと呼吸にのせて吐き出した。


「……すまん」

「とりあえずわたしは神奈ちゃんを見ますから、先輩はそこで落ち着き続けてて下さい。ホントは先輩のケアを優先したいですけど……ま、さっきの今ですからねえ」


 そういいながら、ほこらは神奈ちゃんの首筋や額に手を当てていく。


「うん。どうやら本当に眠っているだけのようですね。恐らく、現象の影響で単純に体力を使っているんでしょう。一体、神奈ちゃんのなにと結びついてこんなことしでかしてんでしょうね。あの悪霊……」

「で、どうすればいい?」


 自分の動揺を、"どうでもいい" と落ち着かせて、ほこらの傍まで行く。

 ひとまず、眠っているだけならば、条件はクリアしているが。


「先輩がよければ、予定通りいきますね。こうなってくると、恐らく問題はその悪霊というより、悪霊と神奈ちゃんを結びつけているなにかでしょうね」

「それを解明してくればいいんだな。なら、早くしよう。これ以上、神奈ちゃんに負担はかけられないぃ?!」


 アイアンクロー。というやつだろうか。

 ほこらは僕の顔をがっしりと掴んでいる。

 その手に力が困りすぎている気がするのは、気のせいだろうか。


「例のどうでもいいパワー使ったっていうのに、焦りだすの早くないですか? そんなに神奈ちゃんが大切ですか、ええ、ええ」

「いてて、な、なにして」

「少し、少しなんかモヤモヤしてくるので、ごめんなさい先輩、ちょっと痛くしますね」


 その後「えーいっ」という気の抜けた声と共に、まるで脳みそが棘だらけになったかのような痛みが走る。


「――っづぁぁア!」


 耐えきれず、叫びながらほこらの手を振りほどいて顔をあげた時は、もう神奈ちゃんの部屋ではなかった。


「前と同じ場所……か?」


 なんというか、テレビで見た事がある。

 トンネルのような通り道のある水族館。左右、ついでに上のどこを見ても、水の中で魚が泳いでいる。あんな感じのやつだ。


 ガラス……とも言い難い。なにか明るい色の壁の中に、さらに明るいものが高速で動き続けている。水族館で例えはしたが、正直、気味が悪い。


「壁には触らないほうが、いいよなあ……」


 きっと、前回僕が神様の世界に入った時は、これら全てが一気に頭の中に入ってきたんだろう。

 見た目だけでの話をするのなら、気分が悪くなって吐いた程度で済んでよかった。


 ただ道なりに真っ直ぐ進んでいく。

 景色が変わらなすぎて、進んでいるのかも正直わからないが、足が動いている感覚だけはある。


「確か、見えているものがハッキリイメージしていれば迷わないとかそんな感じだったか?」


 本当に一瞬だけの記憶を頼りに、あの黒い――ほこらが悪霊となずけたそれを想像していく。

 驚くほど鮮明に、頭の中にイメージが出来上がっていく。それと同時に視界が動いて、まるで上下も左右もなくなっていく――


「あいたっ」


 軽い衝撃に頭が揺らされて、ふと我に返った。

 振り返っても、なにもいない。が、まるで小さな、女の子の手で叩かれた。そんな感触だ。


「……つまり、余計なこと考えると今は危ないってわけか」


 なんだか話が違うような気もするが、まあほこらもいつも以上に事態を把握するのに苦労していたようだし、あとは僕がなんとかうまいことやらないといけないな。


「しかし、その悪霊に会って僕はどうすればいいんだろうな……」


 そいつが今回の現象の核だから、見つけさえすれば進展するとほこらは言っていた。でも、さっき悪霊そのものじゃなくて重要なのは神奈ちゃんの繋がりがどうとか言ってたな……。


「……くそ、せめて約束は守ってくれよ、ほこら」


 何かあった時、僕よりも神奈ちゃんを優先するというあの約束。

 本当にいざという時、ほこらがそれを守らない確率の方が高い。僕にどれだけ恨まれ、怒りを買うことになっても、いよいよどうにもならなくなったらきっとほこらは僕を選んでしまう。


「そうはならないように、しなくちゃな」


 歩く。

 道なのかどうかもわからないただの場所を歩く。

 歩いて、歩いて、いつの間にかボーッとしていたぐらいまで歩いて、それは、唐突に目の前に現れた。


『――』


 その悪霊は、言葉ではない言葉を発した。ただの真っ黒いモヤのような見た目をしていた。

 耳で理解できない。目で見てもわからない。

 けれど、僕はそれがなんであるか、なにを言っているかを理解出来た。


「そういう……ことだったのか……」


 思わず崩れ落ちそうになる。


『──、──。──!』


 それを、ただ理解する。

 近づこうとして、見えない壁のようなものに阻まれていると気がついた。


「まあ、神奈ちゃん経由で来たらそうなるか……」


 一旦戻ろう――。

 そう思うと同時、粘り着くつうな眠気が襲ってきた。

 目の前の悪霊は、ただこの世界から消えていく僕をじっと見つめていた。――いや、僕はあれを悪霊と呼ぶべきじゃないな。

 あれは――



「……凄い痛かった」

「あはは、思ったりやっちゃったなあって……すみません……」


 現実世界では僕は倒れていたようで、視界には天井と僕を覗き込んでいるほこらが写っている。

 横を見ると、一段下には寝息をたてたままの神奈ちゃんがいた。

 ……一段下?


「なんで膝枕してる?」

「そこに膝があったからですよ」

「それは膝枕してもらう側のセリフだろ」

「まあまあ、どうします? もうちょっとわたしの下顔と下乳堪能します?」

「しない」


 なんだよ下顔って。

 とは言うものの、さすがに少し恥ずかしく、気を遣いながら起き上がる。そしてすぐにブーたれているほこらに向き直り言った。


「最初に開いたあの世界への扉、すぐ開いてくれ」

「えぇ?! 駄目ですよなに言って…………信じていいんですか?」


 頷く。

 もう見るべきものは全てわかっている。

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