感情逃避(2)
月垨神奈。十四歳の中学二年生。僕を好いてくれている女の子。月垨ほこらの妹。本当であれば、一人の子。そのはずだった。
月垨ほこらという人間の誕生と同時に、彼女には姉が出来た。
恐らく、月垨ほこらという人間の見た目のベースは、この神奈ちゃんなのだろう。顔つきは非常によく似ている。
ほこらの方は顔のパーツが三角で、神奈ちゃんの方は丸といった具合に、しっかりと分かれてはいるが。
それは性格にも現れており、ほこらとはまるで違い、この子は大人しく、優しい。
僕とは小学校の頃に出会っていたらしいが、申し訳ないことにその事を僕はまるで覚えていなかった。
まあ、もちろん特別親しかったわけではないから仕方のない部分もあるし、僕と同じ学校だったのは、一時的に引越していただけだったらしい。僕と同じ小学校に通っていた時間は、一年あるかどうかだそうだ。
そして、高校二年になってこちらへ引っ越してたきた僕と先月の頭に再会した――というわけだ。
この辺りに関しては、ほこらも予想外だったらしく、あまりにもな偶然に驚いていた。
神奈ちゃん。今の僕があるのは彼女のおかげであると言っても全く過言ではない。
その辺は一行や二行で済ませられる話ではないので、非常にざっくりとした表現になってしまうが、僕は彼女に心を救われたのだ。
彼女のおかげで僕は、壊れていたとしても、それでも自分を認められるようになった。自分を認めてくれる存在を認めてくれるようになった。あの厄介な神様――ほこらのこともちゃんと見れるようになった。
そしてさっきも言ったおり、彼女は僕に好意を寄せている。
きっと僕は、彼女の気持ちでさえ、今もなお"どうでもいい"と済ませてしまえるだろうけれど、ただ僕は、彼女の気持ちを蔑ろにはしたくない。
少なくとも、うけた恩ぐらいは返したいと思っている。
ともあれ、僕と彼女が今後どういう道を選ぶとしても、その前にどうしても解決しなくてはならないものがある。もちろん、月垨ほこらのことだ。
本来はいないはずの姉。しかし、神奈ちゃん本人の認識では、ずっと一緒にいた記憶もあれば記録もある。
ほこらの家のアルバムには、七五三に袴を着て飴の袋を持っているほこらとその母親、そして抱き抱えられている神奈ちゃんの写真がしっかりと入っている。
限りなく真実に近い虚構。ただ僕とほこら本人だけが、それが虚構だと知っている真実。
これはいつかは、決着をつけねばならないもんだいだろう。そして、ほこらが邪魔になっている理由は他にもある。
たとえば――
「……あれ、今日は姉さんは一緒じゃないんですか?」
これである。
いつもいつも一緒にいる同じ学校の先輩後輩。傍目から見ればどれほど仲睦まじく映ることだろう。
未だに神奈ちゃんは、僕とほこらが付き合っていないというこの世のなによりも優先させたい真実を未だに信じていない節がある。
神奈ちゃんでなければ怒鳴りちらしてもいいほどの屈辱的誤解だが、まあそう思われても仕方の無い面は多々ある。辛いことだ。
「勘弁してくれよ。どうして夏休みになってまであんなのと一緒にいなくちゃいけないんだ」
という僕の心からの、魂からの言葉でさえ、
「ははは、相変わらず、仲いいですね……」
と返される。
だが、それを否定するほどの材料を僕は持ち合わせていない。というより、こういうのは否定すればするほどだ。
だからといって肯定など出来るわけもなく、返答に迷い、ただただ無言の時間が流れる。
神奈ちゃんも、困ったように視線を泳がせている。こんな時、無神経なほこらならばあれこれ会話をぶん投げてきたりするのだが、この子はそういうわけにもいかない。
「え、えっと……あ、そうだ。肯定の類義語だと首肯っていうのがあるんですよ! うなずいて賛成するとかそんな感じの意味です」
……どうやら、困らせてしまったらしい。
相手との会話に困った時、雑学のようなものを語りだすのが、神奈ちゃんの癖のようだ。
彼女なりの会話の繋げ方らしい。
けれど、僕としてはさらにどう反応すればいいかわからなくなるから、正直あまり好ましくはない……まあ、今困らせている原因は主に僕にあるんだけども。
「そうなんだ――えっと、神奈ちゃんはなにか買いに?」
「あ、はい! 料理の本を買いに! この間買ったやつは一通り作ってみたんで、新しいメニューにチャレンジしたいなあって」
