感情逃避(1)
七月後半。高校生活で二度目の、今の学校に入ってから初めての夏休みが始まって四日。
特にやることもなくなった僕は、本屋に足を進めていた。
ところで話は変わるけど、宿題というものの価値を僕は全く理解できない。
授業で一度やったところの反復を、明らかに常識的ではない量こなさなければならない。
そもそも復習なんて、度々教師が出してくる課題で終わっている。
まあ、それで頭に入っていないのならやる価値はあるんだろうが、そもそも授業と課題で頭に入らないやつが、あんな量のプリントを出されたって、どうせほとんど答えを写して終わりだ。
宿題なんて、ただ貴重な学生の時間を奪うだけのものに過ぎない。
「そりゃあれだよ。部活も入ってない、バイトもしてお前みたいなやつがダラダラと一ヶ月も時間を無駄にしない為にあるんだよ。宿題は無駄じゃなくて、無駄を消すためにあるんだ」
と、戸橋は言っていた。
なるほど、それなら少しは納得出来る。けれど戸橋は知らない。僕は決して暇ではないということを。
僕が歩けば怪奇現象に当たる。それはもうこの数ヶ月、嫌というほどの実感と経験がある。
こうして今ただ本屋に向かっているというだけでも、たとえば謎の分かれ道に遭遇しかねない。
そして、降りかかる怪奇現象がたとえ身を潜めていたとしても、あの傍迷惑極まりない神様かつ僕の後輩で部活仲間――月垨ほこらが進んで持ってくることもある。
たとえばついこの間の騒ぎのように――。
そう、月垨ほこらだ。急に僕が持論なんて語り始めたのは、その辺の現実逃避も兼ねているからだ。
夏休み直前、あいつは僕のカレンダー全てを塗りつぶす勢いで、僕の予定を押さえ、常に僕と一緒に行動する気でいた。勘弁してほしい。
まあ、一日二日なら付き合ってやらんことも無い。というかそれぐらいは付き合ってやらないととんでもない目に会うのは確実だ。
だから少しは譲歩するつもりだった。けれど僕を独占することで目の前が真っ赤に染まったほこらにはその譲歩が見えていなかったらしく、思い出すだけで体力が枯渇するような、不毛で下劣な争いがあったことは、このまま歴史の闇に葬り去るべきだろう。
結局、僕の夏休みの予定は混沌としており、ほこらの出現は台所に出るゴキブリと同等の突発イベントと化した。
そして宿題の話に戻るが、僕は昨日までずっと家に籠って全部終わらせた。
価値無価値だなんてどうでもいい、ただほこらがにこやかにメモ帳に「どうせ先輩は宿題なんてしませんからね……。夏休みラスト一週間は先輩の家に泊まりきりで宿題合宿といきましょうか」などと呟いていたことが、僕を発起させた。
これで少なくとも、夏休み一週間の安寧は確保した。
万が一ほこらが宿題をやっていなくとも、出来た宿題をあいつの口にねじ込んで勝手に写せと言えば終わりだ。
まるで、部屋にバルサンを焚いた次の日のような安心感。
珍しく、今の僕は清々しい気分でいた。
そして、暇を持て余した。
自由時間の全てをただボーッと過ごすというのも、苦痛ではない。
けれど頭に浮かんだことがある。それは悔しくも、ほこらに関することだった。
夏休み前から、ほこらがハマっていたものがある。――漫画だ。
なんという題名だったか、あれからことある事に勧められたがほとんど聞き流していたので覚えていない。
なんでも数十年連載され続けている凄い作品らしい。僕はあまり漫画を読まないが、身勝手な神様すら虜にするそのコンテンツの力は、さすがに敬服する。
おかげで僕の平穏な時間は少しばかり増えていることだろう。
そして思いたった。それを買いに行こう、と。
断じてほこらに勧められたからじゃない。それこそ戸橋の言うとうり溢れてどこかへ行ってしまうほどの余暇なら、別段興味のない無駄なことに使ったって同じなはずだ。
――いや、興味がないは嘘だ。さすがに興味が湧いてきた。
だってあのほこらだ。
あの眉目秀麗な女子高生の形はしているものの、その精神構造は人のそれから大きく外れていく。
『いや、先輩にそれ言われたくないんですけど……』
返ってきそうな反応がパッと頭に浮かんだ。いないのにうるさいその存在に、道を歩きながら舌打ちをする。
数ヶ月前の僕ならいざ知らず、今そんなことを言われる筋合いはない。
今の僕は、六月までの僕が異常であったことを理解出来ているぐらいには、正常だと思う。
たった一ヶ月でなにが変わるのかと思われるかもしれないが、きっかけ一つで人間はひっくり返るものだ。
少なくとも六月のあの一件は、僕にとってあまりにも大きかった。
こればかりは、ほこらに少しばかり感謝もしていいとわずかながら思わないこともなくはないが――よく考えれば、ほこらのせいで煮え切らないままに終わっている。やはり、感謝は無しでいいだろう。
そうこうしているうちに、本屋にたどり着く。
右隣にはコンビニ、正面にはホームセンター。
ホームセンターとの間の道には、車線の分けられた太い車道が通っている。
夏休みだからか、人の行き来が大きい。
同じ学校かどうかはわからないが、高校生ぐらいの集団が、自転車置き場に座り込んで、自販機のアイスを食べている。
もしかすると、あれが本来あるべき夏休みの姿なのかもしれない。まあ、どうでもいいが。
とりあえず買うものだけ買ってとりあえず帰ろう。
「……出雲さん?」
自動ドアの開く音と重なるように、か細い声が耳に入ってくる。
自動ドアの開く音にかき消されてしまうような、本当に細い声。僕が足を止めたのは、それが知っている声だったからだ。
「
そこにいるのがほこらであったのなら、僕は驚きはしなかった。けれどまさか、こっちの方は予想していなかった。
彼女の名前は月垨神奈。月垨ほこらの妹だ。
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