死に別れ道(終)

 頭に流れ込んでくるお経の音はどんどん大きくなる。次第に、この空間を構成する、それこそ念のようなものも一緒に僕の中に入り込んでくる。

 身近な誰かが死ぬ。そりゃあ誰だって悲しいだろう。けれど、ここにあるものは、悲しみでは終わらなかった感情。


 悲しんで、悲しんで、悲しんで、やがてそれが攻撃性を帯びて、他者に向けられるものになった。

 なぜお前達は幸せそうなんだ。自分はこんなにも苦しいのに。

 なぜお前達は悲しそうにしないんだ。自分はこんなにも悲しいのに。

 どうして失っていない。どうして得ている。どうしてそんなにも幸福そうなんだ。

 それならばせめて、せめて自分を見ろ。自分に寄り添え。自分と同じ気持ちになれ。悲しいと思え。こんなにも悲しい自分を見て、お前達も悲しいのだと歩み寄れ。

 可哀想。可哀想。可哀想。自分達は可哀想。

 わかってくれ。理解してくれ。同じものを見てくれ。自分達はこんなにも可哀想なんだ――。


 まるで、僕自身がそう思考しているかのような、強力な念。少しでも気を緩めると、全てを持っていかれそうだ。

 傍らでは、月垨ほこらがしきりに謝罪と後悔の言葉を並べていく。


「ごめんなさい先輩……! 最初に、最初にもう一本の方を選ぶ的でした……その次も、その次も、、他のどれか一つを選ぶべきだったんです! 多少怖い目にはあったかもしれません。でも、でも、それだけだったんです! 彼らは寄り添ってさえくれれば満足だったんです! でも、でもこれはもう――」