さりげなく、日常会話を始めることには成功した。成功した――のだが。
「へえ、そうなんだ」
この先の続け方がわからない。
思えば、僕と会話をするのはほこらは戸橋といったような、相手が話を聞いているか聞いていないかなど関係なく好き勝手に喋り続けるやつらばかりだった。
内気な神奈ちゃんとは、どうもうまく会話のラリーが続かない。
「えっと、そうだ、料理をするときは火が通りにくい野菜から先に入れるといいんですよ!」
また困らせてしまった。
というかもうそれは雑学というよりただの生活の知恵じゃないだろうか。
「出雲さんは、なにを買いに?」
「ちょっと漫画を買いに」
今度は神奈ちゃんの方から話をふってくれた。
また素っ気ない返事で終わってしまったが、それに神奈ちゃんは興味をもったようだ。
「出雲さん漫画読むんですね! わたしはたまにしか読みませんけど……でも、前一度読まないって言ってたんで意外です」
「ああ、ほこらの奴がうるさく勧めてきて。どうにも頭に残って仕方がないから暇だし試しに読んでみようかなって」
「あー……」
わずかに開いた言葉の間。
しまった、ほこらの名前を出したのは失敗だったか。
案の定、帰ってくる言葉は――
「やっぱり、仲良いですよね……姉さんと出雲さん」
どこか気落ちしたその声にどう返していいか悩んでいると、ふいに「すみません……」と声がした。
振り向くと、眼鏡をかけた弱々しい男性が遠慮がちに僕達を見つめていた。
「あ! ごめんなさい邪魔でしたよね!」
驚いた小動物のように飛び退く神奈ちゃん。僕もおずおずと道を開ける。
店に入ろうとした瞬間に声をかけられたものだから、僕達はずっと店の入口の真ん前で喋っていたのだ。
軽く頭を下げて、僕も一歩後ろへ下がる。
それにあわせて、声をかけてきた男性もぺこりと控えめな一礼をして店の中に入っていった。
「……僕達も入ろうか」
「そうですね」
この本屋は、店と店の隙間に無理やり突っ込んだように外から見ると小さいが、その分奥行きがあり、そこそこ広い。そして品揃えも豊富だ。
出入口には眠たそうな目をした初老の店員がレジに立っており、そのスペース以外はずっと奥まで本棚が続いている。
『専門書』『新書』『雑誌』などとジャンル訳のプレートが各所の棚から伸びているが、少し奥になると入り口からでは読めない。
「なんでこんな店構えなんだ……」
店の果てにある本棚が、米粒のように見える。
「じゃあ、ここで」
「――ん? ああ、わかった。じゃあ」
神奈ちゃんが買う予定の料理の本は入り口付近にある。漫画コーナーは入り口にはない。
一旦ここでお別れだ。
神奈ちゃんに背を向けて進もうもした時、ふいに背中に声がかかった。
「あの……店の外で待ってますから!」
急いで振り返ると、神奈ちゃんは背を向けて本棚をにらんでいた。
僕のきのせい……ではないだろう。
ちらりと振り返る彼女と目が合う。口を曲げて、恥ずかしそうにしていた。
僕も少し気恥ずかしくなりながらも、さっきの返答にと首を縦に動かした。
すると、神奈ちゃんも笑顔で首を縦に振って、また本棚へと向き直る。
ひとまず、彼女に関してはこんなところだろう。
僕も奥へ向かおう。
視界の上部に表れるプレートに目をやりながら歩く。嫌になるほど奥行はあるが、左右と真ん中に棚が置かれているせいで、通路が酷く狭い。
人とすれ違うときが少し面倒だ。
……『小説』、『ライトノベル』、多分この辺りだろう。
なんとなくだが、だいたいこういう並びのところに漫画がある気がする。
そして、そのまま僕は店の一番奥までたどり着いた。
「……あれ」
予想が外れた。もう片方の列だろうか。くそ、めんどくさい。
よく考えれば、そう強く欲しいものでもないし、このまま店を出てもよかったが、まあせっかくだからと、今度は奥から入り口にかけて、プレートを眺めながら歩く。
……『CD』、CDもあるのかこの店。
……『古本』、……買取までやってるのか。無駄に幅広いな。
……『資格』、資格? ああ、資格取得のための教本か。
……『パソコン』、『画集』、『写真集』、『趣味』
「…………どいうことだ?」
今僕の目の前にある本は、料理のレシピ本だ。
つまり、入り口まで戻ってきたということ。それまでに、漫画のプレートも、漫画本の一冊も見つけられなかった。
まさか置いてないのか? これだけ幅広く揃えている店が?
