感情逃避(3)
「さて、なにがどうなってる」
「さあー? わたしもなにがなんだか正直よくわかりませんし、困ってます」
「おい」
「ほ、ほんとですって! そんな怖い顔しないでくださいよ! この前みたいなことはないですから! ほんとに! ほんと!!」
さて、僕がいまどこで会話をしているかというと、ほこらの――神奈ちゃんの、月垨の家の前である。
周りの家と比べると、1.5倍ほど大きいその家は、こう言ってはなんだが世界の改変によってぽんと一人増えたところで、蓄えにはあまり響かなそうだった。
神奈ちゃんと別れたあと、とりあえずほこらと合流して話をする必要があった。当然、僕はほこらの家の場所なんて知らないし、駅前に集合で――ということにしたかったのだが、ほこらにはどうしても今家を離れられない事情があった。
「あー……すみません。今ちょっとわたし一人で、お父さんの頼んだ荷物が届くから家にいないと駄目なんですよ」
……すっかり人間としての生活に馴染みやがって。
そこからしばらくの口論があり、まあ結果はそのまま電話口からのほこらのナビで、僕が家まで行ったわけだけど。
神奈ちゃんが本屋までどうやって来たのか気にもとめなかったが、なるほど、普通に歩いて来たわけか。
「――で、どうするんだこれ」
「なんとかしましょう!!! 今! すぐに!!!」
「お、おう」
とりあえず今わかっていることは、この世界から漫画が消滅したということだけだ。
聞くと、突然ほこらの部屋の本棚から漫画雑誌が消えて、代わりによくわからない別の書物で埋まったらしい。
そして、そのことを認識出来ているのは、僕とほこらの二人だけ。
今しがた、近くを通ったご近所さんに漫画のことについて質問してみたが、かえってきたのは本屋と同じく、『――』という言葉がかき消されたようなノイズのようななにかだった。
「大丈夫です! ノイズのようななにかも……う面倒なのでノイズにしときましょう。ノイズを感じられてるということは、完全に消えてはないはずです」
「おう」
「まだこの世に漫画の、その残滓は残ってるんです」
「近い」
「つまり! まだ! 取り戻せます!」
「近いし怖い」
ほぼ顔と顔が密着するぐらいに近づいてくるほこらを、力強く引き離す。
いつもなら、そのことに対してなにかしら反応があるはずだが、今回に限ってはこの怪奇現象を解決することしか頭にないようだった。……いや、どんだけハマってるんだ、こいつ。
とはいえ、この様子だと、ほこらが引き起こした――というわけではなさそうだ。しかし、それでもこいつが原因でないとは言いきれない。
三月から今まで、色んな怪奇現象に巻き込まれてきて、さすがに少しは僕もその傾向を掴んだと思う。だから、予感がする。
「それが原因なんじゃないのか?」
「それとは?! 一体なにが原因なんです?! 今すぐ撲滅しましょう! ちょうどすっごいいい所だったんです」
「いや、知らん」
人が変わっている。
僕は正直、漫画そのものはどうでもいい。あってもなくても、きっと今後の僕の人生において問題が発生することはないだろう。
けれど、漫画が消え去ってしまった世界に関しては、放っておけない。
今この時点で、『――』を『漫画』として認識出来ているのは僕とほこらの二人だけ。
それはつまり、巻き込まれているということだ。
それこそ、漫画を認識できている異物として僕まで世界から消されかねない。
それに――
「ぬぁにをボーッとしてるんですか先輩! 原因がわかってるんですかわかってないんですか?! どっち?! さあ思い当たることがあるなら吐いてください!!」
コレから逃げられそうにない。ああ、顔も似ていて、僕に対して敬語を使っているということまで共通しているのに、どうしてこう天と地の間三つ分ほども離れているんだろう。
話していて心が温かくなる瞬間が一秒もない。
ともあれ、話がそれたが、改めて僕の考えてる原因は――
「お前が漫画にハマりすぎたからじゃないのか?」
「ほにゃ?」
うわあ、可愛くないキョトン顔。
「……いや、明確にそうと言える根拠はなにもないけど、ただなんとなく、
「……………」
「ほこら?」
「…………あー」
「あー」
「ああ、はい、うん」
「ひょっとして正解か?」
「――さっすが、先輩!……先輩?!」