 目の前の屋敷で、葬式をあげていたはずの人達が、僕たちの周りに集まってきている。

 今までの分かれ道で、僕たちが無視してきた人達が集まってきている。

 悲しみにとらわれた怪物たちが、僕たちを取り囲んでいる。

 大声をあげてなき叫んでいる。痛ましい涙を流している。けれど、その涙を流している目は、僕たちを見る目には、悲しみは宿っていなかった。

 そこにあるのは、純粋な恨み。

 悲しみを通り越して、悲しまなかった僕たちに対する怒り。


 頭の痛みが治まらない。なんとか顔をあげるだけで精一杯だ。


「先輩、絶対に悲しんじゃ、同情したらだめです! もう手遅れです。きっと彼らを少しでも理解してしまった、わたし達はもう二度ともとの世界には戻れなくなります!」

「……じゃあ……どうしろって……!」


 現状は、何一つ動かない。

 逃げ出そうにも、取り囲まれた人の波は隙間一つない。

 月垨ほこら――。彼女が狼狽えていることが、この状況の深刻さを表している。

 だが、月垨ほこらには、別段体の不調は起きていないように見える。

 神様だからだろうか。巻き込まれはしたが、こんな現象に巻き込まれたところで、どうにかなるようなことはなさそうだ。

 意識を保つために握っていた、肩に置かれた手を離す。


「先輩?!」

「ああ……お前は、元気そうだな……」

「そりゃまあ、わたしは神様ですし……。というか今はわたしのことはどうでもいいですってば!」


 やっぱりか。なら、もういいか。


「手遅れなら……仕方ないだろう……僕のことは諦めろ……。とっとと山にこもってろ……」


 この場所で恨みと悲しみに埋もれ続けるか、月垨ほこらという神様に永遠に弄ばれるか。

 どっちの方がマシかの判断は、僕にはできないし、どちらも最悪なことには変わりないのなら、どっちでもいい。


「……そういうこと、言ってるんじゃないでしょう!!」


 月垨ほこらが耳元でなにかを叫んでいる。それが聞き取れないほど、意識を保つのが難しくなってきた。

 こちらを見下ろし泣き叫び続ける無数の人影はまだそこにある。そして、強い衝撃が何度も何度も僕を襲った。


「なん……だ……」


 月垨ほこらだった。月垨ほこらが僕をめちゃくちゃ殴っている。なるほど、意識を失わせないようにか。


「先輩、先輩しっかり! でもこれどうすれば」


 おかげで、またこのやかましい声が耳に届くようになってきた。


「同情を寄せるのはもう駄目……逆になんの感情も抱かなければ……この人達を意識的にいないものとして扱う、でもどうやって」

「……なに?」


 焦っている月垨ほこらの声を拾う。なにかが急激に冷えていくような、大きな脱力感に襲われる。


「ああ……なんだ」

「先輩?!」


 とんでもなく無駄な時間。とんでもなく無駄な苦しみだった。

 それでいいなら、そんなことで終わるのなら、もっと早く言って欲しかった。


「……ふぅ」

「せん、ぱい?」


 怨嗟は聞こえる。念はひびき続ける。目が合い続けている。

 どこの誰のものかもわからない悲しみ達。

 けれど、僕にはそんなもの心底


 頭がどこまでも冷えていく。まるで真っ白なだけの空間にいるように、なにもかもが澄み切っていく。

 五感から伝わってくるもの全てが、綺麗に通り抜けていく。


 ああ、どうでもいい。本当にどうでもいい。なにもかもがどうでもいい――。


「行くぞ、月垨ほこら」


 一応、月垨ほこらに声をかけて、歩き出す。

 道は酷く窮屈で、肩がなんどもぶつかっているが、まあどうでもいい。しばらく我慢すれば抜けれる。――抜けた。


 そのまま歩く。そういえば、さっき見た時は目の前に大きな屋敷があったはずだが、歩いても歩いてもそこにはたどり着かない。

 気のせいだったのだろうか。

 歩いていると、段々騒がしくなってきた。誰かがなにかを喋っている。そして、誰かが僕に大声で話しかけてきた。

 それを無視してから気がつく。ああ、挨拶されたんだと。

 後ろを振り向くと、僕に挨拶をしたジャージ姿の男は、もう別の人に挨拶をしている。

 ああ、そうか。ここはもう学校だ。


「先輩!!」


 後ろから、誰かが――月垨ほこらが走ってくる。

 ため息を吐いて、頭を切り替えると、ようやく目の前にまともな景色が広がってくる。そこでようやく僕がなにに巻き込まれていたかを思い出した。


「……なんとかなったな」


 このまま教室まで行こうと思ったが、それはさすがにあんまりだと思い、月垨ほこらに向き直る。

 正直、僕はだいぶ動揺していたんだと思う。彼女が傍であれこれ考えていてくれなければ、きっと僕はいまここにいない。


「今回ばかりは助かった。ありがとう」


 月垨ほこらの顔は険しい。お礼の言葉は聞こえていたと思う。二度目はいいたくない。


「わたしは……」


 朝であった時とはまるで別人のように、月垨ほこらは重く喋り始める。


「わたしは先輩について、誤解してました」

「なにがだ?」

「先輩の境遇は知っています。だからこそ、そのせいで先輩は、物事への関心が薄くなった」

「だからどうした」


 自然に、僕の語気の強くなる。身の回りの話をされるのは好きじゃない。

 その相手が月垨ほこらとなると、なおさらだ。

 そして、月垨ほこらは首を振る。


「その程度だと、思ってたんです。さっきのあの空間は、感情の誤魔化しが聞くような場所じゃない。だからわたしは焦りました。けれど、先輩は……。先輩は、本当に空っぽなんですね。あんなにも空っぽに、なれてしまうんですね」


 いいえ。いいえ。と首を振る。まるで怪奇現象の続きを見るような目で。

 わたしは先輩と繋がっている。だからわかるのだと言って


「先輩は空っぽになれるんじゃない。空っぽじゃないフリをしてるだけなんですね。さっきのは、それを解いただけなんですね。先輩に向けられる感情のなにもかもは、先輩の横を素通りするだけ。先輩はそれを横目で見て、それを受け取ったフリをずっとしていただけなんですね」

「……さすがに、そこまで言われると腹が立つんだけどな」


 殴ってやりたい。そう思っている。

 けれど、月垨ほこらに言わせればそれはただのフリで、きっと事実なのだろうということは頭で理解出来る。


「悲しくはならないんですか?」


 滑稽で、思わず笑ってしまう。今フリだと言ったその口で、そんなことを聞くなんて。

 それも、人の感情なんて全く理解していない神様なんかに。

 けれど、あえて答えるとするなら。


「別に一緒だろ」

「……」

「僕の普段が、フリであってもフリじゃなくても、僕を取り巻くものは何も変わらない」


 だって、誰一人として、僕に関心なんてないし、感情なんて向けない。

 それこそ、フリはあるだろうけど、フリにフリで向き合うのはむしろバランスが取れていていいと思う。


「お前も、飽きたらやめればいい。その方が、僕の死後も安泰だからな」


 そう告げて、校舎に入る。あと三分でチャイムがなる。遅刻は面倒だから、あまりしたくない。

 月垨ほこらは未だに立ち尽くしている。まあ、いいだろう。どうせ放課後に部室で会うんだ。

 そしていつもと変わらず僕に付きまとうことだろう。


「……めんどくさ」


 いや本当に、せめてしばらくは怪奇現象に巻き込まれないことを祈る。

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