ありえない。まあ、滅多に来ない場所だから、見逃していただけだろう。
さすがにもう一周するのは面倒だし、それにここにもレジにもいないところを見るに、神奈ちゃんは外で待ってくれてるはずだ。あまり待たせるのも悪い。
「お客さん、なにかお探しですか?」
しわがれた声の方を向くと、そこにはレジでボーッと立っている初老の店員がいた。
少し挙動不審だっただろうか。まあ、せっかく声をかけられたんだし、一応聞いてみよう。
「この店って漫画って置いてないんですか?」
「なに? なんです?」
「漫画ですよ。漫画。ぐるっと回って見つからなかったんで」
「……あぁ? よくわかりませんね」
「あぁもう――漫画ですよ! 置いてないんですか!」
つい大声を出してしまった。正直あろうがなかろうがどうでもいいんだが。
「いやだからお客さん、そんなもんありませんよ。なんですか漫―って」
――ゾワリと、背筋に寒気が駆け上がってきた。けれどすぐにそれを振り払って、冷静に考える。
いや全く、宿題を一気にやったから疲れているのか、よく聞き取れなかった。耳の遠い店員に苛立っている場合じゃない。
ああ、聞き取れなかった。聞き取れなかっただけの、はずだ。
「――そこの人!」
僕がレジに並んでいるんだと勘違いしてか、背後に人が立った。それはついさっき入口で僕達に話しかけてきた男だった。だからつい、話しかけてしまった。
「この店って漫画は、置いてないのか?」
その男はなにかを考えるように、首をかしげる。そして、答えた。
「えっと、なんですか、漫―って」
――ああ、違う。聞き取れなかったんじゃない。今のはそんなものではなかった。明らかに、消えた。耳に届くはずだった漫画という言葉が、明らかに不完全にかき消されていた。
嫌な予感がする。
「――あ、出雲さん」
「お待たせ、神奈ちゃん」
飛び出すように店を出ると、入口の横には神奈ちゃんがいた。
急に飛び出てきた僕に驚いているようだったが、僕があまりにも何事も無かったかのように振る舞うからか、何も聞いてこない。
そう、このまま何事もなければ、それでいい。
「いやあ、買おうと思ったんだけど見つけられなかったよ。漫画」
「え? なんですか? ――?」
「…………漫画だよ。きみの姉が最近ハマってる」
「――ですか? よくわかりませんけど、姉さんがそれに? ――……聞いたことないですね」
神奈ちゃんがこの場所にいなければ叫び出しそうだった。あらんかぎりの悪態が口から出そうだった。けれど、神奈ちゃんの目の前だからなんとか耐えた。
もう認めるしかない。これは、完全に、巻き込まれた。
「えっと、出雲さん、よかったらこの後」
「――ごめん神奈ちゃん! 急用が出来た! この埋め合わせは必ずするから! あのバ――お姉さんにもよろしく!」
あまりにも一方的に別れを告げて、僕は走り出した。
細かいことはまだ何一つわからないが、とりあえず、あのまま一緒にいたら神奈ちゃんを危険に晒してしまう可能性がある。
多少反感を買うことになっても、それは避けなければならない。
ポケットから携帯電話を取り出す。この事態をなんとかできそうな――というかもしかしたら元凶の可能性だってある彼女に電話をかけるために。
こちらが発信ボタンを押す前に、携帯電話の画面が切り替わり震えた。
ほこらが電話をかけてきたのだ。いつもは一分ぐらい出るか出ないか迷う着信だが、今回ばかりはワンコールで出た。
「大変です先輩!!」
電話口から聞こえてくる大声は、今まさに、僕のほうから言おうとしていたことと全く同じだった。
「この世界から漫画が消えちゃいました!!」
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