――思わず.膝から崩れ落ちてしまった。怒鳴りつけようと思ったが、あまりにもその気持ちが強すぎて口から出る前に脳がショートしたらしい。
「お前……お前なあ……!」
「いやいやいやいやわざとじゃない! わざとじゃないですって! 前回のことをそう引きずらないで下さいむしろわたしどちらかというと被害者側ですから!!」
「お前はもっとやばい存在なのを自覚しろ!!」
「してますよ! ちょっと忘れてただけで!」
「忘れるなよ! 忘れてもいいけどその場合とっとと僕を解放しろバカ!」
「それだけは嫌ですけどぉ?! それならいっそ漫画が消えた方が……消えた……方が……ごめんなさい、選ぶとしたらもちろん迷いなく先輩なんですけど、出来れば両方手元にあって欲しいです」
「やばいぐらいハマってるな!」
この
そんな存在が、一つの物事に執着を寄せるとどんなことが起こるか――。考えるだけでも恐ろしいし、それは是非本人の口から吐いて貰いたいものだ。
「これは、えっと、あれですねえ……」
我に返ったらしいほこらは、考えを巡らせる。この神様のせいで様々な種類の怪奇現象に巻き込まれてきた僕だが、その分この神様に蓄えられた知識は大きい。
蛇の道は蛇。怪奇の道は怪奇。いやまあ、こいつのせいなんだけど。
「神隠しってあるじゃないですか」
「またか」
「まああれはざっくりいうと、気に入った人間をさらって"その神様の世界"に連れていくわけです。そこは当然、その連れ去った神様だけの世界で、逃げ出すことも、入ることもできません。そしてそれは、物にも起こり得ることなんですよ。神様に捧げられた物は、そのまま神様の世界へ捧げられたも同然です」
「……えっと、つまり?」
「あまりにも私が漫画という物を気に入りすぎたせいか、それが捧げ物として認定されて、この世界から消えて神様の――私の世界に行っちゃった……みたいな?」
「――ぁぁ〜……」
まるでサウナに入った時のような声が出たが、ため息だ。呆れている。心の底から。
全くなんだってこう……なんだってこう……。
「まだ決まったわけじゃないですからね!!」
吠えるほこらの言葉は耳の穴から穴へ素通りしていく。
好きになりすぎてこの世界から消えちゃいました? 馬鹿馬鹿しいにもほどがある。そして、そんな馬鹿馬鹿しいことで僕が頭を抱えなけれならないんだ。おまけに神奈ちゃんにも少し迷惑をかけてしまってる。目の前でわちゃわちゃしてるこいつを一体どうしてやろうか……。
「というかそもそも、普通はありえないんですからね?!」
「あ?」
「怖っ。いやいや、ただ好きになっただけでそれが丸ごと世界から消え去るだなんてそれこそなにがどうなってそうなったって感じですから!」
「現にそうなってるじゃないか」
「それが不思議なんですよ……。わたしはただ部屋で漫画読んでただけですし、先輩の方こそなにかきっかけとか心当たりとかそういうのないですか?」
「あー、そうだな……」
ひとまず、僕は今日一日のことを話すことにした。漫画を買いに出かけて神奈ちゃんと話をして、そのまま店に入って漫画を探してそしたら──という具合に。
途中、僕が漫画を買いに行こうとしたというとこにほこらが食いついて、物凄く無駄な脱線を強いられることになったが、物凄く無駄な時間なので割愛する。
そして話の後、ほこらはしばらく考え込んた。そして、出た答えをポツポツと話し始めた。
「ふむ……やっぱり今回のは、物凄い偶然が重なった……としか考えられませんね。宝くじに当たったみたいなもんです」
「いいことみたいに言うなよ」
「確率の話ですよ」
「ほら、まずもって月垨の家がそういう家系じゃないですか」
頷く。
そういう家系なのはそれは僕も知っている。
月垨家。今でこそ、街の小金持ちという感じだが、何百年も前は違ったらしい。いや、金を持っていたかどうかは知らないが、今のような平凡な家ではなく、特殊な家系だったということだ。
なんでも、この地に住む神様――つまりは、ほこらだ。
それと密接に関係があった巫女の一族……らしい。その繋がりによって、ほこらは月垨家の人間として入り込むことが出来たのだという。
そして、今でこそその巫女であったという面影はないが、その力は未だに月垨家の根付いており、特に、神奈ちゃんは強くその力を受け継いでいる。
もちろん、本人はそんなことは知らないし、知る必要もないが。
「……まさか、神奈ちゃんが原因だなんて言うんじゃないだろうな」
「原因っていうわけでもないですが……その偶然の中の一つ、ではあるでしょうね」
そういうと、ほこらは手を空中にかざして、その手を色んな方向に動かし始めた。
「んー、なんて言えばいいんですかねえ。この世界から漫画が――概念そのものが神様の世界に連れ去られるなんて、条件が整っても起こるわけないんですよね。その辺はほら、人がお腹が空くのと同じぐらい無意識に、わたしの方でセーフティ? みたいなのをかけてますから」
「……それならなんで……まさか、だからこそ神奈ちゃん経由で?」
「まあそうですねえ。わたしが月垨ほこらとしてこの世にいるということとか、先輩の引き寄せ体質だとか、奥底で神奈ちゃんとわたしが強いバイパスで結ばれているとか、その辺のごちゃごちゃした隙間に、こう、なんか、先輩と神奈ちゃんとの会話の最中に付け入る隙ができて、こうなっちゃったあ……みたいなぁ?」
「ハッキリしろよ!!」
だってえ! とほこらは頬を膨らませる。その間も、宙に掲げた腕は忙しなく動いていた。
「さっきも言いましたけどこんなことありえないんですもん! たまたま起きちゃったとか言いようがないですよ! バクですよ! バグバグ!」
やかましくキャンキャン騒いでいるが、まあ今まさにその対策をうっているようだし、これ以上ほこらになにかを言っても仕方がない、か。
「それにしても、バグ、ねえ……」
「ええ、欠陥です。だからこそ、不完全でしょう? 本当に漫画そのものが世界から消えちゃったんなら、『――』なんて中途半端な形で残っているはずもないですし。もしかしたら、影響範囲はこの辺りだけかれませんしね。先輩の家とかには、これまでと変わらず普通に漫画が置かれてるかもしれません」
どちらにせよ、僕の家に漫画は置かれていないけどな。
「まあ、そういうわけですから、チャチャッと、治しま、しょう!」
「うぁっ?!」
ほこらが急に大声を上げたかと思ったら、強い光が目を焼いた。
二、三度瞬きをして、眼球を動かして視界をスッキリさせる。
「大丈夫ですか?」といつの間にか僕の近くに寄ってきて顔を覗いてるほこらの顔がハッキリしてくると、そのままほこらを無視して光が放たれた場所を見た。
「……また変なのが」
それは、いつも通りと言っていいものか、現実離れした光景があった。空中にポツンと、謎の白い扉が表れていた。
「これだけ不完全なものなら、あそこに入って取られたものをチョイっと摘んで持ち帰るだけで全部解決しますよ」
「普通に嫌なんだが」
そもそもあの中に入ったらなにが起こるかわかったもんじゃない。摘んで持ち帰るとか簡単に言うな馬鹿。
「いやいや、ほんと何もないですって、考えるな感じろ! の精神で行動してください。わたしがちゃんと整えてるんで、先輩は入って取ってくるだけですよ」
「その入って取ってくるだけの意味がわからん!」
「まあまあまあまあ、とりあえずとりあえず」
と、無理矢理僕の腕を引っ張り扉の前まで連れていく。そして、どうぞといわんばかりに腰を曲げて手を扉の方向へ流した。
「――ちょっと待て、お前は着いてこないのか?!」
「ごめんなさい。万が一のために、わたしはここで扉の調整と先輩の監視を外からしてなきゃいけないので。大丈夫、安心安全殺風景なわたしの世界がひろがってるだけですよ」
「頼むから帰らせてくれ」
頼むから帰らせてくれ。
その表現は本気で気分が悪くなってくる。
「まあまあ、今度お詫びに丸一日デートしてあげますから〜」
「罰」
「罰ってなんですか?! せめて文章で否定してくれません?! 夏休み付きまとったろかい!!」
「あーもうわかったうるさいなあ」
まあ、入って取ってくるだけのことだ。入って取ってくるだけの意味はさっぱりわからないが、それだけで夏休みの平穏な日々が戻るなら、安い……のか?
それに、一度巻き込まれた怪奇現象は解決しなければ終わらない。あと何度、僕はこの夏休みにこんなどうでもいいことに付き合わされるのだろうか――。
「……今は、考えたくない」
全てを諦めて、扉を開こうと手をつける。その瞬間、視界がぐにゃりと歪んで、どこかに吸い込まれるような感覚があった。
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